第8話 毒婦との因縁 (ロシュフォール視点)
「陛下!!」
使者が帰り一息吐こうとしたところで青い顔をしたハディルが執務室に駆け込んできた。何があったかと聞けばオスカーがバラ園でマチルダと遭遇したらしい。
「護衛は何をしていたんだ」
「咄嗟に間に入り側妃に距離をとらせたそうですが……側妃はサブリナ様を殿下の姉と……」
あの毒婦め!
「オスカーは、部屋か?」
「それが、王妃の間に閉じこもってしまいました。とても混乱した状態で我々には手を付けられず……いかがしますか?」
どうする、か……。
「話したくはないが、話すしかないだろう……嘘を吐けばセリスのときの二の舞になる」
マチルダは側妃と呼ばれているが俺の側妃ではなく先王の側妃だ。本来なら譲位した王に側室など認められないが、マチルダが産んだサブリナが王族である以上はその母を放置できないので側妃として召し上げさせた。
異母妹の母親、それで片付けられない因縁が俺とマチルダの間にはある。
俺は十六歳の誕生日を迎えて成人するとすぐに閨教育を受けることが決まっており、先王は閨での作法を指南する女性をルディル子爵夫人に決めた。夫を亡くした若い貴族夫人。ルディル子爵夫人は指南役の条件を満たしていたが、その決定を知った者は、俺も含めて一様に複雑な表情を浮かべた。
それもそのはず、子爵夫人は先王の愛妾の一人だった。しかもルディル子爵存命のときから二人は愛人関係にあった。その女性を俺の指南役に選ぶ先王の悪趣味さには辟易させられた。当然だが全く気は乗らず、俺はこれもしきたりだと義務感だけで閨教育に挑んだ。
教育とか指南とか言うがいわば練習だ。
当日、俺は性的興奮を高めるための薬酒を飲んで予定された部屋に向かった。室内は蝋燭一本だけの灯りがなく、伸ばした手の先が見えるかどうか。指南役に変な情を持たせないためだと聞いていたが、こんな暗い中、手探り状態で経験したことが本当に役立つのかと思った。
白けた心を無視して体は薬酒の効果で昂ぶり始める。しきたりだから仕方がない。そう思いながら俺は覚悟を決めて人の気配がするベッドにあがった。
セリスを追いやるほど情欲を忌避していたので女を抱いたのはこの日が初めてだった。
欲を出したので倦怠感と気が晴れるような感じはしたが、女を抱いた感想は「こんなものか」と冷めたものだった。これに夢中になる者たちの気持ちが分からなかった。
とりあえずこれで当日みっともない真似はしないですむだろう。そう判断して女から離れようとすると、今まで従順だった女が抗うように腕を俺の背中に回した。引き留めるように力がこもり、それに板立ちを感じたとき初めて気づいた。
―――ロシュフォール様。
その声は聞き覚えがあり、会ったことがないルディル子爵夫人ではないと判断すると俺は「まさか」と思いながら女を退けてベッドから出て照明をつけた。
そして愕然とした。
そこにいた全裸の女は学院で後輩のマチルダだった。
当時俺の周りには愛妾や側妃の座を狙う女たちが大勢いて、マチルダはその一人だった。「どうして」と問う俺にマチルダは満足気に従姉に代わってもらったのだと種明かしをした。
この入れ替わりはマチルダと子爵夫人が考え、子爵夫人が先王におねだりして成立させた企てだった。子爵夫人がこんなことをしでかした理由はくだらないもの、マチルダが俺を慕っていて従妹にいい思い出を作らせてあげたかったらしい。
王太子の閨教育は王位を継承するのに必要なステップのひとつ。私事ではなく、全て貴族会議で決めるもの。それだというのに貴族たちの意見を無視して未婚の令嬢が俺の相手を勤めたとなれば問題視される。最悪の場合は王太子の俺が貴族たちを軽視して私欲を満たしたと捉えられかねない。
そのため俺は今回の企てはなかったことにした。俺の指南役は子爵夫人で、マチルダはこの場にいなかった。その工作に協力してもらうためにハディルにだけは真実を話した。
俺自身、なかったことにしたかった。
騙された己の愚かさと、セリス以外の女を抱いたという事実を忘れてしまいたかった。
しかしこの三カ月後、マチルダから妊娠したことを告げられた。
俺の子どもだという。
マチルダは妊娠させた責任を取って彼女を側妃として召し上げるように要求してきた。
妊娠の件はさておき、俺の子どもだというマチルダの言葉を信じてはいなかった。
閨教育で飲む薬酒には性的興奮を高める効果のある薬草のほかに、指南役の女性を妊娠させることがないように子種を殺す効果のある薬草がいくつも使われている。さらに言えばマチルダは初めてではなく、指南役であることを疑わないほど閨事に慣れていた。
俺の子である可能性は限りなく低い。
しかし抱いた事実がある以上は絶対に違うとはいえない。そのため俺はマチルダの妊娠を無視することができず、これ以上は俺の手に負えないとお祖母様に相談することにした。
相談を受けたお祖母様は激怒し、翌日にはルディル子爵夫人の姿は城から消えていた。お祖母様が何かしたのには違いないが、俺が探っても何も見つけることができなかった。
共犯のマチルダが無事だったのは俺の子どもを孕んでいる可能性があったからに過ぎない。
仲の良い妹の孫であるセリスを自分の孫の様に可愛がっていた祖母にとっては認めたくもないことだっただろうが、王の直系かもしれない子どもの命を摘むことはできないとこの国の王太后として判断した。直系の王族が少ないことも災いした。
お祖母様はこれ以上マチルダに好き勝手をさせるわけにいかないと、出産まで自分の宮で預かると言ってくれた。幸い父子かどうかは神殿で鑑定できる。そのため子が生まれたら鑑定し、俺の子でなければ子どもは国営の孤児院に預けると請け負ってくれた。
そして俺はセリスにもうしばらく婚約者候補でいてほしいと願い出た。
本来なら成人の儀でセリスを俺の婚約者として発表する予定だったが、他の女が俺の子どもを宿しているかもしれない状態でセリスと婚約をするのは不誠実だと思ったのだ。
俺の申し出にセリスは少しだけ怪訝そうな顔をしたが承諾してくれて、さらには「もう少し親孝行をしておきますわ」なんて言っていた。その口調は仲のいい幼馴染だったときには毎日のように聞いていた軽い口調。久し振りにそれを聞く懐かしさと俺を笑わせようとしてくれているセリスの気遣いに胸がジンッと痺れた。
それからはただマチルダの腹の子が俺の子ではないことを祈る日々だった。俺の子でなければマチルダとのことをセリスに言う必要がないという狡い考えもあった。
しかし成人の儀でセリスが聖女と認められると事態は急転し、今まで散々セリスを俺の婚約者とすることを反対していた貴族たちがこぞって「聖女なのだから」とセリスを俺の婚約者に推すようになった。その声は大きく、マチルダのことを説明できなかった俺はセリスと婚約することになった。
――― 本当に私が婚約者になってもよろしいのですか?
婚約後、セリスは俺に何度もこう聞いてきた。そのたびに俺はマチルダのことでのストレスと相俟って移り気を責められた気になって苛立ち「仕方がないだろう」と答え続けた。
仕方がない。
格好悪い、最低の言い訳だ。
そして、その言葉は色々な意味を持つ。
俺はきちんと言うべきだった。
そうすれば「聖女だから
――― 陛下が私のことを嫌っていることは分かっております。
こんな悲しいことをセリスに言わせずにすんだのに。
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