第1話 パチンコ・アニメ・ソシャゲ 4
夢が終わり現実が始まったのか、現実が終わり夢が始まったのか。少女にはまだ判断がつかない。
「入浴して、着替えてください。落ち着きますよ」
決して瞬きしない目と震えることのない唇の少年は彼女を真っ白な建物の真っ白な部屋に案内して、消えてしまった。警官を連れてくるらしい。
「ここは、どこ?」
「安心してください。ここは病院の一室で、安全です。より詳細な位置情報は警察が来てからお話しすることにしましょう」
彼の去り際の表情の意味を、ベッドに寝転がり、知らない天井を見ながら考える。二人はじっと見つめ合い、静寂を共有し、互いに互いを瞳の中に閉じ込め合い、そして彼が顔を背けて、部屋を出ていった。
「ここで待ってたら、警察が来てくれるの?」
「はい、ぼくが警官を連れてきます。しかし……」
「しかし?」
「糸音が――」
「わたし、その、糸音じゃないんだけど」
「――貴女が望むような存在なのか、ぼくには断言できません。貴女は自分が塩谷糸音ではないと言うし、ぼくのことを名切崎無人ではないと言う」
「だって、無人は架空の人物だからさ」
――ぼくは架空の人物でありません!
彼の、悲痛そのものの声が聞こえたのは、彼の開閉しない口の周辺ではなく、ベッドの脇に置かれた巨大な液晶テレビのスピーカーからだった。音割れが酷く、まるで薄い機械の中に閉じ込められた人の助けを乞う声のようでもあった。
少女は機械の中の亡霊に驚くとともに、機械を遠隔操作して自分の身体の一部へと変えてしまう、その力がまさに『リトルボーイ・ファットマン・ヴァンパイアガール』でたびたび描写され、物語の埒を開けるデウス・エクス・マキナのように機能している名切崎無人の能力であることを、完全に、完璧に想起していた。
「感情的になってしまい、申し訳ありません。貴女の忠実な下僕である名切崎無人はここに、確かに存在します。そのことを貴女にどうしても伝えたかった。ところで、貴女のことは何と呼べばよいですか?」
彼女は無人の質問に返事をしなかった。彼が無人であることを認めつつある自分を認めたくなかった。彼女はただ彼を見つめた。無人もまた、「感情的になっ」たことへの反省を示すためか、ただ彼女を見つめ返した。
そして彼女は今、独りになり、無人が入浴を勧めたにも関わらず、ベッドを雨水と汗で汚しながら、コート一枚でベッドに転がっていた。
「なんもわからん……」
腹を刺されなかったにしても、あの少年に立体駐車場の出入口で殴られたりでもしたのだろうか? その外傷性脳損傷か何かで状況を把握する能力を欠いてしまったのだろうか? もしそうだとすると、どうやって社会復帰すればよいのだろうか? アニメのキャラクターと会話してしまうような精神状態で。
やはり「なんもわからん」という言葉を呟くしか、少女にはできなかった。彼女は無人に言われた通り、入浴することにした。夢の中の火は夢の中で消すべきだ。アニメのキャラクターの幻覚であっても、有益なことを言っているなら、従うべきだ。入浴し、着替える……。
トイレの併設された小さなユニットバスがある。洗面台があり、鏡がこちらの裸体を反射して、少女の網膜の上に一つの像を描き出す。
思いがけず狩人に出会した獣の声がユニットバスの中で反響して、少女の耳を聾した。彼女は彼女の喉の痛みと、獣の声との連関を認めたくなかった。
彼が無人そのものであることを認めたくないことと同様に。
彼に「何と呼べばいいですか?」と問われて、自分の名前を思い出せなかったことを認めたくないことと同様に。
そして何よりも、鏡の中に小説『リトルボーイ・ファットマン・ヴァンパイアガール』の、アニメ『リトルボーイ・ファットマン・ヴァンパイアガール』の、スマートフォンアプリゲーム『リトルボーイ・ファットマン・ヴァンパイアガール』の、パチンコCR『リトルボーイ・ファットマン・ヴァンパイアガール』の主人公「塩谷糸音」としか言いようのない少女が映っていることを認め難いことと同様に。
褐色の肌に白い髪、紅の瞳の少女が、瑞々しい唇の隙間から呟きを漏らした。
「もしかして塩谷糸音に転生したってこと?」
『転生したら剣でした』『ヤンキー悪役令嬢転生天下唯我独尊』『転生貴族の異世界冒険録~自重を知らない神々の使徒~』『転生したらスライムだった件』『転生幼女はあきらめない 』『よくわからないけれど異世界に転生していたようです』『勇者様の幼馴染という職業の負けヒロインに転生したので、調合師にジョブチェンジします。』『異世界でチート能力を手にした俺は、現実世界をも無双する』『史上最強の大魔王、村人Aに転生する』『悪役の王女に転生したけど、隠しキャラが隠れてない。』『転生王女は今日も旗を叩き折る 』『転生没落令嬢ですが、無神経王子の妃なんて願い下げです』『悪役の王女に転生したけど、隠しキャラが隠れてない。』などで学習してきた成果が、まさに、この今、問われている。
彼女は――糸音は、自分が今、『リトルボーイ・ファットマン・ヴァンパイアガール』のストーリーの、どのあたりにいるのかを推測しようとした。けれども、わかったのは、殆ど何も思い出せないということだけだった。
「わたしは『なんもわからん』しか言わない機械だ」
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