断片:7 (その3)

 私は……考えてみれば私とイゼルキュロスが会話するのは、久しく無かった事だった。少し緊張しながら、私は質問した。


「あ、あの……イゼルキュロス。私はどうしたらいいの?」


〈そこにくずかごがあるでしょう?〉


 彼女にそう言われて、私は周囲を見回してみる。手近な街灯のすぐ足元に、錆びた空っぽのくずかごが備え付けられていた。


〈そこに捨てて行きなさい〉


「……アシュレーはどうなるの?」


〈誰かが発見して、アパートに置いてきた胴体と何かの幸運でもう一度再会出来れば、彼は元通りに再生出来るはずよ。……私自身が何度となく、彼をそういう目に遭わせてきたわけだけど〉


「毎度どうも」


〈だから、これは警告よ。本当はもっと念入りにバラバラにして、あちこち遠いところにばらけて捨てれば、よほどの奇跡でも起きない限り再生なんて出来ないんでしょうけどね。……もう二度と、私を追ってこないで。今度顔を合わせたら、それこそ二度と再生出来ない目に遭わせてあげるんだから〉


「おお、怖い」


 アシュレーは、さほど怖がるでもなくそう言った。


「お前さんの言い分も分かるが、俺も仕事なんでね。……お前が自由辺境地帯まで逃亡して、身の自由を獲得したいように、俺も俺自身のつとめを果たして、自由を獲得したいんだよ」


〈私と一緒に逃げる、という手もあるんじゃないの? ……あなた、随分とメアリーアンに未練もあるみたいだし〉


「それは、丁重にお断りする」


〈……理由を訊いてもいい?〉


「君はメアリーアンを大事にしない。だが俺はメアリーアンを大事にしたい。だから、お前とはきっと意見が合わない。……っていうか、俺が同行するってのはさっきおまえ自身がはっきり否定してただろうが」


〈そうだった? 何にしても、あなたとは気が合いそうにないわね。それで私を狩って、メアリーアンを守りたいの? ……それもいいわ。あなたにとってはきっと命がけになるでしょうけど、そうやって助けたメアリーアンには記憶も無ければ、後も無いのよ?〉


「……やっぱ、使い捨てなのかよ」


〈あなたには関係のない事よ。……さ、メアリーアン?〉


 イゼルキュロスに促されて……私はどうすればいいのか戸惑った。


 イゼルキュロスは、メアリーアンを大事にしない。……じゃあアシュレーは、メアリーアンを……私を本当に大事にしてくれるのだろうか。


 私は……イゼルキュロスと共にあるよりも、アシュレーと共にある方がいいのだろうか。


 私自身が一体どうしたいのか……それは簡単なようで、簡単に答えの出る問題ではなかった。いまこの瞬間の感情に従うのもいいのかも知れない。……でも私は、結局はイゼルキュロスには逆らえない。


 だから私は何も言わずに、アシュレーの首をもう一度新聞紙にくるんだ。その前に首をそっと抱きしめて、額にかるく口づけをして……そして、それ以上は何も見ないようにして、新聞紙で厳重にくるみなおす。


 何を言ったところで、私は彼女のコピーに過ぎないのだし……それに彼女の言うとおり、私はすぐに、アシュレーの事は忘れてしまえるだろう。


 だから、今は。


 これでいいのだ、と思いたい。


 私は立ち上がると、首の包みをくずかごへと運んでいった。


「本当にそれでいいのかい、メアリーアン」


 新聞紙ごしに、そんな声が聞こえてきた。私はつとめて何も答えないようにした。


 アシュレーは勝手に先を続ける。


「まあいいさ。どのみち君はイゼルキュロスには逆らえないようになっているのかも知れない。……だが俺はまたすぐに、君らに追いつく。それが俺の仕事だからな」


「アシュレー……」


 私はこれでいいのかと自問しながら、彼の首をくずかごにそっと入れようとした。そんな私に向かって、イゼルキュロスがさらに容赦のない指示を下す。


「そんな……出来ないよ」


〈出来る。あなたには出来るはずよ、メアリーアン〉


 私はその指示に、唯々諾々と従うより他になかった。


 自然と、涙がこぼれ出てきた。私は彼の首をもう一度ぎゅっと抱きしめて……そっと呟いた。


「ごめんなさい……ごめんなさい、アシュレー」


 そのまま私は、アシュレーの首を高々と掲げる。


 そのまま、私は彼の首を、街灯の柱に向けて思いっきり振り下ろした。がつん、と嫌な音がして……新聞紙の包みには、新たな赤い染みが浮かび上がっていた。


 うめき声ひとつ聞こえなかった。私は一連の行動の意味を敢えて考えないようにしつつ、その包みを容赦なくくずかごに放り込んだ。


〈さあ、行きましょう。メアリーアン。またあなたと私、二人きりで旅に出るのよ。私はいつでも、あなたと一緒だから〉


「……ええ、分かってるわ、イゼルキュロス」


 胸の奥が、ずきりと痛んだ。痛んだのは私の身体なのか、それとも心なのか――。


 でもきっとそんな痛みも、きっと私は忘れていくのだろう。アシュレーの事も、イゼルキュロスの事も忘れ、そして自分が何者であるかさえも、忘却の彼方に押しやって……。


 そして私は、どこへ行くのか。


 考えたところで、この私に何も分かるはずがなかった。私はイゼルキュロスに促されるままに、荷物を手にしてその場から逃げるように、そそくさと立ち去った。


 私はこの晩の出来事を、一体どこまで……いつまで覚えていられるだろうか。


 アシュレーの事を……彼の顔、彼の声、彼の言葉……そして、彼の体温。それらを私は、どこまで、いつまで覚えていられるだろうか。


 親愛なるイゼルキュロス。私は大きな欠陥を抱えながら、それでもあなたについていくしかない。そんな私が、きっといつか報われる日が来るのだろうか?


 ……きっとそういう日が来るのだろうと、今だけは信じさせて欲しい。


 他人との絆も、思い出も、何もかもを、あなたのために捨てていく。


 だから、イゼルキュロス。


 あなたはいつまでも、私だけのイゼルキュロスでいて欲しい。


 ――せめて、そう願う事だけでも、あなたは許してくれるだろうか。


 この私の想いは、手紙など書かなくても、あなたに伝わるだろうか。


 親愛なるイゼルキュロス。私はあなたと、共にある。


 あなたはいつか、それに応えてくれるのだろうか。






(「親愛なるイゼルキュロスへ」おわり)

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親愛なるイゼルキュロスへ 芦田直人 @asdn4231

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