第4話 捜査本部

 梅崎に事情を訊き始めてどれくらいの時間が経ったのか、真っ暗で誰もいない待合室で話をしていたということもあって、結構な時間だったように思えたが、実際には十五分ほどだったようだ。

 ここまで話を訊いてきたところで、夜間入館口から騒がしい声が聞こえてきて、二人はハット思ったのか、我に返ったかのようだった。

 どうやら、お待ちかねの松本の家族が到着したようだった。夜間入館口から入ってきたのは三人で、先ほどの話の通り、両親と姉の三人だった。

 まず姉が梅崎を見つけて、

「ああ、梅崎君が付き添ってくれていたのね。どうもありがとう」

 と言って、安心したような顔を梅崎に向けていた。

 梅崎もまんざらでもないように、松本の姉に挨拶をしていたが、この時、改めて初めて梅崎の笑顔を見たような気がしたのだ。

 だが、姉は梅崎の横にいる隅田を認めると、少し訝しそうな表情を浮かべて、

「どなたですか?」

 と訊かれて、

「ああ、K警察署の刑事さんだよ」

 というと、隅田は警察手帳を示して、

「隅田といいます、よろしくお願いします」

 と挨拶をすると、姉は一礼して、

「私は松本の姉の、みゆきと言います。ところで先ほどお電話をくださった小山田さんと、その時に一緒におられた柏木さんという刑事さんは、こちらには来られていないんですか?」

 と言われて、隅田刑事は、

「ええ、現場で現状保存と、鑑識の指揮を取っているから、まだ松本さんのお部屋におられます」

 と言った、

 それを聞いた姉のみゆきは、

「えっ? 鑑識ということは、何か事件性があるということなんですか?」

 というので、

「ええ、どうやら毒牙入っているものを口にしたということらしいのですが、それと一緒にアレルギー性のショックを起こしているということも先生は言われていました。それで何か既往であったり、アレルギー性の何かがないかを主治医の先生がお訊ねだったんですね」

 と隅田は説明した。

「そういうことだったんですね。じゃあ、弟が生死を彷徨っているというわけではないということですね?」

 とみゆきは、声のトーンを挙げて、

「それが一番の問題なのよ」

 とでも言わんばかりの勢いだった。

「それは大丈夫です。ただ、今はまだ安静が必要ということで、集中治療室にいますが、個室に移れるようになるのは、回復次第だということなので、そのあたりは安心してもいいようです」

 という話を隅田がすると、

「そうですか、ありがとうございます。じゃあ、まずは主治医の先生をお尋ねするのが最初になりますね」

 とみゆきが言って、両親の方を振り向いた。

 両親の方は、どうも放心状態になっているようで、きっと、息子の命に対して、何らかの覚悟を持ってきていたのかも知れないというのが見て取れた。放心状態なのは、極度の緊張から解き放たれた証拠だと言えるのではないだろうか。

「とりあえず、先生のところでお話をしてきてください。そして何か気付いたことや、気になることがありましたら、私どもに連絡ください」

 と言って、隅田は三人を主治医の先生の部屋に行くように促した。

 隅田は、後は明日以降だと思い、そこで梅崎を解放し、家に帰らせた。その旨を当直の桜井刑事に伝えると、

「よし分かった。君はもう今日は上がっていいぞ、出張の帰りにこんなことになって疲れただろう? 今日はゆっくり帰って寝ることだな」

 と桜井刑事に言われた。

「ありがとうございます。ところで柏木さんの方はどうですか?」

 と隅田刑事は聞いた。

「柏木君の方も、引き上げると言っていたよ。鑑識の調べも終わったようで、しばらくは現場は立入禁止にしておいた。小山田氏も帰したと言っているので、この事件に関しては明日以降の、鑑識の結果を踏まえてのことになるかも知れないな」

 と伝えられた。

「分かりました。では明日署の方で」

 と言って電話を切り、今日は解散することにした。

 梅崎は一人で、歩いて帰るようだったが、その後ろ姿は実に寂しそうで、

――あれが梅崎という男を表しているのだろうか?

 と感じた隅田だった。

 とりあえず、少しだけの情報は分かったが、三人のうちの松本が今だ意識不明状態ということもあり、いつになれば事情聴取ができるか分からない状態で、彼に関しては、今のところ、

「命が助かっただけでもよかったと思うしかない」

 としか言えない状態であった。

 そもそも、毒の量が最初からすくなかったのか、それともアナフィラキシーショックをわざと起こさせるかのような細工やトリックが隠されているのか、よく分からなかった。

 どちらにしても、犯人がいるとすれば、犯人の目的は達成できたのであろうか? それを考えると、少し気になったのだが、そこに一人の警察官がやってきて、隅田刑事のところに来て、

「お疲れ様です。私は桜井刑事から言われて、被害者である松本さんの警備を仰せつかったものです。一応殺人未遂だとすると、犯人が再度狙わないとは言えないということで、私にここの警備を任されました。被害者の病室の前で見張っていることになりますが、隅田刑事に置かれましては、ご帰宅いただいても大丈夫だと言っておいてくれと、桜井刑事から言われております」

 と言って、敬礼をした。

 それを聞いて桜井刑事の意図が分かった隅田は、警官に対して自分も敬礼し、

「分かりました。じゃあ、今日はここらで失礼させてもらうよ」

 と言って、頭を下げたのだった。

 とにかくすべては明日以降である。すでに柏木刑事と小山田は帰宅したということであった、自分もさっさとお開きにして、梅崎を解放してやらなければいけないと思ったのだ。

 翌日、K警察署内に、今回の事件の捜査本部ができていた。

「毒薬の存在は、鑑識からも、被害者を治療した主治医からも聞いているので、本人が自殺でも考えたわけでもない限り、事件として扱わなければいけない案件である」

 と、捜査本部長の、門倉警部が言った。

 門倉警部は、刑事畑が長く、なかなか昇進試験も受けようとはしなかったが、最近になって、後輩に自分の役割を託すということの本当の意味が分かってきたのか、急に昇進試験を受け、一気に警部補と通って警部へと駆け上がったのだった。

 門倉警部の第一の部下というのは桜井刑事になるのだろう。元々門倉刑事が第一線のトップを駆け抜けていた時のパートナーを長年、桜井刑事が務めてきたのだ。

 今回の捜査本部には、十人くらいの捜査員がいて、基本的な捜査としては、桜井刑事、そして、柏木刑事の二人が中心で、その補佐の先鋒となるのが、最初から事件に首を突っ込んでいた隅田刑事ということになる。

 捜査本部には、他に警官や、鑑識の人もいて、捜査会議の最初には、まず鑑識からの報告となった。被害者の松本が昏睡状態で、話ができる状態ではない以上、その時の詳しい経過は想像と、他の二人の証言からでしか、分からない。

 だが、鑑識や医者の所見は、少なくとも、松本の意識が戻るまで、

間違いのないものだということを前提に捜査を進めていくしかなかった。

 その前に桜井刑事から、昨夜の話の大筋を、かいつまんで話をしてもらったことで、集まった人間の意識共有ができたことだろう。

 ほとんどの人間が朝になってから話を訊いただけなので、詳しいことはここで聴くのが初めてだということだろう。

「桜井君には、昨夜の当直で疲れているだろうところを、説明してもらって、申し訳ないと思うが、すまないが、この会議だけは出ていてほしいんだ」

 と、門倉警部が労うように言った。

「はい、分かりました。お気遣いいただいて、ありがとうございます」

 と、桜井は言った。

「ところで、鑑識の方だけど、どうだったのかな?」

 と訊かれて、

「はい、いろいろ調べてみたんですが、まず、毒は青酸系のものであり、玉ねぎからしみだすように出てきているようでした。そして毒の量は本当に微々たるものです。ひょっよすると注射器の針をスポイトのようにして一滴垂らしたくらのものではないですかね。毒の反応は出てきましたが、それほど大量ではありませんでした。だから、毒を服用した松本さんは一命をとりとめたんだと思います。それと、チャーハンの近くで飛び散るようになっていた汚れは、間違いなく吐血でした。血液型はAB型です、松本さんの血液もABなんでしょう?」

 と聞かれたので、隅田刑事が立ち上がり、

「はい、確かにそうです、昨日の治療の際も血液型の話を医者がしていました。輸血が必要になれば、AB型なので、少し厄介だとですね」

 というと、

「そうですか、分かりました。だた、一つ気になったのは、あの場面の吐血の量なんですよ」

 と鑑識官が言った、

「というと?」

 と、今度は桜井刑事が訊き返した。

「あれくらいの量を一人で吐いたのだとすれば、よく生きていられるというほどの量なんですよ、しかも、被害者の苦しんでいたというところを被害者の友達に聞いてみると、その人が苦しんでいた部分よりも、結構向こうで吐血が多かったんです。それにですね。その吐血を誰かが、半分、つまり、苦しんでいた被害者の向こう側の痕と誰かが故意に踏み消したのではないかと思われると言っているんですよね」

 と鑑識が言った。

「でも、それは、彼らのどちらかが、気持ち悪さから無意識に足で血が見えないようにしようとしていたのかも知れないし、気が動転していたのかも知れない」

 と桜井がいうと、

「そうですか? だって残された二人は、すぐに警察と消防に連絡したわけでしょう? しかも大の大人である男性が二人もいるんだから、どちらかは冷静だったはずで、変なことことをしようとすると、現状維持が大切だと止めるんじゃないかな? 特に二人は目の前で苦しんでいる友人を見ているので、尋常ではないことを身に染みている。だから、決して疑われるような行動をしないんじゃないかな?」

 と。柏木刑事がいうと、

「でも、それだけに何か決定的な証拠になるようなものであれば、なるべくどうして揉み消したのか、その真意が分からないようにするものなんじゃないですかね」

 と、桜井刑事が言った。

「揉み消したというよりもですね、吐血の痕を足で踏みつけて、均すと言えばいいのかな? 少し幅を広がるけど、厚みは減るという感じですね」

と鑑識がいうと、

「どうしてそんなことを?」

 と柏木刑事が訊くと、

「どうしてなのか、ハッキリと理由は分かりませんが、後から見た時に、均してあるようが、実際に出た吐血の量よりも少ないように錯覚してしまうということはいえると思います」

 と鑑識官が言った、

「でも、何でそんなことをしたんだろうか?」

 と、しつこく聞いてみたが、

「ひょっとすると、そこには吐血以外の血も混じっているのではないかと思ったのは、私の考えすぎだろうか?」

 と、今度は横から桜井刑事がそういった。

「いえ、可能性としてはないとは言えないと思います。その証拠に、まるで証拠隠滅のように、その場の血を偽装工作しようとしているわけですからね。でも、たまたまかも知れないですよね、目の前で苦しんでいる人がいて、まわりの人は気も動転しているだろうし、何をどうしていいのか分からなくなって、足元を気にすることなく、踏み荒らしたのかも知れない」

 と鑑識官が言った。

「とにかく、鑑識の事実としての結果は、AB型の吐血だということしか分からないということですね?」

 と聞かれた監察官は、

「ええ、そうです。先ほどの気になるというのは、私の鑑識としての勘でしかないですので、あまり気にしないでください」

 と言った。

「他に鑑識としては、何か気になることはなかったですか?」

 と、桜井刑事に聞かれて、

「今のところ、私の中で引っかかっているところがありません。後は報告書を読んで気になるところがあれば、随時質問してください」

 ということであった。

 鑑識からの報告が終わったところで、いよいよ捜査会議に入っていくことになった。

「とりあえず、一番ハッキリさせなければいけないことは、これが事件なのか、それとも事故なのか、それとも自殺という形なのかということですよね。それぞれのパターンによって、捜査も変わってくるはずです。事故であれば、事故や自殺であれば、犯人捜しという必要はなくなるわけで、事実が何なのかということだけを確認すれば、済むことですよね。でも、これが事件であれば、殺人未遂ということで犯人がいることになるので、事実を解明することと同時に犯人を明らかにし、犯人からの供述を取って、基礎にまで持ち込まなければならない。そのためには、被害者の意識が戻るのを待つしかないのだろうが、同時に関係者からなるべく事情聴取を行って、事実に少しでも地下空ける努力をしないといけないな」

 と、桜井刑事は言った。

「ええ、その通りです、今回は幸い被害者はまだ病院で意識不明ではありますが、医者は命に別状はないと言っています」

 と、隅田刑事が報告した。

「もし、犯人がいて、犯人がどうしても被害者を殺したいのだと考えたとすれば、病院にいるのを幸いに、とどめを刺しにくるのではないかという懸念もあったので、今は警官を交替で病室の前で見張りをさせています」

 と、桜井刑事は報告した。

 それは、昨夜帰宅する前に病室の前に立っていたあの警官だったのだ。

 隅田刑事はそう思うと、ホッと胸を撫でおろした気がしたが。ここにいる皆の共通の思いとして、

「早く被害者の意識が戻ることが大切だというものだ」

 と思っていることであろう。

「ところで、これを事件ということにして、とりあえず、犯行現場にいたのは、男性三人だったということだな?」

 と、桜井刑事が訊くと、

「ええ、そうです。三人は大学のことからの十年来の知り合いだということでした。昏睡状態の被害者はもちろんのこと、昨日は時間が時間だったので、名前と、昨日の行動くらいしか確認できませんでした。私が小山田という男の話を訊いて、病院に一緒に付き添って言った梅崎という男の話を、隅田刑事が訊いています。そして、昨日の情報は、別に矛盾しているところもなく一致していたので、二人してウソでもついていない限りは、信憑性があると思います」

 と、柏木刑事はそういった。

 そして、柏木刑事は、昨日聞きこんだ話を、メモを見ながら、捜査本部で披露したのである。

「なるほど、ということは、被害者の松本君というのは、玉ねぎが嫌いだったというのだな? だけど、毒はその玉ねぎに入っていた。それなのに、彼はその玉ねぎを食べて、青酸中毒にかかってしまったということだね?」

 と、桜井刑事がそういうと、

「ええ、事実を見る限りではそういうことです」

 と、柏木刑事がそういった。

「ということであれば、実に都合がいいのかそれとも悪いのか。犯人にとってどっちらったんだろう? 殺そうと思っているのであれば、もっとたくさんの青酸を混ぜるはずだろうし、しかも、普通なら嫌いなはずの玉ねぎなので、もし、被害者を殺そうとしていたのであるなら、話が矛盾していることになるよね。最初から殺すつもりがなかったとすれば、彼が死なずに、昏睡状態になったのは、計画通りだったということになる。だけど玉ねぎは嫌いだったんだよな? 犯人の計画通りだとすれば、犯人は彼が玉ねぎが嫌いだったと知らなかったということなのか?」

 と、桜井刑事が話すと、

「それはないと思われます。あの場面にいたのは、例の大学時代からの知り合いという、あの三人だけだったんです。梅崎君も小山田君も、松本君が玉ねぎが嫌いだったということはなかったと思われます」

 と、柏木刑事が言った。

 それについては、隅田刑事も同じで、しきりに、

「うんうん」

 と頷いていた。

「じゃあ、どう解釈すればいいのかな?」

 と、桜井刑事が訊くと、

「じゃあ、犯人が別の人を殺そうとしていたということはないですか? 作ったのは梅崎君だということなので、残る一人の小山田君を殺害するつもりだったと?」

 と、柏木刑事がいうと、

「そうとは限らない。毒を盛ったのが、調理の時だとは限らないだろう? 調理をし終わってから、取り分けた時に、毒を入れたのかも知れない」

 と桜井刑事がいうので、それを聞いた鑑識官は、

「いえ、それはないと思います。小山田さんに取り分けられた皿の玉ねぎからも微量な青酸化合物が検出されました。ただし、食べた形跡はないのが気になっていたんですよね」

 と言った。

「じゃあ、小山田さんが、調理の隙を見て、鍋に毒を混入したのかな?」

 という話も出たが、

「いや、それも考えにくい気がするんだ。小山田君は昨日後から松本君の部屋に来ていたということで、すでに、チャーハンは調理中だったということなんだ。調理が終わって取り分けるまで、梅崎氏が一人でやっていたので、取り分けられる前に小山田君が毒を仕込むということは不可能なんだ」

 と、柏木刑事が言ったが、

「それは本人がそう言っているだけではないのか?」

 と念のために、桜井刑事は聞いてみたが、

「いえ、同じ証言を梅崎君からも得られているので、毒を小山田君が入れるのは不可能だと思われます」

 と、隅田刑事が柏木刑事の話を補足するように言った。

「じゃあ、小山田君は、自分が仕込んだわけではないが、その皿の中のチャーハンが毒入りだったということは知っていたということになるのか? ひょっとすると、梅崎君が毒を鍋に入れるのを横から見えたとか?」

 と桜井刑事が訊くと、

「それも残念ながら考えにくいです。あの部屋の調理場は、ダイニングやリビングから後ろ向きになっていて、梅崎君の身体が邪魔になって、見えないはずです、しかも、梅崎君が毒を仕込んだのだとすれば、後ろの視線を絶対に気にしているはずなので、そんな簡単に見つかるようなことはしないと思われます」

 と、柏木刑事が答えた。

 今のところ、分かっていることが少ないので、すべてが想像に過ぎない。分かり切っていることから、地道に消せるところを消していって、少しでも肥満解消をさせておく必要はあるだろう。これから新たな事実が判明していくうちに、情報が増えすぎて、収拾がつかなくなることは避けなければならないと考えられる。それを思うと、それでも減らせる部分は限られているところがもどかしいのであった。

 今の状態を考えながら、捜査方針を変えることもできず、少しずつ今の状態から、情報を引き出す努力が必要であり、そのために、関係者三人のことを、少しでも理解するには、過去の調査と、聞き込みに終始することになるだろう、捜査会議は終了し、皆それぞれの持ち場に戻ったのだ。

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