推しと星を見る件


 天体観測の約束日が来た。

 日課たる微忘ルナの配信が終わり次第、俺達は共に、奈幌市の郊外『宮の森』に向かった。宮の森は、山に囲まれた高級住宅街がある地域。どうやらそこに、胡桃沢がよく行く天体観測スポットがあるとの事。

 山の麓に着いた。どうやらここが目的地らしい。



「真守くん。ここからは徒歩で」

「ああ、わかった。――運転、ありがとうございました」



 俺の家から宮の森まで運んでくれたメイドさんに送迎の感謝を伝えた。メイドさんは呼応するように可愛いカチューシャを靡かせて軽く会釈してくれた。

 現時刻は夜11時。街灯はあるが辺りは暗い。

 先ほど車内で胡桃沢に渡された懐中電灯をつける。よし、これで問題無い。峠に向かう緩やかな勾配の道路を、胡桃沢と二人で歩き始めた。

 峠にはわりと早く到着した。どうやら標高の低い山らしい。

 坂を上る最中から既に見えていた、空を埋め尽くす綺麗な星々。それに負けない奈幌市の美しい夜景。改めて峠からそれを鑑賞した俺は――「綺麗だなぁ」と、柄にも無くうっとり呟いた。そうしていると、胡桃沢に袖を引っ張られた。



「真守くん。歩き疲れたし、あそこで少し休憩しましょう」

「あそこ?」



 胡桃沢が指差す方向に懐中電灯の光を向けた。そこには小屋があった。



「望遠鏡とか保管している小屋です。わりと広いし電気も通ってますから、のんびり休憩できますよ」

「えっ。勝手に入っていいの?」

「大丈夫です。そもそもこの山、わたしの家の私有地なので」



 とんでも発言を言い出す胡桃沢。……いやまあ、今更驚かないんだけどさ。ブラックカード然り、送迎役のメイドさん然り。胡桃沢の実家が太すぎることは重々思い知らされている。

 小屋の鍵を開けて、そこで暫く休憩した。

 胡桃沢は「ちょっと待ってください。今、ココア作りますから」と、持参したお湯にパウダーを注いでココアを作りはじめた。その間俺は、中に保管されている高そうな望遠鏡をぼうっと見ていた。……これ、後で使うのかなぁ。楽しみだ。新しい玩具を見つけた男児のような、期待に満ちた瞳。それに気づいた胡桃沢は言いづらそうに頬を掻いた。「あー、これ、実はいま故障中でして……。今日はふつうに観ましょう?」と言われた。なんだ、それは残念。手渡された温かいココアを飲み、俺は溜息のように白い息を吐きだした。

 充分休憩した。



「そろそろ星を観ましょう」



 胡桃沢から切り出された。俺は頷く。

 これ運んでくださいと言われて、ブルーシートと梯子を腕に抱えた。どうやら小屋の屋根の上で星を観たいらしい。暗い足元に気を付けながらうんしょと梯子を昇る。屋根にブルーシートを敷いた。

 天体観測のセッティングは完了した。しかし、ひとつ気になることがあった。



「……あの、胡桃沢」

「どうかしました?」

「このブルーシート、小さすぎない?」



 屋根に敷く用のブルーシート。これがないと、寝転がり星を観るときに服が汚れる。胡桃沢が一人で使うぶんには充分だけど、そこに俺も入るとだいぶ窮屈ってサイズだった。

 胡桃沢は鼻歌交じりにあっけらかんと言う。



「一人用のサイズですからね。普段ここにはわたし以外来ないので、そのサイズしか置いてないんですよ」

「……まあいいや。俺、屋根に直で寝る」

「暗いから見えないけど、野鳥の糞そこらに落ちてますよ」

「ええ。まじで?」

「だから、ね? 一緒に、一人用のこれ使いましょう。狭いけどギュウギュウに詰めたらたぶん大丈夫ですよ」

「でも。俺、男だし……」

「望むところです」

「いや俺が望まないって話なんだけど……」

「いいからいいから」



 結局いつも通り、胡桃沢に押し負ける形になる。根負けした俺は距離感に気を付けながら、狭いブルーシートのうえに背中を預けた。

 隣に感じる胡桃沢の気配。仄かな甘い匂い。

 それを感じると瞬く間にどくりと胸が早鐘を打つ。

 しかし、それは最初だけだった。



「――おお。すごいな」



 視界に広がる絶景の夜空を見た途端。隣に寝転がる彼女の存在を一瞬完全に忘れて俺は、心を絞るような感嘆の声を漏らした。

 雲一つない快晴の夜空にぽつぽつと浮かぶ、蛍のような光を放つ星々。

 星空自体は峠に向かい山道を歩いている最中もずっと見えていた。その時点で充分に綺麗だな、今日来たかいがあったな、と満足していたけど……。

 屋根に背中を預けて、視界にいっぱい星空を埋める。星空に浸る。

 その行為はただ夜空を眺めるのとはまた違う、格別な感動があった。



「なんか、宇宙のなかに居るみたい」



 柄にも無い感想を呟く。でも例えるなら、そんな感覚だ。

 胡桃沢はその言葉にぴくりと反応した。



「わかります。だからわたし、こうして星を観るのが大好きなんです」

「俺、普段あんま星とか見ないんだよね。たまに窓越しに星空を眺めることはあるけど、街中の星空なんて、だいたいちっぽけなものだし。だからこそ景色のグラフィックの評価が高い『フェアリー・スカイ』の星空を見て、本物よりすごいなぁ、とか思っていたんだけど……。うん。これは、それ以上かも」

「冬の星空はもっとすごいですよ?」

「へぇ。そうなんだ」

「星空は、大気が乾燥している冬がいちばん綺麗なんです。ほら、霧がでる日は大気が白くぼやけているでしょう? 乾燥しがちな冬はそれの逆。視界を霞ませる水蒸気が少なくて大気の透明度が高いから、遠くにある星が、綺麗によぉく見えるんです」

「さすが胡桃沢。まるで星博士だな」

「ふふっ。でも、この時期の星空もなかなか侮れなくてですね。それこそ、ひときわ明るいあの七つの星。あれが真守くんも名前は知っているだろう、北斗七星で……」



 その後も、胡桃沢はつらつらと星の知識を教えてくれた。まるでプラネタリムのナレーションみたいに。

 砂粒のような星の中から「あの星はこぐま座で~」と指差しで説明されても、正直よくわからなかった。美しい星空をみて綺麗と思う感性はあっても、やはり俺は、胡桃沢ほど夢中になれないな。

 語り疲れてふぅと溜息を吐く胡桃沢。

 視線はそのまま「ところで」と俺に尋ねてきた。



「真守くんは、どの星が一番綺麗だと思いますか?」

「どの星、と言われてもな……」



 1等星も2等星も、同じ輝度に見える。

 どの星も等しく綺麗だと思うけど。



「あっ」



 俺はふと思いついた。



「俺が好きなのは、あの星かな」

「あれは……月?」

「ああ」



 夜空のなかで一番輝いていて、一番大きく目立っている星を指差した。

 胡桃沢はその回答を聞いて、どこか納得いかないように返事する。



「この満天の夜空のなかで、わざわざ『それ』を選びますか? 場所問わず、夜になればいつでも見えるものなのに……」

「えー。でも、きれいじゃん」

「きれいかも、だけど」

「なんか微妙な反応だね」

「だって、月と星はまた違うものだから。月は星の一部だけど……でも、天体観測と表して月見団子を食べる人はいませんよね?」

「まあ、言われてみればそうだな」

「星は星。月は月です」

「なるほど」



 以前俺が言ったバーチャルとリアルを区別する言い回しを流用されて完全に納得した。

 親しみ深く一番綺麗な衛星だから月と言ったが――しかしよく考えたら結構空気読めてない回答である。山の峠まで天体観測に来て「月が一番好きだなぁ」とか。じゃあ家のベランダで見てろよ、って話だ。俺は反省した。



「月以外なら、あの星かな」



 一等星を指差して改めて回答した。実際にふつうに綺麗である。

 それを聞いた胡桃沢は、なぜか珈琲のような苦々しい声色で、



「やっぱり、一等星がいちばん綺麗ですよね……。ふふっ」



 諦観が滲んだ不可解な暗い微笑みとともにそう述べた。なんかよくわからないけど、選択肢をミスった感覚だ。月と答えた先程のほうがまだ好感触だった。

 女心は星座みたいに意味不明だな、と思いつつ。

 話を切り上げるように星見を再開した。

 吸い込まれるような暗い夜空に、まるで眠るように意識を預ける。

 時間帯もあり、実際眠くなってきた。目蓋が重くなる。



「なあ胡桃沢」



 眠気覚ましの為に、俺はなんでもいいから話題を切り込む。



「今更だけど、なんでそんなに星が好きなの?」

「なんで、と言われても……」

「好きになる理由って、絶対にあると思うんだよね」



 実感とともに言った。

 俺は微忘ルナのことが大大大好きだけど、それだって理由がある。例えば声の可愛さ。憧れの姿に至ろうとひたむきに頑張り続ける姿勢。毎日配信する高い活動意欲。

 胡桃沢はうーんと悩んでいた。「改めて聞かれると、なんでだろう……」と。そして、頭の中を整理して話すように、



「たぶん――憧れの象徴だからだと思います」

「憧れ?」

「わたし、小さな頃、物語のヒロインに憧れていたんです」



 胡桃沢は目を輝かせて星を見ながら、昔のことを語り出した。



「前にも言いましたよね。小さい頃、病気がちで入院してたって。実は当時、二十歳まで生きられないと余命宣告を受けていたんです。……あっ、安心してください。当時の話です。奇跡的に完治して、今はこの通り元気溌剌ですので」



 余命宣告と聞いて吃驚したが、そう補足されて安堵の息を吐いた。

 胡桃沢は続ける。



「まあそんな幼少時代がありまして。ろくに学校に行けず外で遊ぶことも許されず。毎日毎日、病院にひきこもり本を読んだりパソコンでゲームしたりと暇で暇でしかたがない生活を謳歌していました。……だからでしょうね。当時わたしの意識は『二次元』の中にあったんです」

「……意識が、二次元の中?」

「自分がその物語のヒロインだと思い込み主人公のことを本気で好きになったり。自分のことを本気で『月のお姫様』だと思い込んだり……。そういう妄想癖がありました」



 胡桃沢はまるで自虐するように微笑み「ふふっ。やってることは今も昔も変わりませんね」と呟いた。まあ妄想癖は子供ならよくある話だ。現実と妄想の区別は、情緒が未発達なほど難しいと聞く。俺にも少なからず心当たりがあった。

 胡桃沢は声を落とした。



「だから成長してそれが空想のものだと理解したとき――わたしは『二次元』の世界に焦がれるような憧れをもちました。あの世界に行きたい。かわいいヒロインになりたい。王子様のような主人公に愛されたい、と。むろん不相応な願いとは理解しています。しかし憧れには、美しい星には……手を伸ばさずにいられないのです」



 そう言い、彼女は手を伸ばした。

 夜空に浮かぶ遠き星々を掴むように。憧れを叶えるように。

 ――その美しい輝きを、ぎゅっと握り込んだ。



「……ふふっ。叶わない願いなんですけどね」



 勿論、遠くにある星を掴めるはずもない。彼女が開いた掌にはなにも無かった。

 虚無を掴んだ掌を確認して胡桃沢は残念がるようにふぅと息を吐きだした。潤んだ瞳を隠すように目蓋を閉じた。



「強いていえば、それが理由でしょうか」



 胡桃沢はそう言い話をまとめた。

 なるほど。手を伸ばして届かないものとして星に『二次元の情景』を重ねたのか。

 眠気覚ましで適当に吹っ掛けたつもりが予想以上にシリアスな話になり、多少困惑する俺。でも緊張の走るこの空気感のおかげか、すっきり目が冴えた。



「そうか。だから胡桃沢はVtuberになったんだな」



 三次元に生身をもつ存在が、遠き二次元に近づける手段。

 それがVtuberになる事だ。

 胡桃沢は小声で「はい」と頷いた。



「わたし、Vtuberになりたかったんです」

「なりたかった、って。変な言い方だなぁ。既にVtuberなのに」



 突っ込むと、胡桃沢は首を丸めてまるで受け流すように冷笑した。溜息混じりのような声色で「かもですね」と一言述べて、それ以上言うことはないといわんばかりに話を切り上げた。と思いきや、振り返り背後から刺してくるみたいに、



「……違うんですけどね。わたしは」



 ぽつり、と胡桃沢は呟いた。

 どういう意味だろう。そう思い、俺は首をこくりと傾げて隣にいる胡桃沢のほうを見た。しかし美しい夜空に夢中になっている胡桃沢は、尋ねるようなその視線に気づかない。あるいは、気づかないふりをする。

 またしばらく時間が経つ。ぼうっと星空を鑑賞する。



「ねえ。真守くん」



 胡桃沢は突如、緊張を孕んだような震えた吐息とともに、どこか切なげに、俺の名前を呼んだ。なに、と聞き返す前に――。



「わたし、貴方のことが好きです。付き合いたい」



 美しい星空のもと。胡桃沢は三度目の告白を告げてきた。

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