第7話 切なる願い

 セリスに会いに行くときにはいつも二つの花を持っていく。

 女児が戯れで作るシロツメクサの花冠と、セリスの名をもつ桃色の縁が特徴の白バラの花束。


 セリスを称えて改名された「レディセリス」がセリスの花だと思われているが、本当の彼女の花はシロツメクサ。

 彼女の親友であり異国に嫁いだシャグラ王妃に指摘されるまで忘れていた自分が情けないが、セリスはカールトン侯爵邸の裏にあるシロツメクサで覆われた丘が好きだった。


 シャグラ王妃に殴られた夜会のあと、俺は秘密裏にカールトン侯爵邸を訪ねて、何年か振りに丘に登った。

 小さな頃は大きかった丘は思ったよりも小さく、思い出の中の少年と少女がシロツメクサの花冠を頭にのせて笑い声をあげていた。


 どこにである風景だが、花冠を乗せていたのが少年の俺というのは珍しいものだろう。

 黒髪に花冠を乗せて「男なのに」と不貞腐れていた俺を見ながら、セリスはミルクティ色の髪を揺らして楽しそうに笑うと俺の手を取って、


『セリス・フォン・カールトンはロシェ様を幸せにすることを誓います』


 誓いの言葉に驚く俺にセリスは返事を求め、恥ずかしかった俺は「それは男が言うんだぞ」とムキになって言い返すしかできなかった。


『ロシェ様は私より泣き虫で弱虫ですもの、だから私が守ってあげますわ』


 先に成長期を迎えたセリスは俺より体が大きくて、体の大きさを強さの象徴と考えていた子どもの俺はひたすら悔しかった。


 当時は悔しかった理由が分からなかったが、今ならあの時の悔しさの理由がよく分かる。

 俺はセリスが好きだったのだ。


 どんな他愛のない俺の話でも、楽しそうに、屈託なく笑う彼女が好きだった。


 でも俺はセリスに一度も「好きだ」と言ったことがない。

 それどころか俺は彼女への恋心を否定しようとして……実に愚かな真似をした。


 ***


 俺の婚約者候補のひとりになったセリスは城で過ごすようになった。

 令嬢としては腕白だったが、知識欲が強くて真面目な性格をしていた彼女はあっという間に可愛らしい淑女になった。


 学院の中等部にあがった頃、俺の体はひょろりと伸び始めた。

 セリスは「まだ私の方が」とムキになり、俺に背を抜かれた直後は髪の毛を頭上でまとめて背丈を増すなど悪足掻きしていた。


 この頃は少年も少女も心身が成長するとき。

 背が伸びたことで己の庇護対象から抜けようとする俺をセリスが気にかけるように、少女の終わりの時期特有の爽やかな色香を放つセリスの中の『女性』が俺は気になって堪らなかった。


 もしあの頃に戻れるなら「落ち着け」といって、幼馴染が女性であることを意識し始めた俺を殴り飛ばして、自分の中の恋情を自覚させただろう。

 しかしそんな導きがもらえなかった俺は、セリスから感じる『女性』からローナを連想してしまい、セリスを見て感じるモヤモヤを嫌悪だと誤解した。


 幼馴染であり大事な友だちであるセリスを嫌悪したくなくて、嫌悪が知られたらセリスが離れてしまうと思って、俺はセリスと距離をとっていた。

 心理的な距離というか、あからさまに避けたわけではなく、セリスを他の多数と同じように扱うことで距離を置いた。


 そのことについてセリスは何も言わなかった。

 勘のよいセリスは俺の態度から俺の望みを察し、彼女からも距離をとるようになった。

 幼い頃から呼ばれていた「ロシェ」の愛称は消え、二人きりのときでも彼女は俺を「ロシュフォール様」と呼ぶようになった。


 二人きりでいたいのに、二人きりは気まずいから困る。

 思春期の複雑な心境を思い出すために俺は頭を抱えたくなり、過去に戻るのは全く構わないが思春期より前は絶対にイヤだと思っていたりする。


 俺とセリスの間に距離が生まれたことを、元婚約者候補の令嬢たちは喜んだ。

 妃教育の厳しさに耐えられず一年も経たずに実家に逃げ帰った彼女たちは、まだ頑張っているセリスに対して悔しさもあったのだろう。


 彼女たちは俺たちが二人でお茶をしているときに割り込み、そんな彼女たちを俺は、セリスが特別だと誰にも知られたくなかった俺は、彼女たちの邪魔を喜んだふりをして受け入れた。


 なんでこのとき彼女が好きだと気づかなかったのか、いまでも悔やまれる。


 俺はセリスと二人でお茶を飲む時間が好きだった。

 風に揺れる彼女のミルクティ色の長い髪を見るだけで幸せだったのに。


 やり方を間違えたのだと気づいたのはセリスの十五歳の誕生日だった。


 「誕生日だから」と自分に言い訳して久しぶりに王宮の庭でお茶をしようとセリスを誘い、セリスが来るまでそわそわと浮かれていたのだが、侍女に案内されて現れたセリスの髪型に驚いた。

 いつも垂らされてふわふわ揺れていた髪がきっちりと、後れ毛ひとつなく綺麗にまとめられていた。


―殿下、本日はお招きありがとうございます―


 セリスとの出会いから初めて、俺はセリスに初めて『殿下』と呼ばれた。

 あまりの衝撃にこの日の茶の席のことは覚えていないが、庭を出ていくセリスの後ろ姿を見ながら最近セリスの笑顔を見ていないことに気づいた。


 それからセリスとの交流は婚約者候補として最低限になった。

 何かと理由をつけられて一緒に登校することさえもなくなり、笑顔どころか顔すらも見ない時間がどんどん延びていったころ、俺たちは鑑定式に臨んだ。


 神力は遺伝的な要素も大きいため、聖女の息子の俺はひそかに神力が使えることを期待されたが、鑑定結果は「神力なし」だった。

 ローナから引き継ぐものなど何も欲しくなかったからホッとしていた。


 全ての男子生徒が鑑定を済ませ、何人かが自分の中に神力があることに喜び、一人が知らぬ間に神獣と契約していることを知らされていて驚いていたとき、女生徒たちが鑑定していたはずの会場が賑やかになった。


 セリスが【聖女】だと分かったからだ。


「あのとき君は泣きそうな顔をしていたな」


 俺がセリスの頭にシロツメクサの花冠を被せる。

 石の表面はつるりとしているから滑り落ちそうだ。


 手先は器用なほうではないため、不格好な花冠は直ぐにほどけそうな有様。

 それがあの日の惨めな俺を思い出させた。


 ***


 俺がセリスの部屋を出ると、俺の神獣である神竜が部屋の結界を張りなおす。


 セリスが石像になった後、俺は祖母に国を任せて神竜が棲むという山に向かった。


 神竜は最強の神獣で、神竜と契約ができる者は数百年に一人とされている。

 そのため契約できた者は「最強の騎士」と称えられるのだが……俺が欲しいのは称号などではなく、神獣の加護によって得られる長寿だった。


 過去の文献には、神竜と契約を結んだ者は他に比べて二十年ほど寿命が長くなるとあった。

 実際に契約後は髪や爪があまり伸びず、体の成長や廊下がゆっくりになったように感じる。


 俺が長寿を願う理由はただひとつ。

 一秒でも長く生きられれば、石化が解けたセリスに会えるかもしれないからだ。


 俺は彼女の風に揺れるミルクティ色の髪を見ながら、ただ一言「好きだ」といってから死にたいんだ。

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