推しにブロックされた件
結局、そのやりとりを最後にオフ会は終了した。胡桃沢はどこか怒ったふうに「失礼します」と言い、踵を返して駆け足でカラオケ店を出た。その背中を追いかけようと思ったが、ついてくるなオーラを感じて尻込みしてしまう。――セルフレジで精算した後、俺も駆け足で店を出た。その頃にはすでに付近に、彼女の姿は見当たらなかった。
家に帰宅した。
雪崩れ込むようにベッドのうえに寝転がる。今日は疲れたな、と溜息を吐いた。
「……あっ、そういえば」
ふと思い出す。肝心なことを聞き忘れた。
「ルナちゃんは――胡桃沢さんはどうして、俺のことが好きなんだろう?」
本来ならまず真っ先に考えるべき当然の疑問。微忘ルナの役者さんに会える興奮と緊張感のせいで霞んでいて、二の次の事として考えていた。ひと悶着終わり冷静になった今、ようやくその疑問に向き合う。
まず思いつくのは『俺が彼女の古参勢だからって理由で、惚れた可能性』実際彼女もやんわりと示唆することを言っていた。でもだからって、そんな理由で告白するかぁ? とは正直思うけど。……次に思いついたのは『SNSでの俺の呟きをみて、そこから滲み出る人間性に惚れた可能性』。いや、それはさすがに無いな。庭園でみた名前の知らない黒い花をアイコンにするような、凡庸なセンス。そこから滲み出る、草を食う山羊のような、男らしさに欠けた人間性。当然SNSで呟く内容も、昼飯の写真だったりと、つまらないもの。
……客観的に考えて、やっぱ無いと思う。
俺みたいな一般リスナーに告白とか。
「まあいいや。考えてもわからん」
思考を切り上げた。どーせ、もう過ぎた話だ。ルナちゃんの役者たる胡桃沢さんには、今日はっきりと告白をお断りする意思を伝えたんだし。
……ああでも。
胡桃沢さん、マジで綺麗な人だったなぁ。
梅雨を彩る紫陽花のような慎み深い可憐さと、物腰丁寧な柔らかい雰囲気。美しい濡羽色の髪艶を思い出して、うっとりと感慨に耽った。
もし彼女がフツーの女の子だったら間違いなく諸手を挙げて告白を受け入れていた。それこそ告白を拒否した理由なんて『微忘ルナの推し活に支障がでる可能性大だから』以外にないわけで。その理由を抜きにしたらまるで文句が見つからない。まさに俺の好みドストライクの女性だった。
目蓋を瞑り、余韻のような名残り惜しさを噛み締めた。そうすることで今度こそ、気持ちをスパッと切り替えた。起き上がり胡坐をかく。スマホの電源を入れた。
「さぁて。今日もルナちゃんの配信観るかぁ」
現在時刻は午後5時。
微忘ルナの配信は毎日いつも、月が微かに照りだす暮夜頃に開始される。
配信開始の通知が来た。俺はすかさずにそれをポチっと押して配信枠に移動した。
【ルナちゃん! こんばんは!】
いの一番に素朴な挨拶コメントを打ち込んだ。
ちなみに微忘ルナの配信にはお決まりの挨拶がない。以前本人が言った言葉をそのまま引用すると――『ほら。お決まりを作りすぎると、雰囲気が閉鎖的になって、初見さんが寄り付かなくなると思うから。二郎系ラーメンみたいに』とのこと。初見さんに配慮した、彼女なりの工夫である。リスナーとの繋がりを重要視するVtuber。それこそ微忘ルナだった。
急にバズって同接数とコメントが急増しないかぎり、ルナちゃんは基本的に送られたコメントすべてに触れてくれる。――いつもなら、そのはずなのに。
【あっ。『川より海派のカワウソ』様。こんばんはー】
「……あれ?」
二番目にきたコメントが読まれた。俺のコメントはスルーされた。
見逃しちゃたのかな? まあいいや。
コメントを読まれないことに文句を言うのは三流リスナーのすること。そも前提として、コメントを読む判断は配信者の自由だ。分を弁えたリスナーたる俺は、一回二回スルーされたところでいまさらガッカリしないさ。ハハハっ。
……と、思っていたが。
【ルナちゃん。今日はたくさん人来てるね!】
【フェアリー・スカイ、最近またアップデートきたよなぁ】
【そういえばSNSで配信開始ツイートした? 通知きてないけど】
【今日、配信の調子悪いのカナ? それとも、おまかん?】
流石にここまで触れられないと不安も抱く。今までの微忘ルナの配信からは考えられない異常事態だと気づき、俺なりにいろいろ試してみた。回線の不具合かと思い至りルーターを再起動してみたり。配信視聴アプリを一度削除してふたたびインストールしてみたり。でも、ぜんぶダメ。一向に、俺のコメントは読まれない。
ふと思いついた。
もしや、コメントを非表示にされているのでは?
「……いや、そんなはずは」
否定はできない。今日ひと悶着あったばかりだし。
わかっている。ルナちゃんだってきっと……機嫌を損ねたからって、そんなことはしないはず。
一応、念のため、SNSのほうも確認した。仮に『そうだとしたら』、微忘ルナのアカウントは表示されない。杞憂であれと願いつつ、フォロー欄の中から微忘ルナの名前を探した。
その結果。
「――」
無情に表示される『あなたはブロックされてます』という文字。
頭が真っ白になった。
「……どうして、ルナちゃん」
俺はただ、きみを推し続けたかっただけなのに。
行き場のない不満が胸に蓄積した。コメントの非表示、SNSのブロックがなければ直接この不満を彼女に伝えれたのに。連絡手段が断たれた以上、いちリスナーにすぎない俺にはもはや抗議の声をあげる手段がない。
いや、まだだ。
まだひとつだけ連絡手段が残っていた。
メッセージアプリを開いた。今日友達登録された『ここね』の名前を探して、無地のキャンパスのようになにも書かれていないトーク画面を開いた。
そして汗ばむ指先で、怒涛のように文字を入力した。
【――胡桃沢さん。突然の連絡失礼します】
【いま、SNSのアカウントを確認して、ブロックされていることを知りました。たぶん配信のほうも、非表示に……】
【ごめんなさい。今日のことで傷付けてしまったんですよね。謝ります。返事の内容はともかく、言い方が悪かったです】
【胡桃沢さんのことは素敵だなと思います。微忘ルナの役者さんとして、尊敬もしています。だけど俺は微忘ルナが大好きだから、やっぱ推し活を優先したくて……。もしあなたと付き合うことになれば、俺はもう、微忘ルナを推せません。どうしてか。具体的な理由はむずかしくて説明できないんですけど、そういう確信があります。『誠実な推し活』ができなくなると】
【だから告白の返事は撤回できません。その代わり今後もルナちゃん一筋でいくんで。何卒ご容赦いただけないかと】
【……せめてブロックだけは、やめてくれませんか? 推し活は俺の生き甲斐なんです。付き合えとかそういうのじゃなければ……俺、なんでもいうこと聞きますんで……】
弁明のメッセージを連投した。
1時間後。配信が終わっただろう頃にようやく既読がついた。トーク画面に張り付いていた俺はごくりと生唾を呑み込み、返信を待った。会話ツリーの一番下に、短い文章があげられた。その内容。俺の弁明に対する返事は――。
【いやです】
「ミっ」
無情な判決に、俺は死んだ。
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