伏線相違の連鎖

森本 晃次

第1話 アレルギーとアナフィラキシーショック

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ただし、小説自体はフィクションです。ちなみに世界情勢は、令和三年七月時点のものです。それ以降は未来のお話です。


 K警察署では、その日これと言った事件もなく、平和な一日が終わろうとしている午後九時というと、当直刑事と、もう一人、ちょうど研修から帰ってきて、出張精算所を書くためだけに帰ってきた刑事と二人で、夕飯を食べていたところだった。

「今日は、皆早かったんですね?」

 という昨年に巡査勤務から刑事課に配属された隅田刑事は、そう言った。

「ああ、そうなんだ。君が研修に行っている間の三日間は結構平和だったんだぞ」

 と、当直の桜井刑事がそういった。

「先輩、夕飯はどうするんですか?」

 と聞かれた桜井刑事は、

「狐狸庵にうどんを注文したところさ」

 というので、

「じゃあ、俺も追加できるかな? 昼はほとんど食べてなかったので、腹減っちゃってですね」

 と隅田刑事は言った。

「なんだ、ちゃんと食べなきゃいけないじゃないか」

 と桜井刑事がいうと、

「そうなんですけどね、でも、普段肉体労働と言ってもいいくらいの俺たちが、研修という名目で朝から晩まで机に座っての勉強ですよ。食事が進むわけないじゃないですか。ここに帰ってきて、刑事課の匂いを思い出しただけで、食欲がわいてくるというのもごく自然なことではないですか?」

 と隅田刑事は言った。

(このセリフは、今度の事件の核心に迫るところで出てくることになる)

「そんなものなのか? あまり急いでがっつかない方が身体のためだぞ」

 と、桜井刑事は苦笑いをしていた。

「じゃあ、俺は鴨なんばでお願いします」

 と隅田刑事は追加で注文していた。

 それから、二十分くらいしてから注文していた料理が届いた。

 桜井刑事は肉うどんのようで、隣の鴨なんばを見て、不思議そうに首を傾げながら、

「隅田。お前さっき、それを鴨なんばって言わなかったか?」

 と言われて、

「ええ、言いましたよ」

 というので、

「鴨南蛮というのが正しいんじゃないのか?」

 と言われた隅田は、得意げな顔をして、

「いえいえ、鴨なんばでいいんですよ。鴨なんばの具材は、基本は鴨肉とネギなんです。なんばというのは、このねぎのことなんですね。ちなみに、なんばというのは大阪に地名があるのをご存じでしょう? そこに明治時代、広大なネギ畑があったというのも、難波という言葉の語源だと言われているんですよ。南蛮というのは、そもそもネギのことで、昔南蛮渡来の人が健康保持のために食べていたという説もあるようですが、実際には、難波説の方が有力なようなんです。だから、大阪にいる頃は、鴨なんばと言っていましたね」

 と、説明していた。

「お前なかなか詳しいな」

 と言われ、してやったりの顔をして、食べ始めた。

「俺、実はねぎは嫌いなんですけど、鴨なんばだったり、鍋に入っているねぎは嫌いじゃないんです。水炊きなどに入っているねぎは好きですよ」

 と隅田に言われ、

「どういうことだ?」

「煮たり炊いたりすると、ねぎのあの苦みが消えて、しなっとなるでしょう? あれが結構おいしいんですよ」

 と返事をした。

「なるほど、嫌いなものでも、調理方法によっては、好きなものに変わるということだな?」

 という桜井に、

「そうなんですよ。本当は刑事たるもの、何でも食べないといけないとは思うんですが、そうは言っても、嫌いなものは嫌いです。身体が受け付けないというものもあったりしますからね」

 と隅田がいうと、

「そうなんですよね、昔の幼稚園の話などを聞くと、牛乳が飲めない子は、残されて飲めるようにさせていたというから、考えてみれば怖いよな」

「ええ、牛乳に限らずですが、アレルギー性のものは結構食べ物にはありますからね。それに気づかずに無理やり飲ませたりすると、中毒を起こしますからね」

 と隅田が答えた。

「アナフィラキシーショックというやつだな? 俺も聞いたことがあるよ。この言葉を最初に聞いたのは、ハチに刺された人の話を訊いた時だったんだよ」

 と桜井がいうと、

「ハチですか?」

 どうやら、隅田はこの話を知らないようだった。

「ああ、スズメバチなどの話なんだけど、スズメバチのような毒性の強いハチに、二度刺されると死んでしまうという話を訊いたことがあるかい?」

 と言われた隅田は、

「ええ、そういう話は聞いたことがあります」

 と答えた。

「だけどな。ハチに刺されて死ぬというのは、ハチの毒が直接の死因ではないんだ」

 と桜井はいうではないか。

「どういうことですか?」

「人間というのは、身体に何か毒が入ってきたりすると、身体の中でその毒と戦うそうなんだが、その時に、一緒に抗体というものを作るというのは知っているかい?」

 と聞かれた隅田は、

「ええ、知っていますよ。風邪を引いた時に出る発熱というのも、身体の中で風邪の金と戦っているからだと聞きました。だから、熱が出てくると、冷やすのではなくて、熱が上がりきるまで身体を暖めるんだそうですね。僕も小さい頃はよく高熱を出していたので分かるんです。熱が上がり切っていない間は、身体に熱が籠って、汗も出ずに、身体がかなり熱くなっているんですよね。でも、そういう時って却って寒気がして、身体がブルブル震えるんです。桜井さんも見たことがあるでしょう? 高熱の人が、ブルブル震えているところを」

 と言った。

「ああ、分かる気がする。それって、麻薬患者の禁断症状などもそれに近いのかも知れないな」

 と桜井刑事は言った。

「ええ、そうなんですよ。それでね、熱が上がり切ってしまうと、今度は急に身体から汗が噴き出してくるんですよ。額から玉のような汗が出てきたりしてですね。そうなると、急いで下着やパジャマを変えたり、シーツを変えたりする。下着などは、十枚くらいいりますからね。絞れるくらいに汗が噴き出してくる。そうすると、そこから頭を冷やすんです。汗で毒素が出てしまうということですね」

 と隅田がいうと、

「なるほど、そういうことなのか。それが自浄効果のようなものなのかも知れないな」

 と桜井がいうと、

「まあ、そういうことです。ところでさっきのハチの毒の話の続きは?」

 と聞かれた桜井は、我に返って、

「ああ、そうだった。ハチの毒が最初に身体に入った時には、普通の応急手当で何とか収まるんだけど、その時に身体の中に、スズメバチの毒に対しての抗体ができるんだよ」

 と桜井は言った、

「自分を守るための抗体なんでしょう? だったら、二度目で死んでしまうというのは?」

 という隅田に、

「ここで出てくるのが、アナフィラキシーショックというものなのだが、もう一度スズメバチに刺されると、毒が侵入してきて、それに反応するのが、抗体なんだよ。その抗体はハチの毒性に過敏に反応してしまって、副作用のようなものを起こす。それがアナフィラキシーショックというものなんだ。これは、一種のアレルギーのようなもので、例えば、何かの食べ物にアレルギーを持っていると、それを食べると身体の中の抗体が反応してアナフィラキシーショックを引き起こす。下手をすれば死に至るので、アレルギーの有無は絶対に本人と、それを知っているまわりがしっかり監視する必要があるし、今は食べ物なんかにも、アレルゲン表記として、義務化されているというのは、そういうことがあるからなんだ」

 と、桜井刑事に教えてもらった。

「そういえば、アレルギーというのは食べ物だけではないですからね。ゴムや、金属でもアレルギーがありますよね?」

 と隅田がいうと、

「そうだな、ラテックスアレルギーであったり、金属アレルギーというものだな」

 と桜井刑事は言った。

「金属もそうだけど、ラテックスアレルギーも大変ですよね。コンドームでもダメなんでしょう?」

 と聞かれた桜井は、

「ああ、そうなんだよ、だから、今はラテックスアレルギーの人でも大丈夫なように、ポリウレタンであったり、イソプレンラバーでできているコンドームもあると聞いたことがあるそ」

 という。

「そうなんですね。男としてのエチケットですからね、それに、アレルギーというのは女性にだってあることなので、男性が初めてその子とセックスをする時って、基本的にアレルギーだとは知らないはずなので、男が用意していることはないですよね。そうなると、女性側が絶えず携帯していることになるから、男にまず、これを使ってと言わなければいけない。アレルギーだとちゃんと言えばいいけど、それを言わずに渡すと、相手の男性は、その子が日常的にコンドームを使用しているんじゃないかって勘ぐってしまうのも無理もないかも知れない。それを思うと、アレルギーというのは、一歩間違えると死に至ることもあるので、よほど気を付けておかなければいけないんですね」

 と隅田は言った。

「そうなんだ。特にさっきのスズメバチの話に戻るんだけど、二回目に刺されて毒が回ってきたところで抗体と反応し、そこで余計なアレルギーを引き起こすことになる。それがいわゆるアナフィラキシーショックと言われるものなんだ。つまりね、何が言いたいのかというと、ハチに二度目に刺された時に死ぬというのは、ハチの毒が直接死因になるわけではなくて、直接的にはアナフィラキシーショックが起こって、それが死に至らしめるということなんだ。そこのところをしっかりと理解しておかないと、救急で救命しないといけない時の判断を誤ってしまうことになるからね」

 と桜井は言った。

「警察官というものは、救急救命が不可欠ではないが、他の人よりも危険な仕事であることは誰もが認めるところであろう。下手をすると、自分の命は自分で守るというのが究極なのかも知れないが、できれば、一緒に行動している人が守ってあげることに繋がってくる。もしその人を守れないと、一生のトラウマになってしまうことも普通にあるから、その後の警察官人生がそこで終わってしまう可能性もある。だから、死というもの、救護というものに対しても、真摯に向き合う必要がある」

 と、よく刑事部長が言っていたが、まさにその通りだと、桜井も隅田も、そして他の刑事も皆肝に銘じていることだろう。

 ただ、事件はそんな刑事課の人たちの都合に合わせてくれない。ひとたび事件が起こると、勉強などをしている暇もないくらいになるのが刑事課だった。

 二十四時間体制での交代制による張り込み、さらに靴をすり減らしての聞き込みなどの、いわゆる

「昭和の警察」

 と言われるちからわざによる操作方法も、旧態依然として存在している。

 もっとも、それが捜査のイロハなのでしょうがないところもあるのだろうが、犯罪も多様化しているところから、徐々に警察でも部署が増えていき、昔はなかった、生活安全課での、テロ対策であったり、詐欺やネット犯罪、細かいところでは、ケイタイ、スマホなどによる盗撮や、ネットや、振り込め詐欺などの犯罪が多発しているのが現状である。

 だが、刑事課は昔からの殺人であったり、麻薬捜査、マルボーなどの反社会的勢力に対しての捜査など、相変わらずと言ったところであろうか。

 K警察も最近は、落ち着いてきて、凶悪犯と言われるようなものはあまり起こっていないので、

「平和な時期」

 と言っていいだろう。

 いよいよ梅雨が明けて、夏本番ともなると、各地で猛暑日が続いていた。一時期はゲリラ雷雨や、線状降水帯なるものの発生で、水害があちこちで起こっていたが、幸いなことに、K警察署を含むF県では、毎年どこかで水害が起こっているのだが、今年は水害に見舞われることはなかった。天気予報でも、

「今日の午後からの雷雨に見舞われるところがありますので、ご注意ください」

 と毎日のように、気象予報士が話しているのに、当たらなかったのだ。

 ただ、そうなると問題になるのは、真夏の期間の水不足であった。

 過去にさかのぼってみると、ちょうど、二十年に一度くらいは大渇水に見舞われてきた市域だった。昭和の時代の写真などを見ると、タンクローリーが、学校の校庭のようなところに集まってきて、そこに、かなりの人の列ができていて、プラスチックの容器に水をもらっているという、

「水の配給制」

 という光景を見ることができる。

 何しろ、水道を捻っても断水ということで、水が出ないのだ。コップ一杯の水で、歯を磨いて、顔を洗って、風呂も入れず、シャワーも出ない状態。

「風呂はどうしていたんだろ?」

 と思ったが、

「二十四時間の断水ではないので、水が出る時間に水道から水をためておくんじゃなかったかな?」

 と、話を訊いた人も、まだ子供だったということで、記憶が薄っすらしかなかったようだ。

 とにかく、今では信じられない状況だった。

 一番の原因として、水がめであるダムが全体的に不足していたのが問題だったようだ。

 何しろ、一家に一台もくらーが普及していない時代のことである。電車に乗っても、冷房が効く車両は一つだけだったりして、あとは、窓を開けるか扇風機などのそんな時代のことである。相当な苦労があっただろう。

 今では考えられないような時代と言ってもいいだろう。パソコンもなく、資料はすべて手書き、コピーやファックスはあっただろうから、それくらいしか文明の利器のようなものはない。

 計算をするのには、電卓があったが、それだけで、あとは、すべて手書きだったので、本当にペンだこができていた頃である。

 今はオフィスの自分の机の上に、パソコンがあるのは当たり前で、すべての書類はパソコンから、最近では、ペーパーレスが進んでいて、印鑑もパソコンでできる時代になったのだ。

 そんな時代だったものが、昭和が終わって十年もしないうちに。パソコンが普及し、何よりも革命だと思ったのが、昭和の頃は、主るだータイプの本体の上に、受話器のようなものがついた携帯電話だったものが、それから、手のひらサイズの携帯電話になり、今ではタブレットとして使えるスマホに進化したのだ。

「文明の利器というのは、本当にすごいものだ」

 という話になっているが、これも考え方である。

 昭和産十年から四十年代にかけて、テレビなどの普及によって、未来がどのようなものになるかという想像図も出来上がっていたが、実際の想像図で今の世の中において、できているものがどれほどあるだろう?

 交通渋滞解消のため、車が空を飛んでいる絵であったり、タイムマシンが開発されたり、ロボットが活躍していたりというのは、今から七十年くらい前から言われていたのだろう。もちろん、その時の未来の年数の設定は

「二〇××年」

 などと言って、二十一世紀のどこかという設定くらいであろうか。

 二十一世紀もまだ二十年しか経っていないので、これから先、どのような開発があるか分からないが、ロボットや、タイムマシンに関しては、

「開発は不可能だとう」

 という話もある。

「ロボット開発においては、ロボット工学三原則や、フレーム問題であったり、タイムマシンに関しては、タイムパラドックスの問題があるので、それを理論的にまず解決できない限り、この二つは開発できないし。してはいけないものなのだ」

 と言われている。

 しかも、この二つはすでに、五十年前から言われていて、ずっと引き続き研究をされているようだが、解決の糸口もないのだろう。もし理論的に解決できても、それを立証するためにどうすればいいかなど、未知数だ。つまり、理論的解決は、ただのスタートラインでしかないのだ。

 元々、夏は蒸し暑さで大嫌いだった隅田少年が、

「よく警察官なんかになれたものだ」

 と昔を思い返すと、そう思うのだった。

 一番の功績は、

「食生活の改善」

 だったのではないだろうか。

 それまで好き嫌いもたくさんあり、自分でダメだと思って諦めていたのだが、ある時友達から悪戯半分で食べさせられた苦手なものが、食べてみると意外とおいしいということが分かった。

 今から思えば、苦手だというものを子供とはいえ、食わせるのだから、もしアレルギーでもあれば、それは苛めという言葉だけで片づけられるものではない。

「アナフラキシーショックを起こしていれば」

 ということで、その子は相当まわりから言われたようで、かなり落ち込んでいたが、それでも、適当な時期に隅田が仲直りをいいに行ったので、うまく仲直りができて、その後は親友と言えるまでになった。

 これも、隅田のファインプレーであった。

 もし、最初から近寄っていけば、彼は反省をすることなく、まわりが自分のことを責める空気に押しつぶされていたか、あるいは、その空気に負けないように、却って意固地になり、さらに捻くれた道に進んでいたかも知れない。

 適度な時期という曖昧な言い方ではあるが、絶妙のタイミングだったに違いない。

「本当に、あの時のお前の判断のおかげだよ」

 と、高校生になった頃、その友達から言われた。

「俺は、子供の頃だったからという理由では済まされないかも知れないが、正直、まわりから責められているという意識はあったが、どんな悪いことをしたのかということが分かっていなかったんだ。誰もハッキリと何が悪いって言ってくれないし、たぶんあれは、大人の都合だったと思うんだ。親や先生は保護者と教育者という立場で説教しなければいけないが、何が悪いのかということを、分かるように説明できるだけの自信がなかったんだろうな。だから形式的な説教だけで、本筋を何も言ってくれない。だから、俺も大人というのは理不尽だとした思わない。だけど、お前は違った。俺に接してくれて、どうしてあの時俺が叱られるようなことをしたのかということを説明してくれた。考えてみれば、子供のことは子供が分かるんだから、子供に説明させるのが一番なんだよな。だけど、お前は大人から言われたわけではなく、自主的にきてくれた。本当に嬉しかったよ」

 とその友達が言っていた。

 それを聞いて、隅田は、

「俺も大人から言われていたら、話に行こうとは思わなかっただろうな。だけどな、たぶんだけど、あの時、大人は誰一人として俺をお前のところに行かせようなんていう考えの人は一人もいなかったさ。どちらかというと、二人を遠ざけようとしかしていなかったからな。要するに、臭い物には蓋だということだよ」

 というと、

「そうかも知れないな。それにしても、お前も大人のことをよく分かっているようじゃないか?」

 と聞かれたので、

「そうか? お前の方が分かっているような気がするけどな。ずっと大人の視線を浴び続けてきたんだろうからな」

 と隅田が言った。

「そうなんだよ。とにかく、あれから俺は問題児として見られるようになったので、集団行動の時など、先生が一番気にするのは、この俺だったんだ。あそこまでいつも監視されて見られていると嫌でも、気になるというものさ」

 と言って、友達は大きな声で笑った。

 それにつられて隅田も笑ったが、今から思えば、あの時にやつが嫌いなものを興味本位で食べさせようとはしなかったら、今の自分はなかった。

 これこそ、本当の、

「ケガの功名」

 というものだと、隅田は感じていた。

 おかげで、健康になり、身体が丈夫になることで、自分でも健康オタクのよういなっていた。歴史が好きだったこともあって、尊敬する徳川家康が健康オタクだったということも影響したのかも知れない。

 そのおかげで、実際に歴史上知られている徳川家康が実際には違っていたことが分かってくると、さらに興味を持ち始めたというのも、実におかしなことであった。

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