第7話 小山田という男
巡査は、道路わきにうな垂れている小山田を見て、少しビックリした。数日前に見た小山田とは、どこか別人とも感じさせる佇まいだったことで、
「どうしたんですか? 小山田さん。この間の時は結構毅然とした態度を取っておられたのに」
というと、そばにいた目撃したのではないかと思われる人物が、
「私が警察に通報したのですが、ちょうど今から二十分くらい前でしょうか。私が歩いていると、少し離れたところから、ガシャンという音がしたんです。最初は窓ガラスが割られる音なのかと思ったんですが、どうもそうでもないみたいで、高い乾いた音のわりに、重厚さがあったので、最初は本当に音の正体が分かりませんでした。でも、音のした方にいくと分かってきたんです。その音が植木鉢の音だということが分かると、飛び散った茶色い植木鉢に、その真ん中に同じような色の砂が散らばっている。上を見ると、植木鉢が事故で落ちてくるような場所でもないじゃないですか。急いで賊を追いかけたんですが、ビルに入った時には、それらしい人物を見つけることはできなかったというわけです」
とその男は答えた。
「いや、これはご協力ありがとうございます。ということはあなたの目から見てもこれは故意ではないかと思われるわけですね」
と訊ねると、
「ええ、そうです。でも私は音がしたので気が付いたから、最初に状況を見極める時間と、犯人を追いかけるという覚悟ができるまでに少し時間がかかったので、証言できるほどのことはありませんでした。だけど、やはり故意の可能性は高いと思われます」
と彼は言った。
「分かりました、これはやはり事件ですね。刑事課に連絡してみます」
と言って巡査は、刑事課に無線を入れていた。
「こちらは、管内錦町交番の長谷川巡査です。たった今上から植木鉢が落ちてきて、人に当たりそうになったという通報を受け来てみましたが。確かに、被害者にはけがはありませんでしたが、目撃者の証言などから、どうやら故意の可能性があります。しかも、被害さとなったのが、例の殺人未遂事件の関係者である小山田哲彦氏であることから、ご連絡いたしました」
と長谷川巡査は言った。
刑事課の方でこの連絡を受けたのは、柏木刑事だった。
「了解しました。ただちい現地に向かいます。小山田さんにケガがないのであれば、私は行くまでその場にとどまっているよういお願いしてください」
と言われた長谷川巡査は、
「了解しました。その通りにいたします」
と言って、柏木刑事の到着を二人して待つことになった。
長谷川巡査も、小山田も、何を話し手いいのか気まずい感じだった。ただ、とりあえず、今日のことに関してだけは、一度は聞いておく必要はあった。後から来るであろう刑事課の刑事も同じ質問をするだろうが、それも警察あるあると言っていいだろう。
事故があったこの場所は、普段から人通りの少ないとろであった。この奥に何があるというわけではなく、小山田がどこを目的にしていたのかお分からない。
「ところで小山田さんは、どうしてこんな人通りの少ない道を歩いていたんですか?」
と訊かれて、
「実は、この道というのは、梅崎君の部屋に行く時の近道になるんです。僕としては、ある意味勝手知ったる道でもあるというわけで、まさかこんなことになろうとは思ってもいませんでした」
と小山田は言った。
「そうですか。でも、まさかあなたが狙われるとは思ってもいなかったので、お顔を見た時はビックリしました。ところで今日はどうして梅崎さんのところに行こうと思われたんですか?」
と訊かれて、
「梅崎が呼んだからです。三人で集まることよりも、それぞれ二人のパターンというのも結構あってですね。入院中の松下君ともよく二人で話をすることも多いんですよ」
というではないか、
「なるほど、二人きりの方が話せることもあったりしますからね」
というと、
「ええ、そうなんです。二人の方が話がそれることはないじゃないですか。三人だと誰か一人は反対意見をいうこともある。でも、二人ともなると、なかなかそんなこともないんですよ、でも、それも相手によるんです。僕は松下と一緒の時は、ほとんど意見が合うので、あまり話がそれることはないんですが、梅崎が相手の時は、よく話がそれますね。でもそれで新鮮なんです。そういう意味で話が白熱して、夜を徹して話をするというのは、梅崎との方が多いかも知れませんね」
と小山田は言った。
「なるほど、よく分かります」
と長谷川巡査は言ったが、彼にも同じような思いの相手がいた。
今刑事課に移った隅田刑事とは、同期で警察官になった仲間なので、巡査時代にはよく話をしたものだ。
その時の思いがよみがえってきて、懐かしさがこみあげてきたが、これ以上想い出に浸るわけにもいかなかった。
少なくとも、、事件性が高いことは間違いないだろう。だからこそ、刑事課に連絡したのだし、刑事課も飛んできてくれているからだった。
少しして、柏木刑事が、隅田刑事を伴ってやってきた。おそらく、捜査本部に通報が伝えられ、二人が出向くことになったのだろう。
「ご苦労様です」
と、車から出てきた柏木刑事と敬礼をした。
後から降りてきた隅田刑事は、恐縮そうに柏木刑事についてきた。
「小山田さん、災難でしたね」
と口ではそう言っている柏木刑事だが。内心では、小山田には何か狙われる理由があるのであって、それを何とか見極めようという気持ちが態度にだだ洩れのような気がしてきたのであった。
小山田と長谷川巡査は、この事件が起こる前から知り合いだった。
あれは、三年くらい前だっただろうか。一人の女の子を伴って交番にやってきたのが小山田だった。話を訊いてみると、
「実は、さっき電車から降りてから、一人でベンチに座ってうな垂れているいる女の子がいたので、気分でも悪いのかと思って声を掛けてみたんですが、どうも、誰かにつけられているような気がすると言って、ベンチに座っていたようなんです。それで交番に連れてきたというわけなんですよ」
t、小山田は言った。
駅から一番近い交番はここなのだが、この交番は少し入り組んでいるので、知っている人でなければ、その場所に交番があるなどということを知る由もないはずだ。
――どうしてすぐに分かったんだろう?
と、若干の疑問を感じていたが、とりあえず目の前で心細がっている女の子を何とかしなければならず、最初の疑問は後から考えるとして、震えている彼女の事情を訊くことにした。
「大丈夫ですか? 落ち着いたら、お話を伺いますが」
と、彼女をいたわるように声を掛けた。
「ありがとうございます。ええ、大丈夫です」
と、震えてはいるが、毅然とした態度であることから、
「根は心細い小心者なのだろうが、毅然とした態度を装おうと必死になっているのが伺える」
という姿が見て取れた。
「それでは、伺っていきますね。まず、誰かにつけられていると言われましたが、その人の姿や顔は見られましたか>」
と訊かれて、
「ええ、姿は分かったんですが、向こうからライトが当たっているところだったので、逆光になって、シルエットだったので、顔までは確認できませんでした」
という。
ということは、誰かにつけられていることは確かだが、それが誰だか分からないということなのであろう。
「じゃあ、何か誰かにつけられるという覚えはないですか? 時々誰かに見られている気がするとか、いつも後ろを同じ人が歩いてくるのが気になるとかですね」
と言われた彼女は、
「そういうことはありませんでした。もしその時に気になっているのであれば、その時に交番に駆け込んでいると思います」
と言った。
意外と彼女は怯えていながら、結構思考回路が働いていて、感覚がマヒしているというわけではないようだった。
「なるほどですね。じゃあ、あなたが気になったのは、どのあたりからでしたか?」
と訊かれて、
「私はS駅から乗車してきたんですが、電車を待っている時からその人が私を気にしているということに気づいたんです。ただ、私の近くに寄ってくるわけではなく、じっと見られているという感じですね。私は誰かに見られているかも知れないと思った時、結構敏感だったりするんです。だから、気になる人がいたりして、その人を気にしていると、自分を見つめていることがだんだん分かってくるんです」
と彼女がいうので、
「それは、ひょっとすると若干の被害妄想が含まれているかも知れませんよ。相手だって、自分を気にする女性がいれば、思わず気にしてしまうというのは往々にしてあることで、あなたが気にしているので、相手も気にしているという逆の現象だってあるんです。つまり、それぞれが意識して引き合っているという感じでしょうか?」
と、長谷川巡査は言った。
「そうかも知れません、確かに私は被害妄想が強くて、よく人からも言われます。でも、自分を被害妄想だと思い込むのも怖いんです。なぜなら、言あは被害妄想なのかも知れないけど、本当に何かが起こった時、どうせ被害妄想だと思ってしまったらどうなるか?
ということを、考えると、童話にあったオオカミ少年の話を思い出して、手遅れになるかも知れないと思うと怖くて仕方がないんです」
というのだった。
長谷川巡査と小山田はお互いに顔を見合わせ、何か言いたそうだったが、声に出すことはなかった。
「じゃあ、僕が家の近くまで送っていきましょうか?」
と小山田がいうので、
「それはありがたいです」
と彼女が言った。
「私が連れていければいいんだけど、交番を空けるわけにはいかないので、すみませんがお願いしてもいいですか?」
と小山田に頼んだ。
長谷川巡査とすれば、きっと気のせいに違いないという思いがかなり強かったのであろう、もし、もう少し危ないと思っていれば、人に頼まずに自分が行っていたはずだからである。
彼女の方も同伴してきた小山田の方も、お互いに警察に通報したという安心感があったに違いない。
「それじゃあ」
ということで、彼女と一緒に帰ることになった小山田だったが、その翌日わざわざ交番まできて、
「昨日は無事に送りとどけましたよ」
と報告に来てくれたのだ。
それを意気に感じた長谷川巡査は、小山田とこれを機会に個人的に仲良くなったのである。
長谷川巡査が非番の日には、小山田の部屋に来て、一緒に酒を飲んだりもした、最近では小山田の方の仕事が忙しくなった関係で、なかなか会うことも減ってきたのだが、小山田もたまに交番に顔を出すこともあって、完全に疎遠になったわけではなかったのだ。
そんな仲のいい小山田だったが、公私混同はしてはいけないということで、この間の松本が毒を盛られたあの日に顔は合わせたが、二人がまさか知り合いだったということに気づいた人は、一人もいないほどだったのだ。
長谷川巡査としては、小山田の優しいところが好きで、小山田にとっては、長谷川巡査の真面目なところが好きだった。
お互いに、相手にありそうなことを持っていそうで、実際には持っていないと思うと、余計に相手に対する敬意を表する気持ちになるのである。
もちろん、嫉妬がないわけではないが、嫉妬よりも、落ち着いた気分になれることの方が大きく、特に小山田の方としては、
「自分が大人になってきたのかな?」
と感じていた。
そんな小山田と少し距離が遠くなったのは、小山田が交番に立ち寄らなくなったからだ。ちょうどその頃、それまでプライベイトで仲がよかったのは、松本だったというのだが、そこに昔からの腐れ縁ということで、梅崎が絡んできたことから、何となく三人がぎこちなくなり、小山田も交番に立ち寄るだけの余裕がなくなっていたようだ。
「そんな時こそ、相談に乗ってやるのに」
と、長谷川巡査が言ってくれたが、どちらかというと、
「一人になりたい」
という意識が強いようだった。
そんな小山田に対しては、放っておくことの方が礼儀だと感じた長谷川巡査だったが、やはり気になるのは気になっていた。
その頃から、
「梅崎という男は、何か小山田とは合わないところがあるんじゃないか?」
とは感じていた。
しかし小山田自身が相談してくれわけでもなく、ましてや何かの事件でも起こったわけでもないので下手に関われば、プライバシーの芯が二なってしまう。警官としては、それは避けなければいけないところであった。
それが、一年くらい前のことだっただろうか。そういう意味では。この間の事件において、他の刑事たちから見た三人の感性性を看破できる人がいただろうか? と感じるのであった。
「でも、柏木刑事は、何となく梅崎だけが浮いているような状況を分かっていたのかも知れないな」
と感じた。
三人でつるんでいる割には、梅崎という男が陰湿で、いつも一人でいるのが似合いそうな気がすると、以前から三人の関係性を知っていた長谷川巡査なので、分かったことだと思ったが、どうやら、柏木経緯も気付いているようだった。
どこか落ち着きというものを醸し出すことのできるレアなケースとして、柏木刑事の存在を感じるのだった。
「この間の事情聴取だけで分かったのであれば、すごい」
と長谷川巡査は感じたが、柏木刑事としては、
「あの陰湿さはウソをつくタイプの陰湿さの気がする、だけど、二人の供述は辻褄が合っていたということはウソではない、そう思うと、逆に梅崎の陰湿さというのは、本物なのかも知れない」
と感じた。
結構長谷川巡査というのは、相手のことをよく見ている方で、今までにその性格を生かして、事件解決に功労があった。本当であれば、刑事課が引っ張ってもいいくらいなのだろうが、隅田刑事の刑事課に移動したいという思いの強さが勝って、まだ交番勤務を続けている。
だが、本当のところ、長谷川巡査は交番勤務が好きであった。庶民と直接触れ合えるのと、面倒くさい事件が多いが、一つ一つ細かいことをこなしていくことに喜びを感じる彼には、交番勤務は最適であった。
そんな長谷川巡査に、いつも隅田刑事は敬意を表していた。
「本来なら、俺なんかおりも長谷川君の方が先に刑事になっているべき人なんだろうけど、それを譲ってくれるんだから、本当にいいやつだよな」
と、よく同期の間でこぼしていた。
逆に長谷川巡査の方でも、
「隅田君は本当にすごいよ。まだまだ若いんだから、刑事課でこれからどんどん手柄を立てて行けば、警部補、そして警部へと上がって行って、俺なんか、あごで使われちゃうお」
と言って笑っていた。
傍で聴いていると、お互いに皮肉を言い合っているように聞こえるが、この二人に限っては正直な気持ちであった。
しかも、そのことをまわりはちゃんと分かっているというところが、何ともすごいところだと言えるのではないだろうか。
小山田も、そんな長谷川巡査に惹かれた時期があった。何でも相談できるのは、長谷川巡査しかいないとまで思っていた時期があったようで、自分が独り占めをしている錯覚に襲われていたようだ、
しかし、よく見ていると、長谷川巡査は、
「街の頼りになるおまわりさん」
だったのだ。
誰にであっても、分け隔てがない警察官。
当たり前のことのようで、実際にできている人はどれくらいいるだろうか。
そもそも誰からも慕われることのない警察官だってたくさんいる中で、市民から本当に慕われているというのはすごいことである。
しかも、交番のおまわりさんというと、どうしても暇な人のイメージが強い。自転車で見回りをし、交番で制服を着て、いつも何かを書いているという勝手なイメージがまとわりついているのは、きっと、テレビドラマの影響であろうか。
ドラマに出てくる警官というと、市民のいうことには何でも聞くというイメージが強いが、実際には、どうなのか、やはり人によって違うのではないだろうか。しかも、赴任地によって、忙しくて余裕のないところもあれば、事件らしいことはほとんど何もないところもあったりするだろう。
これは交番に限ったことではない。暇な部署と忙しい部署が存在するのは、どの職種でも同じなのかも知れない。それだけに、実際に勤務に従事している人は、その不公平感を身に染みて分かっているのだろう。
しかし、社会人である以上、人事が決めた赴任地に逆らうことはできない。転勤を断ったことは、退職を意味するという慣例があることでも分かるように、それぞれ、会社と従業員の間には就業規則なるものがあり、それが会社で従事するための法律であった。それが得てして、組織と従業員との間の壁となって立ちふさがることになるのだが、それも、致し方のないことなのかも知れない。
だが、長谷川巡査は、基本的に組織が決めたことに逆らう気持ちはなかった。今のところではあるが、昇進への野心があるわけでもなく、ただ、自分は、
「組織の歯車として機能すればそれでいいんだ」
と思っているのだった。
そんな長谷川巡査を慕っていたのは、小山田にも似たところがあることであり、彼にも野心のようなものはほぼほぼなかった。どちらかというと、まわりに対してへりくだっていると言った方がよく、よく言えば従順であるが、悪く言えば、犬のような存在だったと言えるのではないだろうか。
つまり、一緒にいる人間によっては、
「正義にもなれば、悪にもなる」
そんなタイプだったのだ。
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