第1話 世紀のロマンス

 俺の母ローナは【聖女】だった。

 ローナは下町で生まれた庶民だったが、神殿の鑑定で【聖女】だと分かった瞬間から準王族として大事にされるようになった。


 【聖女】は国民にとって希望であるが、為政者にとっては頭痛の種だった。

 【聖女】は準王族なので王よりも下だがそれは形式上のことで、国防の要である彼女の願いは王でも拒否することができないからだ。


 【聖女】とその隣に立つ者の発言力が王よりも強くなることを恐れた王族は、聖女を自国の貴族子息の多い学院に入学させて、国全体で【聖女】のロマンスを徹底的に支援するようになった。


 これはこの国で王となった者しか知らないこと。

 ローナの世紀のロマンスも当時国王だった祖父によって作られ、ローナは当時王子だった父と恋をすることになった。


 歴代の王のためにも言っておくが、恋愛の支援といっても「既成事実を作る」などといった乱暴なものではない。

 二人が偶然会えるように工作したり、ロマンチックな雰囲気を演出するだけだ。


 恋愛力が強い王たちが精査し、監修して改修を重ねたシュバルツ王国の秘宝ともいえる『ロマンス指南書』はとても分厚い。

 そしてこれを全て頭に叩きこんだ王家の影たちが花を咲かしたり、流れ星を作ったりと演出を重ね、二人のロマンスを育てていくのだ。


 もちろんこんな裏工作を恋に夢中な二人が知ることはない。

 男が王子の場合はのちに知る場合もあるが、当時はそんなことを知る由もないため身の回りに起こるロマンチックは「自分たちの恋が運命だから」と思い込む。


 【聖女】にとって王子は美しく気品ある婚約者と別れて自分に恋した男性。

 王子にとって【聖女】は騎士団長の息子、大司教の息子、大商会の跡取り、隣国の皇太子など数多の求愛者たちから自分を選んだ女性。


 婚礼衣装に身を包み、お互いを唯一無二と見つめ合う若い二人を国民は祝福し、この国は王族の離縁を認めていないため祖父は「ようやく肩の荷がおりた」と安堵で胸を撫で下ろしたらしい。


 しかし祖父たちの受難はここから始まった。

 ローナたちが「自分は特別」、何をやっても必ずうまくいく特別な存在だと思い込んでしまったからだ。

 まあ、状況的にそう思っても仕方がないが、特別だったのは「聖女に選ばれたこと」だけで、ロマンチックな恋はもちろん、学校の成績だって影からの手厚い支援と裏工作の結果だった。



 当たり前のことだが、結婚式は人生最良の日であっても、人生最後の日ではない。

 結婚した二人は「王子」と「王子妃」、つまり王族としての責任を果たさなければいけなかった。


 まあ、最大の責任ともいえる後継者作りについては早々に成功していて、俺は二人の結婚式から一年も経たずに生まれている。

 しかし、二人は後継者作り以外の政務をとことん嫌がった。

 さらに庶民として生まれ育ったローナは王子妃に相応しい教養と所作を身につけなければならず、政務と並行して妃教育を受ける必要があったのだが、ローナはこれを拒絶した。

 ローナの教育係たちは「【聖女】でも性格が聖女とは限らない」とため息を吐き、二桁の教育係がサジを投げて辞退を願う書面を提出していった。


 最初はそんなローナを父も説得しようとしていたそうだが、楽な方に逃げる傾向があったのだろう。

 学院時代の恋した気持ちに「私たちは特別なのよ」というローナの甘い言葉も重なって、父も王子としての責務を放り出して遊興に耽るようになってしまった。


 ローナは実にタチの悪い人間で、ひとりで腐りきってくれるならいいのに、周囲を巻き込んで城全体を腐らせていった。

 国民たちが思い浮かべる清純な【聖女】などどこにもおらず、ローナは国の税金でお友だちと遊び惚ける悪女だった。


 でも【聖女】であるローナに全員が我慢しなければいけなかった。


 夜会の席でローナに嘲笑われ、矜持を傷つけられた貴族の令嬢たちは屈辱を飲み込んだ。

 外交の場でローナが他国の文化を貶めたとき、外交官たちは長年かけて整えてきた外交条件に涙ながらに修正を加える羽目になった。


 彼らは二人の恋を世紀のロマンスだと憧れた自分を、ロマンスの末の結婚を祝った自分を、さぞ呪ったことだろう。

 その立役者の一人ともいえる祖父は自責の念に駆られ、何とかしようと身を削って彼らの責任を肩代わりしながら頑張り続けた。


 こんな王城の惨状にブチ切れたのが王子の母であり、俺の祖母である当時の王妃だった。


 まず祖母は般若の心情を慈愛の仮面で完璧に隠し、俺を産んだばかりのローナに「子育てなんて大変なことは私に任せなさい」といい、俺を自分の宮に引き取り自分の手で養育した。


 自分がお腹を痛めて産んだ子を奪われたというのにローナは喜んだらしい。

 国の母とも言える妃としての地位はもちろん、たった一人の子の母親としても不適格だったのだろうと思う。


 数年後に祖父が亡くなったときも、祖母は王子である父と貴族たちを集めて「王の業務は大変だもの、私が王の責任の全てを代行するわね」と言って父から実権を奪い己が握った。


 この形だけの王となることを王となる王子は喜んだらしい。

 ある意味似たもの夫婦だと思う。


 そして祖母は俺が十歳になると「王として他国の王族や官僚とわけの分からない話をするのは大変でしょう?この子が成人したらすぐに王になってもらいましょう」と形だけの王だった父に言った。


 傀儡だって王は王であり、王が出なければならない場面が少なからずあることに不満を抱いていた父は喜び、俺の十八歳の誕生日当日の朝、全貴族のもとに父の手による譲位式の招待状が届いたほどだった。

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