第3話 毒殺未遂
柏木刑事は、今聞いた話を当直の桜井刑事に報告した。
「そうか、今のところは毒を飲んだということは分かっているが、殺人未遂なのか、それとも自殺なのかは分からないということだな?」
と桜井刑事がいうと、
「ええ、そうですね。でも私は自殺の可能性は低いような気がするんですよ、自殺するのであれば、何も皆の揃う日の必要ではないですからね、もしこれが殺人未遂ではないのだとすれば、後考えられるということでは、何かを計画していて、そのプロローグとして、自分が死なない程度に毒を飲み、それを誰かの罪にして陥れようと考えている場合、あるいは、捜査を攪乱するための手口とも考えられるような気がしてですね」
と柏木刑事がいうと、
「それは、考えすぎなんじゃないか? それじゃあ、まるでミステリ小説のようじゃないか?」
と桜井刑事は少し苦笑しているようだったが、
「でも、事実は小説よりも奇なりといいますからね」
と柏木刑事は言ったが、
「確かにそうかも知れないが。そこまで考えすぎることはないんじゃないか? もっとも、そういうことを結論付けるには、まだあまりにも表に出ている事実が希薄すぎるんだけどね」
と桜井刑事は言った。
「まさにその通りですね。これから鑑識も入りますし、その報告と、被害者の松本さんの回復を待ってからの事情聴取、そして、梅崎さんからも話を訊く必要があると思います」
と、柏木刑事が言った。
「そうだな、これが殺人未遂であったとしても、今柏木君が言ったような可能性を探るとしても、まずは、三人の関係性などの調査が必要だろうね。三人は大学の頃からの知り合いだということだね?」
「ええ、そういうことのようです」
「じゃあ、済まないが、君は鑑識の指示とさらに、犯行現場の現状維持をお願いしておこう。また何かあったら、連絡をしてくれ」
と言って、二人の話は終わった。
どちらにしても、被害者の命に別条がないということが一番よかった。これが殺人事件ということになれば、夜中であろうとも関係なく出動になるだろう、犯行現場の現状維持と、関係者の所在をしっかりしていれば、今日のところは何とかなるだろう。
柏木刑事は錦町の現場マンションで鑑識が来るのを待った。
鑑識が到着したのは、十一時くらいだっただろうか? 警察に第一報が入ってから、二時間近くが経っていた。
マンションにはそれなりの人だかりができていた。野次馬が寄ってきたのは仕方のないことだろう。夜の九時過ぎに救急車や警察が来たのだから、尋常でないことは誰の目にも分かるというものだ。
ただ野次馬の中には刑事ドラマを結構見ているからなのか、詳しい人がいて、
「救急車が来たということは、殺害されたわけではないんだろうな」
と言っていた。
それを聞いたもう一人が、
「どうしてなんですか?」
と聞くと、
「だって、死んでいるのが最初から分かっているのであれば、救急車を呼ばずに警察だけが来るはずだからね」
と言っていた。
ただ、これも微妙な判断であり、一般的に、
「死んだ人は救急車には載せない」
と言われているが、死んでいるかどうか分からない場合や、事件性のない明らかな病死だというのが分かった場合などは、救急車に乗せる場合もあったりする、
要するに臨機応変ということであるが、ここで話をしてもややこしくなるだけなので割愛するが、今回の場合は、虫の息ではあったが、死んではいなかったので、救急車というのは当然の手配だったのだ。
しかし、今の言葉がまわりを安心させたのか、殺人事件というわけではないと思った野次馬は、そそくさと減っていった。これは警察としてもありがたいことで、変に夜中に騒ぎを大きくすることは、望ましくないと思っていたのだ。
ただ、現場にいる柏木刑事は、被害者が死んでいないということを聞いたことで、ほっと胸を撫でおろしたが、この部屋を見ると、どうも違和感があるように思えてならなかった。
その思いが、
「被害者は命に別状はないです」
という報告を受けたことで、却って、
――やっぱり違和感がある――
と思ったが、その理由はおぼろげに感じることであった。
その理由を考えた瞬間、柏木刑事は背中に、ゾクッとした感覚を覚えたが、それが条件反射のようなものであることを感じると、隣にいる小山田を横目で見て見た。
小山田も、その惨状を見て、何かに怯えるかのように、終始震えているのが分かったのだが。それにしても、ずっと震えているのだ、通報から刑事が来てから、すでに二時間近く経っているのにその震えが止まらないというのはどういうことだろう?
気になっていたこともあって、さすがにこれ以上、彼を拘束しておくのも気の毒な気がした。聞くことも聞いたわけなので、
「小山田さん、捜査にご協力いただけてありがとうございます。今後もまたお聞きしたいことがあればご連絡をいたしますので、その時はまたご協力いただければありがたく思います」
と丁重に小山田に言った。
「ああ、いいえ、分かりました。私もこんな場面に出くわすのは初めてなので、まだ毒時しています」
と言って、少しだけ笑顔が戻ったかのようだが、まだまだ笑顔は引きつっているようだった。
「今日のところはお引き取り願っても構いませんので」
と言って、小山田を帰らせた。
彼の家はここから、十分くらい歩いたマンションだったが、
――また誰か(自分かも知れないが)、彼に事情を伺うことになるだろうな――
と、柏木刑事は感じていた。
病院の方では、隅田刑事が救急車で付き添ってきた梅崎に話を訊こうとしていたその時、病人である松本の命に別状はないという話を訊いて、安心はしたが、ち
「ょっとこちらにお越しください」
と言って、主治医の先生から、梅崎が呼ばれようとしているのを見た隅田は、
「先生、私もよろしいですか?」
と言って、警察手帳を差し出すと、
「ああ、どうぞ刑事さんもこちらにお越しください」
と、言われて部屋に入った。
「さっそくですが、患者さんには、何か病気かアレルギーのようなものがありましたか?」
と訊かれて、
「いいえ、訊いたことはなかったですが」
と梅崎がいうと、
「患者さんですね、青酸化合物を服用はしているみたいなんですが、ただ、それはまったく致死量というわけではなかったんです。でも、ここまで病状が悪化しているように見えるのは、どうも、アナフィラキシーショックのようなものを引き起こした可能性があるんですよ」
というではないか?
「アナフィラキシーショック?」
これには、隅田刑事の方が反応した。
「ええ、簡単にいうと、何かの物質に対して、抗体ができたりして、その抗体がもう一度抗体を作った物質に接触することで引き起こされるアレルギーのことなんですが、先ほど病気かアレルギーの有無をお伺いしたのはそういうことなんですよ」
と医者は言った。
「僕の知っている限りはそういう話は聞いたことはないですね。知っていることとすれば、玉ねぎが嫌いだというような話はしていたことがありましたね」
ということであった。
「先生、玉ねぎにアレルギーってあるんですか?」
と、隅田刑事は聞いたが、
「いや、それは聞いたことがありあせんね」
ということであった。
先生はそこまで聞くと、
「分かりました。こちらでも調べられるだけ調べてみましょう。ただ、ひょっとすると、彼の命を救ったのは、アナフィラキシーショックとの間で、副作用のようなものを起こして、青酸カリの毒が、致死量にまでいたらなかったのかも知れないですね。何かを食べている間に苦しみ出したんですか?」
と聞かれた梅崎は、
「え、ええ、チャーハンを食べていていきなり苦しみ出して、そして血を吐いたんです。それでビックリして警察と消防に電話を入れたんです」
と、少しうろたえながら話した。
読者諸君は、先ほどの章で、小山田に柏木刑事が訊きとりをしている場面を見ているのでご存じだとは思うが、問題のチャーハンを作ったのは梅崎だった。ただ、その時はまだ隅田はそのことを知らないので、どうして梅崎が動揺しているのか、よく分かっていなかった。
「そうですか、だいぶ血を吐かれたんですか?」
と聞かれた梅崎は、心ここにあらずなのか、思い出しながら、
「えっと、そうですね。何しろ血を吐くところをまともに見たのは初めてだったので、多かったんじゃないかって思っています」
と梅崎がいうと、医者も、
「うーん」
と言ってから、続けた。
「いえね、彼が命を取りとめたのは、毒の摂取が少なかったからなんですが、それはアナフィラキシーのおかげだけではなく、実際に摂取した量も致死量には行ってなかったのではないかと思ったんです。となると、この人を殺害しようという意志が最初からあったのかなかったのかによって、変わってくるはずなんですよね。もし、最初から殺害の意志がないのだとすれば、彼は死なない程度の青酸カリを飲まされたことになる。そうなると、かなりの薬学の知識がないと、できないことではないかと思うんですよね」
と、医者は言った。
「僕たちの仲間内に薬学に詳しい人はいなかったと思うんですけどね」
と、梅崎は言った。
「そうですか。とにかく、患者さんは、致死量未満の状態の青酸系の毒物を摂取したところで、アナフィラキシーショックを受けて、死を免れたというのが、私の見解ですね」
ということだった。
「もちろん、生きている患者を司法解剖などできるわけはないので、実際の毒物や、アレルギーの正体まで分からないですが、あとは警察の方が鑑識さんを呼んで調べることになるので、そちらにお任せしましょう」
と医者がいうと、それを聞いた梅崎が、
「先生、これは松本君が自殺しようと思ったということはないですかね?」
と聞かれて、
「それは医者の私では分かりませんよ。本人の回復を待って、警察の方が事情聴取をされて分かることなんじゃないですか?」
と、質問をした梅崎を見て、
――何を今さら、そんなことを言っているんだ?
と言いたいような顔を医者はしていた。
そのことに梅崎が気付いたかどうか分からないが、見ている限り、まだずっと何かに怯えているようだった。
「ところで、患者さんのご家族には連絡されましたか?」
と隅田が先生に聞いた。
「いいえ、私どもは今まで患者さんを診ていましたので、そこまで手が回りませんでしたが……」
という先生に対して、
「いえね、さっき先生はアレルギーや病気の既往について質問されたじゃないですか? それって、ご家族に聞くのが一番だと思うんですよ。病院で手配されたのかなと思いましてね」
と言われて医者は、
「いいえ、していません。そもそも毒薬を服用しているので、少なくとも刑事事件に発展するのは間違いないので、刑事さんが連絡を入れると思っていたんですよ」
と言われた隅田は、
「先生は付き添いの中に私という刑事がいることはご存じだったんですか?」
と訊かれて、
「ええ、搬送中の救急車から患者の状態などの情報を貰っている時、刑事がついてきているという話は聞こえていましたので、てっきり刑事さんが連絡をしていただいているのかっと思っていました」
と言われた隅田は、
「それは失礼しました。じゃあ、すぐに手配するようにします」
と言って、梅崎に彼の家族の連絡先を聞いたが、梅崎は知らないということだったので、柏木刑事に連絡を入れて、小山田に確認を取ると、小山田は知っているということだったので、小山田を通して柏木刑事が家族に連絡を入れ、さっそく病院に来てもらうことになった。
両親と姉はかなり驚いていたようで、急いで病院に駆けつけるということだった。
「命には別条ないが、既往症や、アレルギーなどの患者の情報がほしいということですので、お願いします」
という連絡を取ったようだ。
さっそく家族三人が病院にやってきた。そこには、松本のお薬手帳であったり、保健所関係を持ってきていたのだ。
隅田と梅崎はとりあえず先生の部屋から出て、待合室にいた。そこにいれば松本の家族が来た時もすぐに分かるだろうし、隅田も梅崎に聞きたいこともあったからだ。
もっとも、訊きたいことの半分は先生が話をしてくれたので、残りは半分なのだが、先生との話の中でも解決できていないところもあったので、そのあたりも含めて、梅崎の話を訊きたいと思ったのだ。
さすがに夜中になってしまったことで、病院内は静まり返っていた。ただ、救急病院であるので、いつ何時、事故や病気などで患者が飛び込んできて、殺伐とした雰囲気になるか分からないという状況でもあった。
「病状の話などは先ほど主治医の先生が訊ねてくれたので、改めて聞くことはないんだけ、私の方が聞きたいのは、実際に松本さんが苦しみ出した時の状況を中心に、先ほどの宴会の際の皆さんの行動などなんですが、よろしいですか?」
と言われた梅崎は、先ほどの小山田氏の話に中で、読者諸君が知っている話を、なぞるように梅崎はしたんだということであった。
それを聞いて、隅田は、
――なるほど、問題のチャーハンを作ったのが、自分だということで、真っ先に疑われるのが自分だということだち分かって、あれだけビクビクした態度になったんだな?
と感じた。
だが、それだけではなく、どうも梅崎という気が弱いような感じがする。もしこれが分かってやっているとすれば、かなりの策士なのだろうが、見た目はそうも思えない。ただどちらかというと、その暗さにはどこか陰湿であり、悪く言えば、陰険な態度に見えるから不思議だった。
「ところで、梅崎君。君がチャーハンを作ったということだけど、それを作っている時、その部屋にいたのは、松本君だけかい?」
と訊かれて、
「いいえ、作っている途中で小山田君が来たんです。僕たちは待ち合わせの時間を決めていたわけではないし、それぞれ仕事が終わってから集まるので、集まるのに順番も違うんですよ」
という梅崎に対して、
「でも、部屋は松本君の部屋なんでしょう? だったら、松本君が部屋にいなければ、いくら君たちが早く来ても、表で待ってないといけないだろう?」
と言われて、
「おっしゃる通りです。だから、僕はLINEで松本君に、最初から何時ことからなら家にいるかということを聞いておいて、その後に行くようにしていたんですよ。それに、チャーハンの食材だって、買って行かないといけないでしょう?」
というのを聞いて、
「じゃあ、君が食材まで買ってきたんだね?」
と訊かれて、
「ええ、そうです。だって、松本君は一人暮らしなので、当然、冷蔵庫などにそんなにたくさん食材があるとは思えない。三人分必要ですからね。しかも、そこでもし冷蔵庫に会ったとしても、それを使ってしまうと、今度は松本君が困るでしょう? だから料理を作る僕が買い出してくるのは当たり前のことだと思うんですけどね」
ということを聞いて、
「そうですね。それはごもっともなことでした」
と、隅田は恐縮し、自分がいかに愚かな質問をしたかということを感じたが、それ以外に興味深い反応を得ることができたのは面白かった。
――梅崎という男は、どうして、こんなにムキになったんだ?
と思うほど、自分が食材を買い出してから来たことを強調しようとしていた。
まるでわざとしているような感じを受けるくらいで、
――何か、梅崎という男は、どこか捉えどころのない不気味さを感じる。やっぱり最初に感じた陰湿さという雰囲気はまんざらでもないかも知れないな――
と感じた。
「分かりました。では先ほどの話の時系列として、あなたが買い出しを終えて松本君の部屋に来た時は、すでに松本君は帰宅していて、皆が来るのを待っていたというわけだね?」
と隅田が聞くと、
「ええ、そうです。松本君が中から開けてくれて、私が部屋に入りました。何しろ両手が食材の買い物袋で塞がっていましたからね」
と梅崎は言った。
「それから?」
と隅田が訊くので、
「私が荷物を台所まで持っていったところで、松本君がデリバリーの話をして、例のピザ屋と、ほか弁屋でいいよねというので、いいと言ったんです。ちなみに、ほか弁屋というのは近くにあるデリバリーの店で、ズバリ名前が、ほか弁屋というんです。そこでパーティセットのようなものがデリバリーできるとで、そこからもパーティセットを一セットを頼んだんです」
と梅崎がいうと、
「パーティセットというと?」
「鳥のから揚げやローストチキン、フライドポテトのようなものが、五人分、十人分という形で売っているんです。僕たちは三人だけど、五人前を頼みました。そもそも、五人前と言っても三人前くらいに小さなものなんです。それでその中にはピザが入っていないので、ピザも頼んでいるということです」
と梅崎が答えた。
「じゃあ、チャーハンはいつもパーティをする時に君が作っているのかい?」
と隅田に言われて、
「いつもというわけではないですよ。今日はたまたま松本がチャーハンが食べたいと言ったので作ったんです。でも、うっかりしていたんですが、そこでニンニクのパウダーを使ってしまったんです。かなりの匂いが充満したこともあって、さすがに小山田君は食べようともしなかったんですけどね」
と言った、
「小山田君は、ニンニクが嫌いなのかな?」
と訊かれて、
「嫌いというわけではないんですが、どうも、ピザのチーズの匂いと、にんにくの匂いが混ざり合うのが嫌いなようで、それで、チャーハンには一口もつけていなかったというわけです」
と梅崎がいうので、
「じゃあ、小山田君だけが、チャーハンに口をつけていないということなのかい?」
と言われて、
「いいえ、実は僕もつけていなかったんですよ。あまり格好のいい話ではないんですが、調理をしている間に、味見のつもりで、結構調理をしながら、つまみ食いのようなことをしてしまったので、それで飽食状態になってしまったんでしょうね。自分で作っておきながら、もう食べたくないという気持ちになっていました」
という梅崎に対して、
「確か、松本君は、玉ねぎがダメだと言っていたよね? じゃあ、あのチャーハンには玉ねぎが入っていなかったのかい?」
と聞かれて。
「これも僕がうっかりしていたんですが、細かく刻んだ玉ねぎを入れてしまっていたんです。ただ、あまりにも細かくしたので、普通の人なら入っているかどうかまでは分からないレベルですね」
というではないか。
さすがにここまで聞かされて、
――梅崎という男、何かを企んでいるんじゃないか?
と思わせたが、実際にはそこまでのことはなかったということを、その翌日に隅田は知ることになる。
何しろ、その毒は玉ねぎに入っていたのだから……。
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