第1話 パチンコ・アニメ・ソシャゲ 1

 暗い部屋、巨大なディスプレイの前、少女がエナジードリンクの缶を握りしめて正座している。ディスプレイの脇に置かれた時計の針が午前二時になる、その直前に、彼女は手元のリモコンのスイッチを押した。

「前回までの『リトルボーイ・ファットマン・ヴァンパイアガール』」

 高精細ディスプレイが映像を描画するより先に、まずナレーションの囁きだけが少女へと届けられた。彼女は午前二時に始まる『リトルボーイ・ファットマン・ヴァンパイアガール』というアニメ番組をこの上なく楽しみにすると同時に、その前の枠で放送されているゴールデンタイムに仕事を持てない若手お笑い芸人のための雇用創出事業のようなアイドル紹介番組をこの上なく嫌悪していたので、こうしていつも番組放送開始直前にテレビを起動していたのだった。

 番組は第一話を除き、このアニメで特に人気の白髪の美少年「名切崎無人なきりざきなきと」の声優が「前回までの『リトルボーイ・ファットマン・ヴァンパイアガール』」というナレーションを言って、前回の放送のハイライトを流してから始まる。名切崎無人の声優はアニメ市場の小ささゆえ、男性アイドルとしても活動しており、原作小説のファンだった彼女は、アニメ開始前はキャスティングに不満を抱いていた。無人の声優さんはもっとストイックな感じの人がいい――。しかし、アニメ制作スタッフは優秀だったし、声優もまた優秀だった。配役は完璧だった。今では彼は彼女の推しであり、ファンクラブにも入っている。

 彼の名前は――。

「ラモンはスターリンからの刺客だった。そして君は――恐らく、ドイツか、日本の工作員エージェントだ」

「私は真理の代理人エージェントだよ。しかし、そう、日本の工作員も兼務している。それで、トロツキー同志、君は今から私と欧州へ行く」

 少女は立ち上がって、電灯を点けた。世界がなにか、猛烈に、突然によそよそしいものに感じられ、怖くなった。

 彼女は無人の声優の名前を思い出せず、さらには、前回の内容としてテレビの中で話しているキャラクターのどの顔にも見覚えがなかった。

「先生、わたし、全身が共産主義になったんですのよ」

 スマートフォンを手に取り、Google検索に「名切崎無人 声優」と打ち込む。しかしブラウザが表示したのは、インターネット接続が不可能な時に表示される、ドット絵の恐竜だった。Wi-Fi接続に切り替えるが、Wi-Fiスポットが一つも見つからない。自宅だけではなく、近隣の住宅で使われているはずのWi-Fiスポットの一つすら見つからない。どうやらスマートフォンそのものが壊れているようだ。今頃、Twitterでは「のっけから超展開で変な声でた。 #リトルボーイ・ファットマン・ヴァンパイアガール」というツイートに溢れているはずであり、『リトルボーイ・ファットマン・ヴァンパイアガール』の公式アカウントが何かしら説明をしているはずだった。世界の余所余所しさが部屋から立ち去り、インターネットに接続できない苛立ちが募ってきた。

「先生、わたし、死を克服したんです。これこそ、人類史の終わり、共産主義そのものでなくて?」

 テレビを消し、パーカーを羽織って、彼女は部屋を出た。アニメの最新話は常にテレビ以外のサブスクリプション型動画配信サービスでも提供されており、Twitterで他のファンと実況しながら見る他には、テレビで見る理由もない。ネットカフェに行こう。そこでインターネットに接続しなければならない。声優の名前はGoogle検索ができなくとも本棚の雑誌を見ればわかるが、それよりも問題なのは、今夜のイベントに参加できなくなることだ。

 今夜はソーシャルゲーム『リトルボーイ・ファットマン・ヴァンパイアガール』の「100連ガチャゲット第七ダンジョン周回競争」イベントの日だった。つまりそれは名切崎無人がバニーガールの格好をしている画像データを手に入れる貴重な機会の日であり、インターネット経由で知り合った他のユーザーと協力してゲームをしなくてはならない日だった。もしかするともう、Discordで彼女のアカウントに対して「ログインまだなん?」のメッセージが大量に送られているかも知れない。

「こんな時間に、あなた、おかしいんじゃないの?」

 母の声を聞いたが、少女はサンダルの先まで足の指を滑らせることに忙しく、「まだ人生をよく知らないようだね」と、さっき『リトルボーイ・ファットマン・ヴァンパイアガール』の前回のハイライトで聞いた台詞の真似をしただけで、母の顔を見ることもなく家の外へ出た。

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