この、いとけなきもの

 いとしい。
 その感情があるから、人は見るものすべて、取り戻せない時の流れにも、胸を苦しくする。
 火を噴く怖ろしい竜と、その寝床である噴火口の巣に勝手に根づいて咲いた、一輪のちいさな花の物語。

 無垢なる花はかよわい花びらをひらひらさせながら、竜の教えるこの世のことを、「ふうん、ふうん」と聴いている。
 とても面白いお話しです。

 卵から孵ったばかりの赤子を抱くようにして、竜はいつしか、巣に咲いている小さな花をいとおしむようになる。
 翼を広げて竜は飛ぶ。
 根をはった場所から身動きが出来ぬ小さな花よ、外の世界に見えるあれもこれも、教えてやろう。

 そんな日々はやがて終わる。
 花の寿命の方がずっとずっと短いのだ。
 竜様。
 儚いいのちを恨むこともなく、死すら知らぬままに、花は力を失くして、くたりと萎れていく。
 竜様。

 竜は咆哮して飛ぶ。この世界の何処かに花の命を救う手立てを探して。
 しかしそのようなものはない。
 竜自身ですら、その法則から逃れる術がないように。

 竜は、限られた自分の命が、この美しい世界のどこに、どのようなかたちでそそぎこまれていたのかを想い返しながら、その寂しさに満足して眼を瞑る。
 いとしい。
 いとしい。
 いとしいと想える気持ちには、その感情や対象がやがては失われる怖さをすでに孕んでいる。
 寂しく辛く、そしてやはり、いとおしい。

 鐘古こよみさんの物語力はご存じであろうから、今さら何も云うことはない。
 宝物にしたいような素敵なお話でした。ありがとうございました。

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