(4)
1階の混雑が嘘だったかのように、2階はかなり空いていて、窓際の4人がけの席をとることができた。辺りを見回したが、うちの学校の生徒らしき客はいないようだった。峰岡と2人きりでいるところを同級生に見られたら面倒なことになるかもしれないので、助かった。まあ、誰も俺らに興味持ってないだろうから、見られたところで何も起きないとは思うけど。俺はバックパックを椅子に置いて椅子に座った。
席についた途端、峰岡はバニラシェイクを早速吸った。口に入った瞬間真顔になり、それから数秒後に神々の食物でも口にしたのかという笑顔になった。
「美味しい……」
「そんなにか」
「今までお母さんに騙されていた気分です。これだったら身体に悪くても飲みます」
そうやってシェイクに夢中になっている峰岡を見ながら、俺はコーヒーをすすった。ブラックコーヒーの熱さと苦味に顔をしかめてしまう。もう少し冷ますか。俺はコーヒーをテーブルの上においた。
「峰岡、流石だな。よくディスプレイの細工に気づいたな」
「えへへ。あと、確証がなかったのでその場では言えなかったのですが、誰が何のためにテープを貼ったのかも、想像がついています。木下くんはどう思いますか」
峰岡はシェイクのストローを咥えたままそう言った。窓から見える商店街の風景を見下ろしながら、どう話すべきか頭の中をまとめてみる。実は、その点については俺も引っかかっているところがあった。
「おそらく、あの太った先輩の店員だろ」
「どうしてそう思いましたか」
「そうだな」
俺はコーヒーをほんの少しだけ口に含み、唇を湿らせた。
「まず、呼び出し用のパネルに単にビニールテープが貼ってあっただけなんだったら、もっと早い段階で気づけたはずだ。今、客が多くて忙しいタイミングで、しかも研修中で仕事に慣れてないバイト君だったからこそ、気づかなかった。だから、あのテープはバイト君が呼び込みをはじめる直前に貼られた可能性が高い」
「そうですね」
「そして、バイト君が受け取りカウンターに立つ直前にあそこに立っていたのは、あの先輩君だ。バイト君が呼び出しをはじめる直前にパネルに細工ができたのはあいつだし、バイト君を受け取りカウンターに誘導したのもあいつだ」
「やっぱり見てましたか」
峰岡は笑い混じりにそう言った。
「後は、これは憶測なんだけど、先輩君にはバイト君を貶めて怒鳴りたい動機があったんじゃないかと思ってな」
「というと?」
「あいつはバイト君を怒鳴る時『大学生のくせに』という趣旨の言葉を繰り返していた。今どき大卒なんて別に珍しい資格じゃない。それに、先輩君とバイト君は同じくらいの年齢に見えるし、大学に行っててもおかしくないくらいに見える。ことさらあんなふうに言うってことは、大学に通っているバイト君を妬んでるんじゃないかなと思ったんだ」
「私も全く同じことを考えていました。流石ですね」
褒めてもらったので少しいい気分になった。でも俺は、峰岡がさらりと見破ったデジタル表示の件にはまったく気づいていなかった。ちょっと悔しい。
涼しい顔でシェイクを啜っていた峰岡に、質問を投げかけてみた。
「峰岡も、誰かを妬むことってあるか」
「まあ、その……ないと言えば、嘘になりますね」
峰岡は目線をそらし、渋々といった声で答えた。驚いた。この峰岡という女、推理のみならず、勉強もスポーツも芸術もだいたい何をやらせても人並み以上にできる奴なのだ。そんな峰岡が嫉妬する相手なんているんだろうか。峰岡は少しだけ顔を膨らませた。
「その……正直に言うと、木下くんみたいになりたい、と思うことが結構あります」
「はぁ?」
意味が分からなすぎて変な声が出てしまう。咳払いをして話を続けた。
「このガリガリ根暗キモオタクの俺のどこに嫉妬する要素があるっていうんだよ」
「いやいや、『ガリガリ』しかあってないですよ」
「どうせならそこも否定してくれよ」
そういうと峰岡はクスクスと笑ったが、手に持っていたシェイクのコップを机の上に置いて、真剣な目で俺をじっと見た。
「木下くん、こんな風に帰り道に買い食いをすると、親に怒られたりしませんか」
「いや、何も言われない」
うちの両親は共働きなので、昼飯代として少し多めに小遣いをもらっているが、その使途をいちいち確認されることはない。まあでも、今時の中学生なら普通なんじゃないかなと思うんだけど。
「私の家は厳しくて、放課後に買い食いなんて許してもらえません。だから今日は、たぶん家に帰ると怒られます」
「黙っとけばいいじゃん」
「もちろん黙ってるんですけど……その、自分ではわからないんですが、私、黙ってても顔に出ちゃうタイプらしくて、問い詰められると言ってしまうんです」
「あー……」
俺が納得のあまり思わず声を出すと、峰岡は少し不満そうな顔をした。なにが不満なんだ。お前が自分で言ったことだろう。
「まあそういうわけで、木下くんみたいに自由に振る舞ってみたい、というのは結構思います」
「うーん……まあでも、見方によっては、そうやって自分のことを心配してくれる親の方が良いってこともあるじゃないか。うちなんて放任主義すぎて、多分俺がその辺で事故死してもしばらく気づかないかもしれないぞ」
「流石にそこまでではないでしょう」
峰岡は笑い混じりに言った。俺もそうだと信じたいけど、これがマジな可能性があるんだよな。いざ死んだと知ったら、養育費が浮いてラッキーとか言い出しかねない。
「まあ、それはさておき、峰岡でも他人を羨ましいと思うのかと驚いた。なんでも人並み以上にできる奴だと思ってたから」
「そんなこともないですよ。買い食い以外にも、できないことばかりで、嫌になります」
峰岡ができないことばかりで苛立つって言うなら、俺なんてできないことの多さに憤死しないといけない。なんだか釈然としなくて黙っていると、峰岡はフッと息を漏らして笑った。
「嫉妬は、自分の欠けてるところから生まれるんだと思います。でも、何が欠けてると思うかは、人それぞれですよね」
「そうだな」
「そうだとすると、他人を妬むよりも、自分が自分をどう捉えているかを見直すところから始めるべきなんでしょうね」
俺は峰岡の言葉に頷く代わりに、すっかり冷めてしまったコーヒーを口に含んだ。さっきよりも苦味が強くなっているような気がした。
(短編「欠けているのは」 おわり)
欠けているのは 山田ツクエ @ymdtke
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