終末世界の郵便屋
山﨑或乃
第1話
なんでオレはこんな終末世界で郵便屋をやっているのだろうか。届けるものはなくて、届ける相手もいない。それでもオレが郵便屋を続けているのは一重に…。
郵便屋が額に汗を滲ませながら、複合式万能自動二輪『ミーティア』のボディを磨く。右手の襤褸切れを動かす度にキュッキュと小気味のいい音と共に輝きを取り戻す。切り裂くような深紅のボディを見て、郵便屋は満足そうにミーティアを撫でた。
終末世界において貴重な塗料を使ってでも深紅に染め上げたミーティア。曰く郵便屋と言ったら赤だろう? というくだらない理由だったが、頼れる相棒として気に入っており、彼の中で一番価値のある物でもあった。
仕事道具のメンテナンスが終わり、郵便屋は一息ついて額の汗を拭った。そのまま視線を郵便局兼自宅となっている崩れた建物へと向け、はあと溜息をついた。
「今日も仕事はなし、だなぁ」
郵便局前にぽつんと置かれた廃材で出来たポスト。郵便屋が手作りした不格好なそれは、今日も空のままだ。最後にポストに物が入っていたのは数か月前。つまりそれから今日まで仕事がないということで。郵便屋はがっくり肩を落とした時だった。
「息災かね、郵便屋」
声のする方へと食い気味に振り返る。久しぶりの仕事の気配に、郵便屋の顔がパアァと輝き、相手を見た瞬間萎む様に苦々しいものに変わった。
「何しに来たんだよ異世界人」
「君に届けて欲しいものがあってね」
待望の仕事の依頼だというのに、郵便屋はやる気がないようで対応がおざなりだ。けれども依頼主である白いスーツの男は、そんな様子を意に介すことなく片手に収まるくらいの小包と座標データを差し出す。
「まあ今は珍しく仕事がねぇからな。アンタの依頼受けてやるよ」
明らかに強がりとわかる言葉と共に、差し出されたものを受け取り、座標データをミーティアへと入力する。表示された場所を見て郵便屋は思わず眉をひそめた。
「あン? これデータ間違ってねぇか?」
「いや、それであっている」
そこは数年前にケモノによって壊滅させられた街。最早そこには誰もいるはずがない場所で、この小包を一体誰に届ければいいのだろうか。そんな疑問を込めて郵便屋はなじるような視線を向けるが、白いスーツの男はどこ吹く風だ。しばらくして折れたのは郵便屋の方だった。
「まあいいぜ。もう受けちまった話だ。届けてやるよ」
「頼んだぞ」
白いスーツの男はまるで蜃気楼のように忽然と消えた。残されたのは郵便屋と、片手に収まるくらいの小包のみ。
「ケッ気に食わねぇ野郎だぜ」
忌々し気に地面に向かって唾を吐くと小包を収納ボックスの中に仕舞う。
郵便屋が白いスーツの男と出会ったのは一年ほど前。その時も今回のように唐突に現れ、忽然と消えた。郵便屋が言う通り異世界人なのだろうか。一つ言えるのはこの終末世界において輝くような白のスーツはあまりに異質すぎた。
「まあ今から行きゃ、暗くなる前にゃ着けるだろ」
そう独りごちると、郵便屋は赤のアポロキャップを取り出し深く被る。彼にとって白いスーツの男の正体などどうでもよかった。郵便屋からすれば白いスーツの男は異世界人であり、重要なのは彼からの依頼は面倒なものであるということ。
支度を整えた郵便屋はミーティアに跨りエンジンをかける。響き渡る排気音。アクセルを回しミーティアを走らせた。
無人の砂漠地帯を郵便屋は颯爽と駆け抜ける。とんだ悪路だがミーティアには関係がない。ぎらぎらと焼き尽くすかのような灼熱の太陽。周囲にはサボテン一つ生えてなく、代わりに崩れ落ちた鉄骨群が砂の下から突き出ている。錆び付き風化したそれらはかつての文明社会の名残。同時にこの世界が終末を迎えてからの、経過した年月を示していた。
かつて繁栄の限りを尽くした人類は今や絶滅の危機に瀕していた。太古の昔に起きた天変地異や巨大隕石が再来したのだろうか。あるいは星系外生命体による侵略。いや、人工知能の反逆の可能性も捨てきれない。
なんてことはない人類の自滅。始めは小さな火種だった戦火は、瞬く間に世界を巻き込む大火へと成長し、人類だけでなく星そのものを飲み込む業火へと至った。
海は有害物質で汚染され、大地はとうに枯れ果てた。かつての青い星は錆びた赤へと変わり、膨大な数の生態系が崩壊した。それでも人類は生き延びた。この終末世界へ適応しようともがき、人としての在り様すらも歪ませながら。
バシュンッ。後方の砂原が跳ね上がった。レーザー銃による狙撃に、郵便屋は思わず舌打ちし、同時にバックミラーを確認する。ボロを纏い、錆び付いたバイクで迫る三人のヒトガタ。人からケモノへと在り方を歪ませたモノたちからの襲撃だった。
滅茶苦茶に放たれるレーザーをジグザグ走行で躱していく。郵便屋と三人のケモノたちのマシン差は歴然で、すぐにケモノたちを置き去りにするだろう。だが郵便屋の顔は厳しいままだ。
奪うことに特化したケモノは、しかし人としての知性を確かに有している。醜く本能のみに突き動かされながら、底知れぬ悪意は健在だ。
前方より十名のケモノの群れ。不快な雄叫びを上げながら迫るそれは挟み撃ち。郵便屋が幾ら加速しようとも、大きく展開するケモノの群れは避けられない。掴まれば死。身体は嬲られ貪り食われる。そしてミーティアは奴らの物に。
郵便屋は頼れる相棒の機能の一部を開放する。太陽光で動くミーティアのもう一つの動力源。車体に受ける風を力に変え、不可視の空気翼を展開した。アクセルを回し更なる加速を。それは強烈な浮力を生み出し、深紅のボディを浮き上がらせる。
「ブッ飛ばすぜ!」
掛け声と共にジェットエンジンを起動。貫くような甲高い音と共に、ミーティアは砂漠を越えて、無窮の空を翔け抜ける。それはまさに一条の
空が赤みはじめ、あと二時間もすれば陽が落ちるだろう。漸く郵便屋は指定された座標へと到着した。そこはかつて人が住んでいたであろう建物。ケモノに奪い尽くされ、見る影もない。そんな中で奪われなかったものがある。
「オ待ちしテおりマした」
歪な機械音声。それはベコベコに凹んだドラム式ロボット。旧式の無骨なデザインのそれは、だからこそ奪われずに済んだ。
「ほら。お届け物だぜ」
ミーティアの収納ボックスから小包を取り出すと、ロボットの平らな頭の上にぽんと置いた。精度の悪いカメラアイが困惑したように左右に動き、しばらくして処理が完了した。ドラムロボは「あリガトうござイまス」と郵便屋に一言礼を述べると、建物の奥へと進んで行く。
小包を届けた時点で郵便屋の仕事は終わりだ。後は帰ればいいだけ。だが郵便屋はドラムロボへ付いていくことにした。彼の直観がまだと告げていたのだ。
天井が吹き抜けとなり、壁も打ち壊された建物。だがドラムロボの動きが、かつての間取りを教えてくれた。ドラムロボは小さな何もない部屋で動きを止める。
「オ嬢さマ。お兄サまからのお届け物デス」
何もない空間に向けて言葉をかけるドラムロボ。郵便屋はそれを見て悼む様に目を伏せる。
彼には分ったのだ。その場所こそがドラムロボの主の最後の場所で。そこにはもう何もない。遺体はおろか血痕すらも奪われた。それでもここで誰かが死んだのだ。
「なあ。お嬢様の代わりにオレがそれ、開けていいか?」
「ドうぞ」
ドラムロボの旧式AIでは、既に主人が亡くなったことを認識できないのだろう。郵便屋は許可を貰うと小包を開けた。それは青い液体の入った小瓶だった。
「オ嬢様はイってました。いツかオ兄さマが花畑を見せてクレると。きっトそれガそうナノでしょウ」
郵便屋は小瓶を目の高さまで掲げた。花畑どころか花ですらない小瓶。一体どういうことだと観察するように指で弄び、「あ」と滑らせた。
床に落ちパリンと砕け、中の青い液体が飛び散った。同時に郵便屋の鼻孔を貫く甘い香り。嗅いだことのない刺激に思わず顔を顰め、次に目を開いた時には一面の花畑が広がっていた。
「これは一体……」
呆然と周囲を見回す郵便屋。その視界には失われて久しい色とりどりの花々が咲き乱れていた。
嗅覚は記憶と密接に関わっている。匂いがきっかけで思い出したというのはよくある話だ。小瓶の中の青い液体。それは個人の記憶でなく、遺伝子に刻まれた過去の光景を呼び起こすためのもの。
郵便屋には詳しい理屈はわからない。だがこの光景は兄が妹にどうしても見せたかったものだということはわかった。妹は既に亡く、白いスーツの男が動いたということは兄の方もそういうことだ。
「どうカしまシタか?」
ドラムロボが心配そうに声をかける。郵便屋は思わず目頭が熱くなり、ぎゅっと閉じた。主の言葉を律儀に守り通したドラムロボ。せめてこれだけでも幻想の花畑を見せてやりたかったが嗅覚を持たない以上それも叶わない。
郵便屋の仕事はいつもそうだった。届けるものはなく、届ける相手はもういない。一陣の風が幻想の花畑を吹き飛ばす。もうここにはなにもない。なにも。
ドラムロボが困ったようにボディを小刻みに揺らす。これからどうすればいいのか困惑している様子だった。
「お疲れ様。お前は立派だったよ」
郵便屋は労わるようにドラムロボをポンポンと叩いてやる。そしてそのまま優しくロボの電源を落とした。
夜の足音がすぐそこまで迫ってきている。そろそろ帰らなければここで野宿する羽目になるだろう。それだけの装備を持ってきていなかった。郵便屋はゆっくりと歩き出す。
「なあ先輩。アンタはさあ、最後まで人間だったんだな。奪うだけのケモノにならず、全てを諦め滅びを待つわけじゃない。小さな希望のために歩み続けたんだな。オレもいつか……」
郵便屋はミーティアに跨るとエンジンを回す。そして夜の砂漠を走り出していった。
全てが終わりかけの終末世界。それでも人は、生きている。
終末世界の郵便屋 山﨑或乃 @arumonokaki
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