第5話 母様の好きな花 (オスカー視点)

「どうしたの?」


 庭を散歩していたら僕の護衛の一人が落ち着かない感じだった。尋ねると気恥ずかしそうに今日が奥さんの誕生日であること、そして青い顔で花束を用意し忘れたことを教えてくれた。


 この国で女性に贈る花束を適当に用意することはマナー違反だ。



「妻の花は南方に咲く花なので手配するのが少々難しく……」


 この国で女性に花を贈る場合はその女性が自分の花と決めた花を必ず入れなければいけない。貴族女性の場合は自分だけの花と決めていてその花を他の女性が自分の花とすることはない。そのルールは絶対。だからその花を入れ忘れることはあってはならない。


 この習慣は王家にあった風習から生まれた。


 このシュバルツ王国の王は、王位に就くと王妃になった妻に国の花である寒紅梅と彼女の花から作られた花紋を贈る。そして王妃の花を背負った狼の紋章を自分の紋とする。


 母様が公的に自分の花としているのは淡い桃色の縁取りが特徴の白バラだから、母様の花紋は寒紅梅とそれ、父様の紋は狼とそれ。個人的な親書にはそれを押して、国の親書は寒紅梅を背負った狼の紋を押す。


 こんな感じでシュバルツ王国は花については煩い。それもこれもこの国には一年中色々な草花が咲き乱れているからだ。完全に植生を無視している。


 人間が住む地の最北にあるこのシュバルツ王国は魔獣の脅威さえなければ気候が穏やかで天災もない暮らしやすい国だ。この国には天獣の加護を持つ者が多く、その加護が複雑に作用しあってこの国の気候などに影響を与えているらしい。近隣の国から来た人たちは真冬に国境を越えてこの国に入ると「さっきまで極寒だったのに」と首を捻っている。


 そのため国内の造園業は熱く、庭師を始めとして造園に携わる職人も多い。植物系の天獣の加護をがある職人の作った庭は芸術品の域だ。



「結婚したばかりだったよね」

「はい。結婚して初めての誕生日なので……」


 残念がられるよね。

 貴族女性に自分の花を贈れるのは婚約者か夫だけ(自分の息子や孫もよい)。だから自分の花を贈られることに対する彼女たちの憧れは強い。


「忘れたらどんな目に遭わされるか」


 ……そっちかあ。


 まあ、分かる気がする。貴族女性の花に対する熱はすさまじい。貴族名鑑に花索引があるくらいだ(花の名前から逆引きで名前が出る)。



 僕の友だち作りのために始まった茶会も七年目、花決めが始まったご令嬢も出てきている。


 花決めのルールは簡単。まずは出来るだけ格式が高く高位貴族の令嬢たちが集まる場で自分の花はこれだと発表する。この花については事前に現在それを花としている女性がいないことを確認してある。


 先に言った者勝ちかと言われるとそうではない。同じ花を二人以上が選んだ場合は家格の低いほうが譲る(人気のある女性貴族の花だったときなどよくある)。


 この段階ではあくまでも自分の花であって、自分だけの花ではない。貴族名鑑にも載らない。


 その花を自分だけの花とできるのは王子妃もしくは貴族家の当主夫人となったときだけ。お披露目の席で女性が嫁いできたときに身につけていた花が刺繍された花嫁のヴェールが公開されて漸く自分だけの花になる。年齢一桁で宣言してからだから長い時間だ。先代が長生きだと三、四十年かかることもあるらしい。



 ……なんか花の話をしていたらあそこに行きたくなったなあ。


 行き先を変更してバラ園に向かう。

 

 母様の花になっているバラが沢山植わっているバラ園は父様が母様を想って作った場所。城の南のにある最も陽当たりのよいところにある。僕にとって父上との散歩と言えば決まってバラ園。最近は父様と一緒に散歩することがちょっと恥ずかしくて一人で来ることが多いけれど。


「いつも通りここで待っていて。出入口はここだけだから護衛は二人で十分でしょ? 僕が許可を出すから庭師を探して奥さんの花を準備しておいでよ」

「あ、ありがとうございます!!」


 城の庭にない花かもしれないけれど、ここになければ街で見つけることはまず難しいだろう。



 バラ園の中心の秘密の庭。人ひとり分だけの生垣の隙間から中に入り、目隠しを兼ねた木を避けて回り込むと十メートル四方のシロツメクサが拡がる場所があって、ここのシロツメクサはバラよりも大切に育てられている。


 だってこのシロツメクサが母様の本当の花だから。



 五歳のとき、僕は初めて夜会に参加した。


 参加といっても挨拶くらい。その夜会は海を越えた先にある国からきた王族の歓迎のために開かれていて、あとから知ったけれど僕の参加はその国の王妃様の希望だった。


 茶会とは違い、照明の下で開かれる夜会は煌びやかだった。


 父様の言いつけは「絶対に会場を出るな」と「ご令嬢と二人きりになるな」の二つ。僕は護衛の騎士たちとあちこちを見て回った。大人の世界に混ざりこんだ興奮が抑えられなかった。ときおり見かける父様は初めて見る民族衣装を着た人たちと異国語で話していて、それがとても恰好良かった。


 一通り回ったところで侍従が僕を呼びにきた。この夜会に参加した理由、他国の王様たちと会う時間だった。


 ――― なんて、まあ、セリスによく似て。


 王妃様の口から出てきたのはシュバルツ王国の言葉だった。異国情緒漂う民族衣装が似合っていたが王妃様は元はこの国の侯爵家のご令嬢で母様の親友だったらしい。僕を見て母様に似ていると、とても嬉しそうに笑ってくれた。


 一通り話をして五歳の僕は退場の時間になった。「そろそろ……」と侍従が僕を呼びに来たところで、王妃様があごでクイッと父様を控えの間に誘った。高貴な女性らしからぬ粗野な仕草だったけれど妙に似合っていた。


 できれば僕も一緒にと言われたからついていった。「よければ」と差し出された王妃様の手を握ると暖かかく、握る力は慈しみに満ちていて優しかった。ただ見上げると彼女の瞳の奥には怒りが灯っていて、彼女がそれを向ける先は父様だった。


 控えの前に入ると王妃様は僕の手を放し、「ごめんなさいね」と優しい顔で僕に詫びると手を拳にして、右腕の肘を折って後ろに大きく引いた。


 ――― なぜセリスを守らなかった!! セリスがあんな状態に、お前のせいで!!


 そして手と反対の左足を大きく一歩前に踏み込んで父様の頬を殴りつけた。その勢いに父様の顔はぐるっと右を向かされていた。いま思い出しても女性とは思えない見事さだった。


 想像もしていなかった光景に僕が唖然としていると、「スッキリした」と言って王妃様は側近の男性に持たせていた籠を取って僕に渡した。中にはシロツメクサの鉢植えが入っていた。


 ――― これが本当のセリスの花です。


 城の宝物庫に保管されている母様の花嫁のヴェールに刺されていたのは白いバラ。どういうことかと王妃様を見れば悲しそうに笑った。


 なんてことはない、父様の婚約者になりたくてもなれなかった貴族女性たちの母様への嫌がらせだったのだ。


 シュバルツ王国では花嫁に贈るヴェールは花婿になる男が贈る。ヴェールに刺すのは女性の花、だから母様のヴェールに刺されるのは本来ならシロツメクサのはずだったらしい。


 しかし期限ぎりぎりになってグリーンヒル侯爵家に届いた花嫁のヴェールに刺されていたのは白バラ。僕の目から見ても一流の職人が刺したのだと分かる見事な美しさ。さぞかし母様の目には痛かっただろう。


 調べてみると父様が注文したあとに訂正が入ったらしい。職人も間違えてはいけないと城にも確認を取ったらしいが、父様の側近を名乗る者が白バラで間違いないと答えたという。


 父様が悪いわけではないけれど、母様にとっては悲しい話。


 王妃様は花さえ自由に選べなかった母様が不憫だといった。父様に対して憎いという言葉が吐き出されたとき、僕はぎくりとして思わず彼女の顔を見た。王妃様はボロボロと泣いていた。


 ――― セリスを返して! 私のたった一人の大切な親友、セリスを返しなさいよ!!


 慟哭とも言える声で批難する王妃様に父様は何も応えられずにいた。いつも強気で前だけを見ている父様が肩を落とす姿を僕はこのとき初めて見て、今も忘れられないでいる。

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