教室の片隅を抜け出した先には

 教室に入った途端、直前のガヤがウソのように静まり返る。それもほんのわずかの間ってのも、ご愛嬌ものと言ったところか。


 それにしても、想像していたより補習の出席者が多いな。ホントに、バックれたい気分マシマシになったわ。


「やっていられねえよな?」


 前の席につく、見知らぬ同級生がオレの代わりに本音をぶちまける。でも、今さら補習なんかサボったら、お袋にドヤされるよな。


 やるせなさを抱えたオレは、教科書と黒板を交互に睨めっこしながら、ノートの余白を黒く塗り潰した。


「あと、五秒だ。準備はいいな」


 担当教諭の叱責にみんな黙ったまま、三、二、一。


 ――チッチッチッ……。


 壁時計の秒針がキッカリ『12』を超えてのビットスタート。張り詰めた空気が教室全体を包み込んだ。


 ――カッカッ……。


 『始めッ!』の号令からすでに五分以上が経過し、室内はシャーペンの滑る音しか聞こえない。

 補習最後の15分の小テスト。苦手な科目なれども、カッコの中をヤマカンを頼りに埋め立てる。


 受験の時は英語と作文だけだったから、理数科目はちょっと苦手なんだよな。ここにいるオレ以外のヤツら、部活の新人戦で授業や試験に出なかった面々ばかりだから、なおさら、気を抜く訳にいかなかないけど。


 あんなとばっちりを受けるの、事前に解っていたなら、もう少し勉強したんだけどな。


 ――あのね修兵はさ。

 ――なんだよ急に。


 うつむき加減の円花が『ウチに来ない?』と誘いをかける。

 保健室から教室へ戻る道すがら、唐突な彼女の問いかけに対して、ウチ=円花ん家に? と珍妙なな想像を巡らせたら。 


『変なこと考えないでよね』


 ごもっともな答えに、オレはその場で固まった。


 人様を勝手に変態扱いするんじゃねえよ。エロいことは考えていねえって……ハハハハ……円花に冗談は通じないから、口が裂けても言わないけどな。


 ――陸上部か。でもなあ……。 


 悪くないけど、なんだかしっくり来ないな。

 亡くなったじいちゃんを喜ばせたい。その思いだけで野球を続けたから、おいそれと他の運動部に入部してみようか? 生半可な気持ちで別の競技に挑もうとはならなくて。 


 まあ、走り込みは苦にならないし、ハードルだって円花よりずっと上手く跳ぶ自信はあるけれども。


「十五分経過だ」


 担任の張り上げた声に現実へと引き戻される。選択問題はとりあえず、『b』と書いてお……ん……? 

 無意識に窓から校庭を見下ろせば、たくッよ、あいつったら。今日も派手に倒しまくっているよなぁ。


「グホッ」


 監視役の教師が咳き込んでいる。ボヤッとしている場合じゃないか。


 最後の空欄を埋めた直後、出席番号と名前の確認を終えたところで、

「辞め!」

 担任の号令が響いた。 


「はあしんど」


 一番後ろから前へ答案用紙が集められる。


 ――あれは……。


 真っ新な黒髪が風任せになびく。一瞬だけ視線が合うが、すぐに相手はこっちを無視した。


 もしかして、じゃなくても。あの時ぶつかった女子だったりするのかな?



 待ち焦がれた予鈴がスピーカーから流れる。教室内の居残り連中も帰り支度に夢中で、オレもスクールバッグに荷物を全部ぶち込んだ。


 バイトは土曜午後のシフトだから、平日の今日はどっかに寄ろうか。


「小池ッ」


 ふり向けば柄の悪い連中が近づいて来る。ひい、ふう、みいって、どこから湧くんだよ。


「へ? どうした」

「ちっとばかりさ……」

「はあ?」


 勘違いからイキっている輩と連む趣味はない。カラオケやゲームの『財布』なら他を当たりたまえ。


「ケチ」


 一人二人、オレの周囲から野郎どもが去って行く。


「災難だな修兵ってオイ」


 あの子、担当教諭と何を話込んでいるのか。ちょっとだけ興味がそそられる。 


「あれれ? 浮気はよくないぞ! 小池クン」

「はあ?」

「楠見がいるのに、なあ?」


 マトはずれの冷やかしに、ため息を吐くのも億劫だ。


 ん? 『楠見が』の件を理解するまで数秒ほど。

 イヤイヤ冗談はよせ。幼なじみのあいつとは、そんなんじゃねえから。


「委員長の佐伯なら、二組の高梨とつき合っているってウワサだぜ」

「高梨? 誰よソイツは」

「俺が行く塾の全国模試一位を取った秀才クン」

「へえ……お前、塾とか行っているのか」 


 『全国模試一位』やってのけるのであれば、ウチみたいな私立高校に通う意味なくね? コッチは都会と違って頭のいい連中って、余程の事情がなければ、公立の進学校の一択がデフォなのに。


 肩にかけたスクールバッグを机の上に置きっぱに。オレは狭い進路をかき分けながら前に出る。

 まずは一呼吸吐いてから、黒髪委員長の名前を口にした。


「何? ジャマはしないの」

「それ、半分持つけどさ」


 ウザいヤツらをふり切るなら、こう言うのが丁度いいんだよな。結果的に全部持たされたけど。


「職員室まででいいか」

「ありがとう小池くん」


 背中を覆う黒髪を目で追いつつ、喧騒の絶えない教室から離れた。

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