第8話 解きたくない謎

 俺が学院から帰ると多くの者が笑顔で出迎えてくれるのだが、今日彼らの先頭に立つハディルは笑顔ひとつ見せることなく静かな表情で俺を出迎えた。

 父の側近であるハディルを畏怖の目でみる使用人は多く、俺も彼らに同意している。


「ただいま、父上はまだ仕事中?」

「予定より長引いているため、第二執務室で待っていて欲しいとのことです」


 一階に父上が作った第二執務室は二階にある執務室とは違って、俺や気心の知れた側近だけと仕事をするときに父上が使う部屋だ。

 バラ園に面するように作られた執務室は南面がほとんど窓で、テラスからはそのまま庭園に降りることもできる。


「長引いた原因は例の国の第三姫のこと?」

「あの方は昔から陛下にご執心でしたから……全く『自分も離縁歴があるから側妃でも気にしない』などと、根本から間違っていますよ」

「父上は母上と離縁はしていないからね」


 その第三姫の初恋が父上らしく、結婚を失敗で終えた第三姫は「初恋の君がちょうどよくフリーだから彼に嫁ぐ」と浮かれ騒ぎ、彼女を持て余した国王は「とりあえず当人同士を会わせてみたい」とシュバルツ王国に願い出ているのだ。


「全てをうちに押しつける気なんだね。あちらとしてみては父上と第三姫が結婚すれば儲けもの、失敗しても『やっぱり』というところで痛くもかゆくのないだろうし」

「来られること自体が困るのですよ、陛下の寝室に全裸で特攻するタイプなので」

「あー……父上の神獣が結界で弾くね」


 加護する主を守るための結界ではない。

 寝ることが大好きな父上の神獣はあまりに父上の寝室に特攻する女性が多いことに辟易して、安眠を死守するために強力な結界を張ったのだ。

 この結界により数名の女性が部屋からはじき出された上に、向かいの廊下の壁に叩き付けられて診療所に送られている。


「父経由で神獣にお願いして手加減してもらえば良いのでは?」

「陛下は自己防衛なのだから神竜が手加減する必要はないと仰るのです」


「裸で吹っ飛ばされたくないな……防御力ゼロだし」

「最強騎士がその防御力ゼロの女性を吹っ飛ばすのは過剰防衛となりますしね」


 出戻り姫の国とうちはそこそこ深い付き合いがある。

 大なり小なり複雑な事情で絡んでいるところもあるから余計な波風はお呼びじゃない。


「陛下ほどではありませんが、私も三徹でストレスが。あまりに放っておくとうちのも機嫌が悪くなりますし」


 ……“うちの”?


「ハディルって結婚していたっけ?」

「殿下まで陛下と同じボケをしないでください。妻ではなくて“犬”です。先月うちの馬車の前に飛び出してきて保護し、なし崩しに居ついているのです。拾ったのは私なので、私が世話をしないといけないのです」


 冷徹な補佐官は人情的なところを見られると恥ずかしいらしい。


「この件が片付いたら私は休みをいただきます。陛下も魔物討伐に行くとおっしゃっていましたし」


 魔物討伐は父のストレス発散の手段の一つだ。

 もちろん討伐隊を編成していく遠征なのだが、向かってくる魔物を全て父が倒してしまうため「深淵の森まで豪華なキャンプに来ているようだ」と野営地でも元気いっぱいな騎士たちは野外料理の腕をメキメキ上げているらしい。


 ***


「庭園にいってくる、最近ロン爺にも会えていなかったし」

「ロンなら新しいバラの苗が入ったと言ってたので東の方にいるでしょう。彼の方の髪のような、美しいミルクティ色の花弁のバラだそうですよ」


 ハディルは父の最側近でありながら、母のことを「彼の方」と呼び、他の者のように再婚をすすめない。


 すすめないどころか、父への恋慕に酔う令嬢たちに「この方よりも美しくなったら出直してください」と手のひらサイズの母の肖像画を見せながら失礼極まりない台詞を吐き、自信過剰な令嬢たちの出鼻をポキポキ折りまくっている。


 因みに手のひらサイズの母の肖像画は父のものだ。


「東……東……」


 父が造らせたバラ園はレディセリスを中心に数々のバラがある。

 頻繁に新種のバラが咲くこの庭園は国内の貴族や海外からの賓客が「ぜひ見てみたい」と入園を希望する場所だが、父はここに入れる人を厳しく制限している。


 父の許可なくは入れるのは俺と庭師のロン爺だけ。


 ロン爺はこのバラ園を造るとき父自ら連れてきた庭師。

 腕の良いという庭師がいるという噂で本人を訪ね、西部の領主の邸で庭師をしていたが趣味が合わず辞めたと聞いて熱心にスカウトしたらしい。


 ロン爺の条件は給与でも待遇でもなく、自由に庭を作らせろと一言。


 その条件をのんだ父はロン爺を連れてきて、ロン爺はバラ園以外は父の意見を聞くことなく好き勝手に庭を整備した。


 ロン爺を守護する神樹との出会いもそんなことしていたかららしい。

 「朽ちかけていたトネリコがあったから手持ちの肥料をぶっかけた」と言ったが、神樹はロン爺オリジナルの肥料の味をいたく気に入り加護を授けたらしい。


 この国には神獣たちの加護を持つ者が多くいるので自然に神獣の気が満ちていて植物が育ちやすいが、中でもこの城は聖女・神竜・神樹の強力な三つの加護を受けて常に花が咲き乱れている。


 庭を愛し、花を愛し、自分を愛してくれる神樹も城にいる。

 ロン爺はここで暮らすことを決め、神樹の傍に小屋を作って植物や肥料の研究をしながら暮らしているのだ。


「おや、殿下。何か御用ですか?」

「父上の執務室に花を飾りたいんだけど、用意してもらてるかな?」


 ロン爺の許可なく庭園の花を切ろうものなら、王である父でさえ長い説教を喰らうことになる。


「承りました……しかし殿下もお年頃なのですから、お父上ではなくどこぞかの御令嬢に贈られたらいかがですか?爺の庭には豪奢から可憐まで様々な花がありますぞ、もちろんレディセリスも切り花用に用意してあります」


「可愛いなって子は何人もいるけど特別な感じの子はまだいないな」

「いい加減な真似をしてはいけませんよ?あとから『特別』と言っても信じてもらえなくなりますからね」


 ロン爺の言葉が何を指すか気づいた俺は苦笑する。


「また父上と飲んだんだ。」

「陛下は酒を飲むと毎度別人になりますな。口を開けばセリス様のことばかり。セリス様を傷つけてしまった、セリス様に信じてもらえなかったと……いつもの愚痴です」


「父上はロン爺のことを信頼しているんだよ、俺はまだそこまで信頼されてないな」

「父親は息子の前では格好つけるものですよ。陛下の相談相手になりたくば、恋の失敗を経験なさいませ」


 ロン爺曰く、恋の失敗のひとつやふたつはないと一人前じゃないらしい。


 厳つい顔に似合わずロン爺は恋愛至上主義。

 いつか彼の恋の失敗を聞いてみたいと思う。


「おや、庭園の入口が何やら騒がしいですな」


 俺が耳をそばだてると、聞き覚えのある女の声。


「マチルダだ」

「側妃の自分にもこの庭に入る権利があると言っているのでしょう、いつものことです」


「俺が行ったほうがいいだろうか」

「殿下があの女共と接触することは陛下が厳しく禁じております。神樹の結界を敷いたこの庭に奴らが入ることは絶対にできませんので、殿下は安心して裏からお出になってください」


 ***


 マチルダに俺が初めて会ったのはこの庭園で、会ったあとで彼女が『毒婦』と呼ばれていることを知った。


 あの日もマチルダは娘の手を引いてバラ園の入口をジッと見ていた。

 いまでこそ「入れない理由」を知っているが、当時の俺は父上の特別しか入れないのだと思っていて、自分は父親の特別なのだと自慢したい気持ちと相まって、俺は自らマチルダに近づいたのだった。


 俺に声をかけられたマチルダは俺をジロジロと見たあと、「まあ、オスカー殿下」と口の端をニイッと歪めて笑った。

 悪意のある笑顔を見るのが初めてだった俺が反応を返せずにいると、


―サブリナ、あなたの弟のオスカー殿下よ―


 「また妄言を吐くおばさんか」とこの手のご婦人に慣れていた俺は冷めた気持ちでサブリナと呼ばれた少女を見て、喉を絞められた気がした。

 実際に俺の口からはヒュッと音を立てて空気が出ていた。


 サブリナは父上にとてもよく似ていた。


 俺よりも父上に似ている少女の存在に、俺の全身の毛がゾワリと逆立った感じがすると同時に、俺は裏切られた気がしたのだ。


 母を一途に思う父を見て育った、父への誇り、そんな恋をすることへの憧れ、そして少年特有の潔癖さが相まって、俺は逃げるように戻った部屋で倒れると熱を出して三日ほど寝込んだ。


 その後、目覚めた俺が最初に見たのは、心配と不安混じりの、泣きそうな父上の顔だった。

 目覚めたもののまだ熱がある俺を父上は自ら看病しながら、あのマチルダは祖父の側妃の一人だと教えてくれた。

 祖父に愛妾がたくさんいるのは知っていたが、子を産んだことで側妃になったのだと教えてもらった。


「父上はサブリナが自分の子ではないことは神殿で証明されていると言っていたが……それって証明しなければいけないことはあったということだよな」


 あの日の父の様子から問いただすことができていない胸のモヤモヤ。


 父はいつも俺に「憶測で物事を判断してはいけない」という。

 そんな父だから「マチルダとの間に何があったか?」と俺が問えば正直に話してくれるだろう。


 しかしこの疑問は膿んだキズのようにジクジクしている、聞くのが怖いからだ。

 聞いてしまったら、俺が憧れている父と母の恋物語が消えてしまいそうで怖かったのだ。

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