第3話 聖女ローナの息子 (ロシュフォール視点)

 壁にかけられた時計が日付が変わったことを報せる鐘を鳴らした。オスカーの七歳の誕生日は終わった。


「七歳か……振り返ればあっという間だな」


 王の部屋の隣にある王妃の部屋。眠る前にここにきて今日の出来事を話すのが俺の日課だ。「母様がいなくて寂しい」とオスカーが泣いた夜、布団を持ってきて二人でここで眠ったこともあった。 


「セリス、オスカーは大きくなったよ」


 父様と寝たいといって枕を持ってくることもあったが、いまとなっては昔のことだ。秋が深まり寒さを感じる季節になったからか、ときどきオスカーの幼子独特の温もりを求めてしまう。




 十六歳でセリスと婚約し、十八歳で結婚した。オスカーが生まれたのはあと少しで二十歳になるというところで、一児の父になると同時に俺は寡夫同然になった。


 花のように広がる結晶の中にいるセリスに触れることはできないので生きているかどうか分からない。ただ俺もオスカーも生きていることを願っている。


 セリスがこの状態になって一年は周りも静かだったが、二年目から再婚を薦められるようになった。この国は一夫一妻制、王族でも例外ではない。俺は「セリスはまだ生きている」と言って再婚話を突っぱねている。


 まあ、これで彼らが諦めるわけがない。


 すぐに側妃や愛妾として俺に愛人を薦める者が現れてきた。世界からこの国が評価され、俺の統治能力が周囲から認められると愛人の薦めは増え、自分を売り込んでくる女性も増えた。


 彼女たちは王妃様の代わりにと言って俺に侍ろうとする。女主人の役を務めたいなんて殊勝なことをいいつつも、薄い布地で大胆な露出のドレスですり寄り、熱のこもる婀娜っぽい視線を向けられれば彼女たちが期待していることなど手に取るようにわかる。


 大した変わり身だと呆れてしまう。


 彼女たちは俺を見て、嘲り、笑い者にしていたのに。あのとき俺に向けた目を忘れていない。どんなに美しく着飾ろうと艶めかしく迫ってこようと気分の悪さしか感じない。


 気分が悪いですんでいるのは、その原因となった父である男と母である女が醜悪な化け物だからだろう。



 俺を産んだ女、ローナは聖女だった。


 王都の下町で生まれた平民だったが十六歳の鑑定で聖女だと認められ、昔からの取り決め通り準王族として国に大事にされるようになった。


 聖女は世界中の民にとっては希望だが為政者にとっては頭痛の種となることもある。なぜなら魔獣を閉じ込められる光の檻を作る聖女は特別だから。公的には準王族なので国王よりも身分は下だが、世界を守る聖女のお願いは実質命令であり国王であっても拒否することができない。


 それに気づいた昔の国王は王族の男と聖女を結婚させることにした。もちろんそれを命令することはできない。だから国王を筆頭に国全体で聖女のロマンスを徹底的に支援した。それはこの国の王しか知らないこと。


 ローナと王子ギヨームの世紀のロマンスは当時国王だった祖父によって作られたものだった。この事実を俺は王になって知った。



 歴代の王の名誉のために説明しておくが恋愛の支援といっても無理矢理関係を持たせて既成事実を作るような真似はしていない。二人が偶然会えるように工作したり、ロマンチックな雰囲気を演出するだけだ。しかし恋愛能力が高い者たちが長年をかけて精査し、監修して改修を重ねたシュバルツ王国の秘宝ともいえる『ロマンス指南書』はとても分厚い。


 王の影になった者たちは全員これを頭に叩きこみ、シチュエーションに合わせて花を咲かせたり、流れ星を作ったり、聖女の恋をロマンチックに演出する。そして身の回りに起こるロマンチックな出来事は聖女たちにその恋が運命だと思い込ませるものになる。


 王族の男は年齢一桁から婚約しているのが一般的だが、聖女が現れると表向きは婚約を継続しつつも実質その婚約は白紙となる。婚約を継続するのは「恋敵」はどの時代もロマンスを加速させる要素だからだ。


 美しく気品のある婚約者と別れて自分に恋した男、これを喜ぶ聖女は多い。男のほうもまさか周りに協力者が大勢いるとは思わず、騎士団長の息子・大司教の息子・大商会の跡取り・隣国の皇太子など錚々たる顔ぶれの求愛者たちから自分が選ばれたことを喜ぶ。


 国王を筆頭とした権力者たちの出来レース。その結果、聖女と王族の男はつつがなく婚礼衣装に身を包む。お互いを唯一無二と見つめ合う若い二人を国民は祝福するのだ。


 この国は王族の離縁を認めていない、これでハッピーエンド。


 実際にギヨームがローナと結婚式のあと祖父は気が抜けて体調を崩したらしい。しかし、この国の受難はこの瞬間から始まった。


 優秀な影たちの演出の結果、ギヨームとローナは自分が特別な存在だと思い込んだのだ。何をやっても必ずうまくいく。状況的にそう思っても仕方がないが、特別といえるのは唯一「聖女に選ばれたこと」しかない。あとは全て周りの手厚い支援と裏工作の結果だった。


 ロマンスのゴールが結婚でも、結婚が人生のゴールではない。


 ギヨームとローナは王太子と王太子妃になり、次期国王夫妻として二人には義務と責任が山のようにあったが二人はこれから逃げた。いや、後継者づくりだけは積極的だったか。何しろ俺は二人の結婚から一年もたたずに生まれている。


 王子として生まれたギヨームはまだしも、平民として生まれ育ったローナは王子妃に相応しい教養と所作を身につけなければならなかった。そのため政務と並行して妃教育が計画されたが、ローナはこれを拒絶した。「聖女でも性格がよいは限らないのですね」とため息を吐き、二桁にのぼる数の教育係たちがローナの教育に匙を投げた。


 最初はそんなローナをギヨームは説得しようとしていたそうだが、楽なほうに逃げる傾向があるギヨームの試みなど儚いもの。「私たちは特別なのよ」というローナの甘い言葉に恋愛感情が重なり、二人揃って責務を放り出して遊興に耽るようになった。


 ローナは実にたちが悪い女だと思う。


 一人で腐りきってくれるならいいが周囲を巻き込んで城全体を腐らせていった。国民たちが思い浮かべる清純な聖女などどこにもいない。ギヨームに飽きたローナは国の税金で男と遊び、離宮とはいえ夫の実家である城の中に愛人を囲んだ。


 こんな厚顔無恥なローナから生まれた俺は王家の血を引いているかどうかを疑われ続けた。ローナの乱れた性生活を鑑みれば当時疑った者たちの心情を理解はできる。しかしそれは大人になった今だから言えること。幼かった自分に周囲の疑う目は怖く、俺は人の目を避けて部屋に閉じこもることが多かった。


 その状況を打開したのは祖母だ。


 引き籠っていた俺を力づくで馬車に乗せ、妹が嫁いだグリーンヒル侯爵家に連れていった。祖母の妹は俺を見るなり「お姉様にそっくり」と微笑み、孫のセリスを呼んで俺の遊び相手にさせた。


 基本的に子どものほうが遠慮ない。俺はセリスにも蔑みの目を向けられることを覚悟したが、セリスはにこっと可愛く笑って「遊ぼう」とだけ言った。


 令嬢としての教育を受けていたセリスは所作のきれいな少女だったが、俺の知るどんな令嬢よりも活発だった。芝生の上を転げまわるし木も登る。「ロシェ様、見て」と言った彼女の手から蛙が跳び出てきたときは驚いた。

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