ちょっとばかり、未知の世界を垣間見る
正直なところ、佐伯を見るまで『学園ジャーナル』に興味はなかった。
『かわいい子のお近づきになりたい!』
不純極まりない動機を知られたら、入部は叶わないだろうから。
まっすぐ伸びた黒髪から視線をずらして、オレは抱えた紙を持ち直す。彼女との距離を保ちながら、歩き続けて正味三分くらいか。
すれ違う生徒たちによる、冷ややかな眼差しも苦にする暇もないうちに、オレたちは目的の場所に辿り着いた。
「もういいから」
ピシャリと閉まる扉を見つめての十数秒。さすがに、中に入る気にはなれなくて、扉を背に立ち尽くす。
テスト用紙を教員に渡すだけなら、大して待つことはないはずだ。
ハズなんだけど、待ち人は来らず! 今のところ、顔見知りとは誰も会っていないから、立ったままも苦にならなかった。
さらに待つこと3分弱かな?
「失礼します。ちょ……」
おいでなさったかお嬢さん。
「あのさ」
声をかける間もなく、彼女は昇降口の方に歩き出した。
「さ……佐伯さん? ジャーナルの募集しているの……」
追いかけざまに、オレは上擦った声で名前を呼ぶ。
「あなたにムリよ」
とりつくヒマ? いや、シマだったか。それすらないって感じ? 唖然と立ち止まれば、彼女との差は離れるばかりで、ボヤッとしているヒマはなかった。
「そこ、なんとか頼むよ」
「諦めて」
ローファーに履き替えて、人混みを避けるように走り去る。
「お前、大丈夫か」
「どうも」
見ず知らずの人の慰めに、オレは苦笑いで誤魔化す。なにも知らない連中から見れば、告白に失敗した哀れな男子生徒にしか見えないだろうな。
ここで引き下がったら男の名が廃る、とばかりに、オレは遠ざかる背中を追いかけた。
「本採用の前に見習いとかさ」
「必要ないから」
オレの頭で気の利いた文章は無理かも知れないが、そこまで塩対応しなくてもいいじゃないか。
「頑張れよ」
「オウ」
顔見知りからのヤジなんぞ、いちいち相手にしていられないから、適当な間合いで受け流す。
「しつこいわよ。あなた」
「ん、じゃあ、見学だけでも」
ここで、おいそれと逃げ帰れば、オレはクラス中の笑いものになる。
なにが何でも……って、歩くの速すぎじゃね? 佐伯ったらよ。
校庭を突っ切って、フェンス沿いを歩く合間に、敷地内の隅に生い茂る銀杏並木が差し迫る。公道をはさんだ向こう側は、古びた校舎が建っていた。
「ゲッ…… 『幽霊棟』じゃねえか」
なんでも、数十年前の小火騒ぎの際に、逮捕された生徒が自らの命を絶った。ところが、亡くなった生徒は無実であり、真犯人を捕まえようと、校舎内をさまよっている。
ウソか誠なのか、『ホント』なんか知らねえけど。
「マジで行くの?」
たじろぐオレに構うことなく、佐伯は旧校舎へと突き進んだ。
木造の下駄箱が置かれた昇降口を前に、オレはポツンと待ちぼうけ。恐る恐る、薄暗い中を覗いたら。
「今日、だけよ。次から自前の上履き用意して」
「あざっす」
橙色の灯りの下をくぐり、簀子の手前で靴を脱ぐ。いかにも年季の入ったスリッパに両足を突っかけて、未踏の領域に踏み込んだ。
「ここ、築何年くらい?」
「五十年は下らないはず。三年前にリホームしたから」
「リホームね……」
この階段の踏み心地、いつ踏み潰してもおかしくないような。
佐伯の後ろを歩くたびミシミシと、音のうるさい階段を上り切る。
非常口の英字案内板……エキサイトみたいな? ビロンと揺れる廊下を歩いて間もないうちに、彼女が立ち止まった。
『資料室』
筆書っぽい字体の板の下を通る。中は至って普通? 窓側近くの古ぼけたスチール机の上には、型落ちのノートパソコンが置いてあった。
「へぇ……パソコンもあるんだ」
無意識のうちについて出た言葉に、キーボードを叩いていたヤツがオレの方に顔を向けた。
「何があると思ったんだ」
単調な声での質問になんと答えるべきだろうか。
「えっと、『エニグマ』かな」
「ハア?」
目がテンな表情を浮かべて、固まってしまうメガネくん。
お袋と妹が一緒に見ていた、海外ドラマに出た機械の名前に、
「ふざけ……」
重いため息とともに、佐伯はメガネくんの隣の席に座った。
「いやさ……」
レトロな部屋には最新の機器よりも、テレビで見たイカついヤツの方がサマになるかなって。
「それより、キミは?」
「ウチのクラスの男子」
「小池修兵です」
パソコンの画面に向かうメガネくんに対して、オレは名乗りを上げた。
「ああ、例の件の被害者か」
キーボードを叩く音を耳にして、『例の件』の意味を考える。
それさ、『部活の無期限活動停止』ってことだよな。
パタンと画面を閉ざして、帰り支度のついでとばかり、
「ちょっと取材に行くけど。君も来る」
誘いを受ける。
「へ?」
「無理強いはしないけど、どうする」
到着早々、教室へとんぼ帰りってなワケ? 面倒くさいけど、入部のチャンスは不意にしたくねえよな。
「荷物を取りに……」
「校門前で10分後に」
それだけ言うと、出口に向かって歩き始めた。
重いスクールバッグを担ぎ直しつつ、オレは猛ダッシュで校門を目指す。あの手のタイプ、時間にうるさそうな雰囲気あるよな。
「こっちだよ小池くん」
「あの……」
オレ、会ったばかりのメガネくんに名前を教えたっけ? いや、こっちは名前を聞かれて……さっきまでの記憶すら曖昧だわ。
「高梨六夜だ。苗字の呼び捨てで構わないよ」
絶妙なタイミングの名乗りに悪寒が走る。
「どうした」
「ああ、それならオレも『くん』はいられないかな」
「そう」
目と鼻の先の公道では、スピードを緩めずに車が数台連なる。埃っぽい空気にむせりながら、オレたちは歩き続けた。
あっ! 黙々と歩き続けるのはいいとして。
「取材の場所は」
「『ラーメン道三千世界』だけど」
「あの?」
「他にある?」
「いいや」
強風ではためくのぼりを、一旦、足を止めて見定める。
「ご近所のラーメン屋。ウチの生徒たちも、よく行くよな」
まさかの出ヲチなのかよ。喉まで込み上げ寸前のボヤきを飲み込む。
「早く。先約を待たせたら失礼だからな」
先に進む高梨の後を追うべく、オレは歩道を走り出した。
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