前略 あの頃のオレたちは、未来と今がつながるなんて信じていなかったけれども……
赤羽 倫果
プロローグは、新緑の追憶から始まる
あの日、オレは『神隠し』に遭った
真っ昼間にもかかわらず、オレの足元はヤケに黒ずんでいる。烏の雄叫びにおののきながら、仰ぎ見たてっぺんは深緑のベールに遮られていた。
――あ……ええと。
不気味な気配が、ぞわりとオレの背中をなで上げる。もしかしなくても、また、あの日の夢の中に来たのか。
『市内在住の小池修兵くんが行方不明に……』
夕方のニュースでオレの名前が出たの、あれ以来ないけど、家に戻ってすぐ、母ちゃんにこっ酷く怒られたんだよな。もう、何度目になるのか忘れちまったよ。
高一になった現在、オレは小学一年の出来事を夢で追体験中!! あれは少しばかり肌寒い、八月上旬の週末だった。
――この後は確か。
一歩二歩と、濡れ草を踏みしめながら、もう一度頭を上げる。かすかに見える空は、今にも雨が降り出しそうだった。
――夢だから夢なんだからさ。そんなに……。
小さな掌を見つめつつ、グーパーするのも飽きたな。あれから十年が過ぎても、繰り返し繰り返し同じエンディングを辿るだけ。
いい加減、ルーチン化した悪夢から解放されたいわ。
しかし、ショウボウのオレはこっちの願いを裏切るように、薄気味悪い緑の世界から光あふれる世界へと、一歩を踏み出す。得体の知れないモノに吸い寄せられるような感じで。
――えっと、まさかよそん家に入ったの?
草いきれっていうのか、異臭を伴う熱風にあおられながら、オレは濡れた飛石をタンタンと蹴る。昔のオモチャのように、右から左とバランスを崩せば、目の前を青いチョウチョがかすめ去った。
徐々に迫るひなびた感じの一軒家。物騒なことに、雨戸が開けっぱなしのため、横に伸びた縁側が丸見えだ。
泥棒と鉢合わせしたら、逃げ切れるだろうか。呑気に考えている合間に、縁側の手前まで来てしまう。
こうなったら仕方ない。せいので、覚悟の一呼吸を置いて。
――ごめん……ください?
かすれた声で住人を呼んだ。
礼儀もろくに躾けられていない。他所のガキの分際だとは言え、ない頭をふり絞って出した挨拶なんだけど、応答ナシって大丈夫かよ。
――誰かっ。います、か?
上ずる声に語尾も掻き消える。ホントにさっさと来やがれ。心の中で悪態づく。過去の出来事を俯瞰する、高校男児の本音が頭の奥で響いた。
よそ様の家に勝手に上がらない。それくらいの常識は頭にあった。
しかし、尿意をもよおすショウボウのオレに、マナーを守ろうって意識は吹っ飛んでいた。
今さらながらの言い訳になるけど。
――おじゃましますから。
ふるえる声を絞り出すと同時に、靴をポロッと脱いで、立つのも面倒だからと縁側の上をハイハイして。膝立ちのまんま、締め切った障子戸を片手で開けること数センチ。
――変なヤツがいたら嫌だな。
隙間から部屋の様子を伺う。奥の窓のカーテンを閉め切る、やけに薄暗い部屋に人は影も形も見当たらない。
誰もいないなと、瞬きすること五回目くらいかな? 目が中の輪郭を捉える。
――へっ? なんだろな。
どこにもある箪笥の手前に四角い板が一枚ある。いや、二枚目もあるんだ。そんな風に数え終えたオレの意識が、前触れなく砂の中に埋没する。
鈍い痛みが、全身を駆け巡った。
そこから先、全く覚えていない。途切れると同時に目が覚めるから、思い出す必要性はないんだよな。
でも、今日に限っていつもとエンディングが違うの。なぜだろうな。
――大丈夫かな? ボク……。
――は? 誰の声だよ。
夢の中で夢から覚める。あり得ないシチュエーション。オレはゆっくりと重い瞼を持ち上げた。
目の前に現れたカップルらしき若い男女。声の主は髪の長いお姉さんだった。
――ホントに大丈夫? おうちどこかな。
上体を起こしたオレはキョロリと周囲を見渡す。掌に広がる木の手触り。夕焼けを覆う不気味な雲が気持ち悪くて、冷たい夜風に身がふるえる。無様にもオレは、お姉さんたちの前で吐き気を覚えた。
ああ、そうだった。これは『神隠し』から解放された瞬間の記憶だ。
『神隠し?』のトラウマで、親切な美人女子大生を忘れてしまうの、もったいないよな。
――そうか、もう、そんなに経ってしまったのか。
しんみり、夢の中で過ぎた日々を数える。
オレを山の上に置き去りにした犯人は、今もわからずじまい。
トイレを借りようと迷い込んだ家の主人は、オレの不法侵入は知らないと吐かしたんだとか。
障子戸奥の薄暗い部屋で、オレは何を見たのか。そこだけ、記憶はブッツンしたままで……。まあ、思い出せなくても、不自由はしない訳だが。
目覚まし時計ほどけたたましくはないような。予鈴がぼんやりと頭の中を駆け巡る。ええと、ここはどこだった? 過去から現在の自分に戻れたと言うのに、茶色の胃薬っぽい臭いが鼻腔に留まる。
白い蛍光灯を見つめること、ものの数十秒と言った感じだろうか。
「修兵ッ! いつまで寝ているのッ」
甲高い呼び声に刺激を受けて、モヤモヤした意識が現実世界に切り替わる。
「もう、いい加減にしてよね」
ベージュの色に包まれた空間は、空を裂く音を立てて開かれる。
白い光がまぶしくて、目を開けるのも億劫だ。ようやく光に慣れた頃、面を上げれば、カーテンを背に十年来の幼なじみが立ちはだかった。
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