推しとゲームする話


 翌日、約束通りマイクの使い方を教えてあげた。ノートパソコンとマイクを持参してもらい、借りた空き講義室で直接指導した。

 マイクが認識されない不具合はすぐ判明した。録音設定が、ウェブカメラのマイクになっていただけ。たぶん初心者あるあるのミスなんだろう。

 数分程度で事は済んだ。その後はまた適当に散歩した。夕陽が沈む頃に「また明日」と解散して、俺は帰宅次第いつものように、微忘ルナの配信を視聴した。


 さらに翌日。また一般講義が被り、眼鏡姿の胡桃沢と会った。

 今度はもう慌てない。



「やあ。お疲れ様」



 と軽く挨拶して、俺は胡桃沢から離れた席に座った。……すると、なぜか胡桃沢は不機嫌な様子で立ち上がり、



「……」



 俺の隣の席に座りだした。



「えっと。胡桃沢?」

「なにか」

「い、いや。なんでも……」



 正直、胡桃沢とはあまり関わりたくないんだけどなぁ。友達になることは確かに認めたし、昨日はマイクを勧めた責任があるから仕方なく関与したけど。やっぱ微忘ルナの推し事を第一に優先する俺としては、そのノイズたりえる中の人の事は、あまり視界に入れたくないのだ。

 でも、それを理由に隣に座らないでくれと申し立てるのは、さすがに感じ悪い。

 仕方ない。隣の席に座る事くらい我慢しよう。

 講義中、特に雑談することなくお互い真面目に板書をノートにまとめた。集中して勉学に勤しんでいると、あっという間に、講義時間が終了した、

 筆記用具を鞄にしまい、俺は立ち上がる。



「じゃあ胡桃沢。またいつか……」

「真守くん」

「な、なに?」

「いっしょにご飯食べましょう」

「えっ。いや、でも」

「……ご飯食べましょう」

「わ、わかった。それくらい、いいよ」

「やった」



 袖をぎゅっと強く掴まれて不機嫌に睨まれて、俺はふたたび折れてしまった。

 はあ。なんでいつも断れないんだろう。風に靡く木葉のように押しに弱い俺は、どうにも、暴風のように押しが強い胡桃沢とは頗る相性が悪かった。

 一番譲れない事。微忘ルナに関わる事は頑固たる意志を持ち、主張を押し通せるのに……反面、それ以外のわりとどうでもいい事だと、張り合うのが面倒臭い気持ちが先行する。だからつい、俺から先に折れてしまう。そんな悪癖を自覚していた。

 一緒に食堂に行き、昼食を食べる。食べながら、講義の事で相談を受けたり。今度勉強会しましょう、と懇願されたり……。

 なんやかんやあり。

 次の週末、俺の家で勉強会を開くことが決定した。


 予定通り週末、勉強会を開いた。

 と言っても参加者は、俺と胡桃沢、二人だけ。

 今更だけど、この状況って結構やばくない? 

 安くて狭いアパートの一室。居るのは若い男女ふたりだけ。当然、なにも起こらないわけがなく……。



「……」

「……」



 最初こそ俺達はお互い真面目に勉強していた。キーボードをかたかたと打鍵して、提出期限が間もないレポート課題に取り組んでいた。たまに「ここ、どういう意味なんでしょうね」と聞かれたり、なんとなく首を回して凝りを解したり。正直、すこし気まずい空気感もあった。

 しかし集中力は時間が経つにつれ切れるもの。

 小時間経った頃。胡桃沢はキーを打鍵する指を休憩させた。意味深な溜息、とろんと垂れた甘い目蓋をこちらに向けてきた。まるで、なにか悪い遊びに誘われているような……。

 察しの悪い俺に辟易して、やがて胡桃沢は直接的な手段を取る。

 ノートパソコンをぱたんと閉じる。勉強を中断させる意思を伝えられて、俺は顔を上げた。



「真守くん、勉強飽きました」

「……っ?」

「だから……」



 息を呑む音。なにかをまさぐる布擦れ音が聞こえた。

 興奮の宿った眼差し。胸を細かく揺らす吐息。

 胡桃沢は突如、掌に収まりきらない『それ』を見せつけてきた。それを見て俺は驚いて瞳孔を開く。胡桃沢はその様子を見て、悪戯成功みたいに微笑んだ。

 そして胡桃沢は大胆にこう宣言した。



「――一緒にゲームやりましょう」

「ええ……。まあ、いいけど」

「やった」



 という事で、勉強会は幕を下ろして一緒にゲームすることになった。

 まったく。鞄にゲーム機を入れていたということはまさか最初から、勉強会は早めに中断して遊ぶつもりだったな。まあいいや。レポートは来週末に提出すればいいし。

 俺もゲーム機を取り出して一緒にゲームをはじめた。

 ちなみにタイトルは『フェアリー・スカイ』。

 微忘ルナがよく配信で遊んでいる探索系ゲームだ。

 広大な月世界を旅して空から落ちた『星の妖精』を探し、元の世界に還していく、という趣旨のゲーム。幻想的で優しい世界観。自由性の高いオープンワールド。他プレイヤーとの交流機能も豊富。小型会社によるインディーズゲームなため知名度はわりと低いが、某有名3Dゲームと比べても見劣りしないほどクオリティが高いため、隠れた名作として一部マニアに超絶人気を博している。

 微忘ルナの配信を通じて俺はこのゲームを知ったけど、実際すごいゲームだと思う。緩やかに動く雲、ざあざあと振る雨音。草木の揺れや鳥の囀りに至るまで。グラフィックや音楽の、細部の作り込みがすごい。良い意味で『雰囲気ゲー』である。

 ゲーム内世界は、今日は晴れ。

 満天な星空の下。俺達はゲームの趣旨たる『星の妖精』に出会うため、広大な草原のなかを駆け回っていた。



「あっ。いましたよ。妖精さん」

「えっ。どこ」

「ここです。岩の裏側」

「よし。これでクエスト達成だね」



 発見した星の妖精を、彼らの本来住まう場所たる世界に還してあげる。これで報酬のアイテムを獲得できる。

 星の妖精を見送った後。俺達は適当に、月世界の夜空を飛び回った。グラフィックが綺麗だから、それだけでも普通に楽しい。翼のようなマントを広げて夜雲のうえを飛行すると、明るい星空が見える。胡桃沢はそれを見て、



「さっきの妖精さん、どの星に還ったのかなぁ」



 と呟いた。すっかり世界観に没入している様子。

 俺も「そうだなー」と、この世界の一員になったつもりで返事する。



「あの一等星じゃない? わからないけど」

「いいなぁ。わたしも、星に行きたいです」

「星に行きたい、って」

「なんで笑うんですか。そこで」

「だってルナちゃんは、この月のお姫様なんでしょ? ずっとこの月世界に居ないとダメだよ」



 彼女はフェアリー・スカイの配信をする際は、世界観に没入するためそういう役を演じていたロールプレイングしていた。元々あるVtuberとしての設定も『月のお姫様』だから、そういう意味でもこのゲームとは相性抜群なのだ。

 月のお姫様のくせに「星に行きたい」と言う彼女のことを、変なの、と口を押さえて笑った。そして笑った直後――俺はハッと気づいた。

 無意識に胡桃沢を、ルナちゃんと呼んでしまった。



「い、今のは違う! これは……そう! 俺は胡桃沢ではなく、ゲーム内にアバターに向かいルナちゃんと語り掛けたんだ! ほら、データは同じじゃん。操作する人は胡桃沢だけど、ガワはルナちゃん。つまりゲーム内のこのアバターは実質ルナちゃんだよね? だからべつに、胡桃沢、きみに対してルナちゃんと呼んだわけではなく――って、胡桃沢?」

「……」



 胡桃沢はだんまりと俯いていた。普段の彼女の言動を思えば「えーなんでルナって呼んだんですかー。にやにや」みたいな揶揄う言葉が飛んできても、おかしくないだろうに。落ち込んでいるようなその姿を見て、すこし不安になる。

 胡桃沢は独り言のように、



「……そうです、よね。わたしじゃあ、きっと、星には手が届かない。どんなに努力を重ねても、きっと……月は、星には至らない」



 ぶつぶつと呟いた。

 ゲーム内の夜空をみて瞳を輝かせていた先程とは違い、陰鬱な重い顔色。

 心配になり俺は「だ、大丈夫? 胡桃沢」と彼女の肩を揺らした。その振動でようやく我に返る胡桃沢。「大丈夫です。べつに体調が悪いとかじゃないので……ごめんなさい」と、仮面のようなわざとらしい笑顔を張り付ける。

 本人は大丈夫と言うけど、やはり心配だ。画面酔いかもしれない。

 ゲームは中断して、一旦休憩した。本人は何度も大丈夫と言ってきたが「いや。微忘ルナの中の人になにかあれば俺が一番困る」と頑固たる意志を示し説得して、念のため俺のベットで横になってもらった。やはり体調が悪いのか、紅潮した顔色で布団を被る胡桃沢。「やっぱり真守くん、ルナの事になると急に別人みたいになるんですよね……。いつもは優柔不断の癖に」と、ごにょごにょと何か言っていた。


 翌日以降も、そのような日常が続いた。

 大学で会ったり、また一緒に勉強会したり。

 特に要件もなく俺の家に遊びに来たり……。

 もちろん、推し事を優先する俺の信念は今も不変だ。胡桃沢と微忘ルナをちゃんと区別した上で、いつも通り彼女のガチ恋勢として、配信にコメントを打ったりしている。だからバーチャル世界に限った話でいえば、今も昔も、なにも変わらない。

 しかし、リアルのほうは違った。

 すこしづつ、着実に。

 ――胡桃沢心音の存在は、俺の日常のなかに溶け込んでいった。

 微忘ルナの推し事を第一に優先したい俺として、やはり胡桃沢心音の存在はあまり宜しくない。胡桃沢心音はやはり、微忘ルナの推し事を続ける上でのノイズになりえる。現状はまだ、俺は正しく微忘ルナの推せているけど……。もし微忘ルナの配信を見ている時に、一瞬でも胡桃沢の顔がよぎったら。その時点で俺は、純粋な気持ちで微忘ルナを推していると言えなくなる。何度考えても、その可能性は否定できないから……やはり俺はいつか、胡桃沢に「もう顔を見せないでくれ」と突き放すべきなのだ。

 俺の理性は、クロバナは、そうしろと警報を鳴らし続けていた。

 でも俺は、真守は……。

 決断ができなく、ずるずると、彼女との楽しい大学生活を甘んじていた。このままがいい、と感じる邪な気持ちは捨て切れなかった。

 微忘ルナへの想いは変わらず。しかし胡桃沢への想いも、それに肉薄していく。……あともう少しで、リアルの毒牙がバーチャルを仕留める。

 そんな時期に。

 胡桃沢はまるで追い打ちをかけるように、



「真守くん。本物の星を観に行きませんか?」



 天体観測を提案してきた。

 

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