第4話 寝る子は育つ!?有名無実の学術大会
生まれたばかりの新生児は、1日中、眠ったり目覚めたりを繰り返し、1日のおよそ3分の2を眠って過ごす。新生児が毎日16時間も眠っているのに対し、1歳では13時間、3歳では12時間、5歳では11時間になる。そして学校へ行くようになると、睡眠時間がさらに削られていく。
子どもの健全な成長のために望ましい睡眠時間は、小学校低学年で10時間、中学生で9時間、高校生で8時間といわれている。一見長いようにも感じるが、睡眠は心身の発達に不可欠なものであり、しっかり眠ることは重要なのである。
昔から「寝る子は育つ」というが、これには医学的な根拠もあり、幼児期には寝ついてから3時間以内の深い睡眠中に、成長ホルモンが大量に分泌され、体が急速に大きくなる。また、思春期になると、睡眠中に性腺刺激ホルモンも分泌され始め、性的な成熟が進む。外から見ればただ眠っているだけなのだが、体の中ではいろいろなことが起こっているのだ。
睡眠は大人になっても日常生活の健康増進に欠かせない重要な要素であることは周知の事実である。慢性的な睡眠不足が続けば、健康を害するだけでなく、冷静な判断力を失い、また自身の感情をコントロールすことも難しくなってくる。
また、睡眠時間だけでなく、睡眠周期というべきか、いつ就寝して、いつ起床するかのリズムを一定にすることも睡眠の質を向上させる。特に起床時間は一日の始まりであり体内時計のスタートでもあることから、毎日同じ方が良いとされている。
病院に勤務する医師は睡眠時間はおろか、睡眠周期も不規則である。当直で一晩中起きていたかと思うと、翌朝は外来業務。帰宅して就寝しても、病棟から電話がかかってくる。担当患者の容体が落ち着いていない場合は、いつ連絡が来るかもしれないという緊張に包まれながらの睡眠。このような状態が続けばやがて精神は崩壊してしまうのではないだろうか。
毎日、睡眠不足と隣り合わせに加え、鬼のような量の業務をこなすヘラ子だが、そんなヘラ子にも大いなる夢があった。それは1度で良いからヨーロッパの難病学会に参加することであった。元々、小さいころから海外旅行へよく出かけていたせいか、ヘラ子は海外へ行くことに抵抗はなく、時間があれば海外でのんびり過ごしたいといった憧れを持っていた。また、学生時代から複数回にわたって海外への短期留学をしており、言語面においても問題ない。とりわけ、ヨーロッパへはよく行ったもので、多少であればフランス語やドイツ語を聞き取ることもできるのだった。ヘラ子が短期留学中に起こったエピソードの中に、現在のヘラ子を形成した出来事がある。それは、ヘラ子が高校生の春休みにイギリスへ短期留学を行ったことである。ある日、ヘラ子がいつものように留学生活の一日を終え、宿舎に帰り、夜間、何の気なしにラジオをつけていると、緊迫した様子でニュースが始まった。ヘラ子がラジオに耳を傾けると「War is about to begin.(戦争がもうすぐ始まる)」というフレーズが流れてきたのだった。当時高校生でどちらかと言えばのんびりした性格だったヘラ子も、さすがに危機感を覚え、空港が閉鎖されると帰れなくなると感じ、その日のうちにスーツケースをまとめ帰国した。この判断が的中し、空港が閉鎖れる前に帰国することができたのだ。このような経験を重ね、現在のヘラ子の危機察知能力は形成され、それは若き日の海外留学のたまものかもしれない。また、常に合理的で論理的な欧米社会で生活することで、ヘラ子のまっすぐな性格と患者と真摯に向き合う医療スタイルがもたらされたといっても過言ではない。
そんなある日、怒涛のように業務をこなしているヘラ子のもとに吉報が届いた。それは上司の戸村医師からの思いもよらぬ申し出であった。今年の秋に開催されるヨーロッパ難病学会への出席だ。夢にまで見たヨーロッパ難病学会である。ヘラ子は少し舞い上がったような声で返答した。
「ヨーロッパ難病学会?今年はスペインでしたよね?日程は?ちょっと家族と相談します。」
その日、ヘラ子は帰宅すると夫に相談を持ち掛けた。夫は二つ返事でヨーロッパ難病学会への参加を歓迎した。とはいえ、既婚者の男女が二人で海外の学会に参加するとなると、この業界ではあらぬ噂を立てる輩が出てきてもおかしくない。そのためお互い同行者を募ることにした。この医療という業界は世間が思っているほど華々しく、お人よしの集まりではない。それこそ、嫉妬や憎悪による蹴落とし合いの業界なのだ。ヘラ子は以前大学病院の医局に所属していた。医局に所属しながら大学院生として日夜臨床や研究に励む中、出産や育児も経験した。ヘラ子にとっては毎日が一生懸命生きるだけの生活が続いていたが、他の医局員から見ればヘラ子の活躍は決して喜ばしいものではなかった。特にヘラ子の発表した研究論文は、これまでの医局内の論文の中で掲載歴がない雑誌に掲載され、一際脚光を浴びた。大学院の修了式でも賞を受け取るくらい目覚ましい研究内容だったが、これを面白く思わない医局員の間でヘラ子に対する嫌がらせが続いた。この研究内容というのが、他科との共同研究であり、当時の医局長の専門外だったため、「この研究は意味がない」「私は関係ないから研究費は出さない」といった言葉で切り捨てられるような扱いを受けていた。それでも、ヘラ子はここに大きな意義を感じ、粘り強く研究を行い、結果を出し、論文とした。論文になった際は、医局内でも一目置かれる存在になったが、ちやほやされる日はそう長くは続かなかった。ヘラ子が研究用に保存しておいた血清がどこか別の部屋に移動させられたり、ヘラ子が臨時で診察した患者が「次回からはヘラ子に診てほしい」と願い出ると、「人の患者を奪った」と因縁をつけられたりすることもあった。挙句の果て、外勤先やヘラ子の自宅、夫の職場に怪文書が送付されることもあった。これらのことから、ヘラ子は精神的に参ってしまい、とうとう大学の医局を出ることを決意した。担当する患者が多く、その振り分けには半年以上の期間がかかってしまったが、その間、ヘラ子は嫌がらせに屈することなく、患者さんに迷惑がかからないよう、一人一人話を聞いて、患者さんを最適な他医師や他病院に振り分けた。もちろんヘラ子についていく患者も多く、その患者たちが現在ヘラ子の勤務先である明日香輪病院の患者にもなっている。ヘラ子が大学を辞職している準備をしている頃、現上司の戸村医師がちょうど明日香輪病院の内科で難病内科を立ち上げ、ヘラ子は手伝ってほしいと誘われ明日香輪病院へと転職を決意したのだった。
結局、ヨーロッパ難病学会へは、旅行会社に勤務するヘラ子の女友達がガイド兼付き添いで同行することとなった。戸村医師も英文科に籍を置く子息を連れていくこととなった。日中、ヘラ子と戸村医師が学会に参加している間、ヘラ子の友人が戸村医師のご子息をガイドするという段取りであった。
今回の学会はスペインのマドリードで行われた。ヘラ子は大学の卒業旅行でバルセロナに行っているが、このスペインの気候はヘラ子にとって相性が良いらしく、楽しみな学会参加となった。
ヘラ子が今回、ヨーロッパ難病学会に参加して感じたことは、外国人医師は学会中、誰一人として居眠りをしていないことである。国内の学会といえば、
一週間の旅程を経てヘラ子は帰国した。久しぶりに充実した海外だったせいか、自然と仕事にも意欲がわいてきた。前回行った海外旅行は夫との新婚旅行だったが、ヘラ子の夫は外国に慣れていないため、お守りのような旅行だったため、あまり充実感を感じなかったが、今回の海外出張では新しい知見も得て、帰りの飛行機では仕事に対する情熱でいっぱいだった。帰宅すると子どもたちがヘラ子にお土産を求めて飛びついた。お土産は子どもたちのリクエスト通り、有名サッカーチームのレプリカユニフォームであった。夫は無事帰ってきたことに安堵した様子だった。
こうして、夢にまで見たヨーロッパ難病学会への参加は達成された。次こそは発表もしてやろうと考えるヘラ子であった。しかし、この後、世界中を巻き込む大きな出来事が起こるとはこの時はまだ知る余地もなかった。
トリトンの獅子吼 @kinnmokusei6
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