第8話 やさしさの原動力
ウラジオストクから船が出港する。出航の合図の大きな汽笛の音を聞いて、おれは目を覚ました。あれ、おれは何をしていたんだ? そうだ、おれは今、オヤジの隠し湯で酔っ払って寝ていたんだ、と思い出した。
なぜだか、おれの枕はグショグショに濡れていた。
そのとき、とてもかぼそい音で、横の方からシクシクと泣く声をおれは感じ取った。野生動物のクマの聴力でなければ気づかないような、そんな小さな音だ。もしかして、クマイも夢を見て泣いているのかなとおれは思った。そっとクマイの方を見るとそうではなさそうだ。
良く聞いていると、どうやら狸三郎が泣いているようだった。事情はわからないけど、おれは何かしら声をかけてやりたいと思った。でも、なにかこう、うまい言葉がでてこないのだ。安易に踏み込んだら、また思春期の心のトゲトゲを刺激しちゃうんじゃないか、そう考えるとどういう言葉をかけようか、思考がぐるぐると回ってまとまらないのだ。声をかけてやりたい気持ちと、いい言葉が思い浮かばない葛藤のなか、破れかぶれで「どうしたんだ?」と考えられる中で最悪の悪手が、おれの口を出そうになった瞬間、隣のクマイがむくりと起き上がって言った。
「うぅ~、十一月ともなると寒いですねぇ~。狸三郎さん、申し訳ないですけど一緒に寝てもらえませんか? ボク、なんだかお腹が冷えちゃって…」
「なんだよ、シロクマのくせに寒さに弱いのかよ。」
狸三郎はさもめんどうくさそうに起き上がると、ササっと涙をぬぐって何事も無かったかのような顔をして、クマイの布団にもぐりこんだ。そして、そのまましばらくの間、無言の時が流れた。おれは布団をかぶって再び眠ろうとしたがなぜか眼が冴えて眠れなかった。まどろむことも出来ず、ぼーっと天井を眺めながらかなりの時間を過ごした。そろそろ眠くなったかな、と思った頃、狸三郎のかぼそい声がした。
「クマイの身体って、フカフカで温かいんだな…」
「そうですか?」
「母ちゃんっていうのは、こういう感じなのかなぁ。」
「さぁ…どうなんでしょうねえ…」
「俺さあ、四国で生まれて、親とはぐれて、気づいたらずっと兄ちゃんと二人でさ、流れ流れて横浜へきただろ? だからさ、お母さんとか、そういう存在が良くわからないんだ…」
「そうなんですか。恥ずかしいんですけど、ボクは今でも時々、ママに会いたくて泣いちゃいます。」
「そうなんだ、クマイが羨ましいな。」
「そうなんですかねえ… でも、寂しいけどきっと、良いことなんでしょうねぇ。」
聞いているおれはなんだか、目や鼻からズルズルと色々なものが出てきた。音を立てないように、それらをそっと浴衣の袖で拭った。そしてまた、狸三郎のつぶやきが聞こえてきた。
「俺さ、なんかずっと寂しいんだ。兄ちゃんが嫌なわけでもないし、今の生活が嫌なわけでも無いんだけど。でもなんかずっと…こころのどっかに、常に寂しさがあるんだ。」
「そうなんですか、言われてみると、ボクもずっとそういう部分をもってるように思いますねぇ。」
その瞬間、おれ自身は黙っていようと思っているのに、おれの無意識がまるで勝手に喋るかのようにして言葉が口をついて出ていた。
「クマイのやさしさの原動力は、その寂しさだと思うぜ。」
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