第6話 花を贈る

「今日の参加者に本日が誕生日であるご令嬢がいらっしゃいます」

「全員分の小さな花束を用意してくれ」


 最北にあるシュバルツ王国は冬の期間が長いがその気候は穏やかで、近隣の国の人々は自国の冬のほうが厳しいというほどだった。

 まだ仮説の段階だが、多くの神獣の加護が複雑に作用しあって、この国に影響しているからだ言われている。


 気候が穏やかで天災もないシュバルツ王国は花の栽培が盛んで、造園業は人気のある職種の一つだ。

 植物系の神獣と契約がある者の庭など芸術品といっても過言ではない。


 シュバルツ王家の紋章でもオオカミの背後にウィンターキャメリア(寒紅梅)が咲いていて、王家に嫁いだ女性は夫からウィンターキャメリアを模した自分だけの紋(花紋)を贈られる風習がある。


 これに影響を受けて社交界の女性には「自分の花」をもつ風習がある。

 女性たちは十歳になる頃に「これが自分の花だ」と周囲に伝え、それが認められたあとはその花を他の令嬢たちが身につけることは許されないという決まりだ。

 花一つに対して令嬢が一人、他の令嬢と「自分の花」が被った場合は家格が下の者が上の者に譲る決まりもある。


 貴族女性が自分の花を決めたあと、その花を贈れるのは婚約者もしくは夫だけというルールがあるため、「自分の花」に対する貴族女性の憧れは強い。


「今年はやけに祝い事が重なるから、バラ園のレディセリスがツボミまでなくなってしまうと庭師が嘆いていましたよ」


 貴族男性は花選びを間違えないように、誰かに花を贈るときは母親の花を贈る。

 レディセリスは俺の母上の花だ。

 白い花弁に淡い桃色の縁取りが特徴のバラで、母上のイメージに合うからと数年前に改名されている。


「庭を増築をお願いしようかな」

「バラ園が増築されたら『出口はこちら』という立て看板が必要になりますね。いまですら迷子が続出しているのですから」


 城の南のにある最も陽当たりのよい庭には、レディセレスが咲き乱れるバラ園がある。


 父上が母上を想って作ったこのバラ園で、幼い俺にとって父上との散歩といえばここ、生憎と成人間近の男が父親と歩くのは気恥ずかしいので最近は別々だが、俺も父上もバラ園がお気に入りの場所であることは変わらない。


 このバラ園の中心には広いクローバー畑がある。


 庭師の多くはクローバーの繁殖力の強さに嘆き、バラ園の景観と何よりもレディセリスの飼育環境を整えるために撤去したほうがよいという。

 しかし父上はそれを決して許さず、ある専属庭師によりあのクローバーはレディセリスよりも大事に育てられているのだった。



 クローバーを見ると必ず思い出すのが、俺が十歳のときに初めて参加した夜会。

 それは海を越えた先にある国から外遊できた王族の歓迎会で、あとから知ったことだが俺の参加は先方の希望だった。


 茶会とは違って夜の照明の下で開かれる夜会は煌びやかだった。


 父の言いつけは「絶対に会場を出るな」と「ご令嬢と二人きりになるな」の二つだったから、俺は友だちと会場内を好きなようにうろついていた。

 大人の世界に混ざりこんだ興奮が抑えられなかったし、ときおり見かける父上の、初めてみる民族衣装を着た人たちと異国語で話している姿がとてもかっこよかった。


 父上の姿を見ては顔を輝かせる俺を「殿下は本当に陛下がお好きですね」と友だちは揶揄ったが、本当に格好良いんだから仕方がないといまでも思う。


 興奮が過ぎて侍女が就寝時間だと迎えに来たとき、俺はもっと会場にいたくて父に交渉すべく父を探した。

 探し出した父は、その夜の主役の一人である外国の王妃様と話していた。


 異国情緒漂う民族衣装が似合っていたが、元はシュバルツ王国の貴族令嬢で、母の親友である王妃様は俺に気づくと、とても嬉しそうに笑ってくれた。


「なんてまあ、セリスによく似て……殿下、陛下なんかではなくセリスによく似た素敵な王子様になって下さいましね」


 優しい声に似合わない父上にケンカを売る台詞に俺が戸惑っていると、王妃様はあごでクイッと父上を控えの前に誘った。

 粗野な仕草だけど妙に似合う王妃様は優しく俺の手を握った。

 その優しさとは裏腹に、瞳の奥には怒りが灯っていて、俺はなんとなく王妃様が母上のために怒っているのだと感じた。


 控室に入った俺たちに王妃様は「失礼いたします」と詫びると、


「なぜセリスを守らなかった!セリスが石像に、お前のせいで!!」


 そう叫びながら父上を叩い……いや、叩くなんて優しい表現はできない。

 手を拳にして、右腕の肘を折って後ろに大きく引き、手と反対の左足を大きく一歩前に踏み込んで父上の頬を殴り付けた。


 その勢いに父上の顔はぐるっと右を向かされていた。

 いま思い出しても女性とは思えない見事さだった。


「少しだけスッキリしたわ。フェイ、それをオスカー殿下に差し上げて」


 フェイと呼ばれた側近の男性が俺に渡したカゴの中には、シロツメクサの鉢植え。


「セリスが選んだ自分の花はシロツメクサだったの」


 母上は自分の花としてシロツメクサを選んだが、聖女にと認定されたときにレディセリスに変えることになったらしい。

「雑草など聖女に相応しくない」という理由で。


「だからセリスは花嫁のヴェールはシロツメクサが良いと、そこの男に言ったのよ」


 この国では花嫁が被るヴェールを花婿が贈る習慣があるのだが、それなのに父上が母上に贈ったのはレディセリスが刺繍されたヴェール。


「あの子は嬉しそうに私に言ったのよ、ロシェ様は私が本当に好きな花を覚えてくれていたんだって。シロツメクサは二人の思い出の花だから、大好きなのだと」


 しかし侯爵家に届いた花嫁のヴェールの刺繍はバラで、一流の職人が刺したのだと分かる見事な美しさは母上の目には痛かったことだろう。


「原因はもう分かっているわ、セリスも知っていた。でも私は約束を守れなかったあなたが憎い、セリスが願ったたったひとつも叶えられない男のために、セリスが何で!!セリスを返して!私のたった一人の大切な親友、セリスを返しなさいよ!!」


 原因は父上の婚約者になれなかった令嬢の嫌がらせだった。

 令嬢は父上が間違えたと思って厚意で修正したと言っているが、赤の他人が婚礼衣装に無断で手を出すことは厚意であっても許せないことだ。


 慟哭とも言える声で批難する王妃様を父は何も応えられずにいた。

 いつも強気で前だけを見ている父上が肩を落とす姿を、そのとき俺は初めて見て、そして今も忘れられないでいる。

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