他律神経を殺せ、と吸血姫は言った 1
深夜の立体駐車場。少年が仰向けに寝た少女に跨っている。その影は、性的な退廃の極地にあって、性交渉の前の時間を恋人たちが共有しているようにも見える。しかし誰であろうと、近づいて観察したならば、彼らの間に大河のように流れる血液を見たはずだった。少年は少女の腹の上に座って少女の眉間に突き刺した包丁を引き抜こうとしていた。少女は絶命していて、少年が上下するのに服従するようにしてコンクリートの床の上で跳ねていた。
ようやく少女の顔から包丁を引き抜いた時には、骨から刃を引き抜くための力がそのまま少年を床に転がす力となった。血が潤滑油の代わりとなって、少年の手と包丁が別れ、包丁は何処かへ転がった。彼は立ち上がって凶器を回収しようとした。これだけの指紋を被害者に残しながら、証拠物件を隠匿することに意味があるのか、彼にはわからなかった。わからなかったが、この精神の高揚を沈めるには、そうするしかなかった。
この出会いは『リトルボーイ・ファットマン・ヴァンパイガール』のおかげだった。『リトルボーイ・ファットマン・ヴァンパイアガール』を、彼が初めて知ったのは、とあるブログの最下部に出てきた広告のためだった。彼は障がい者介助ヘルパーとしてたびたび夜勤に従事していたが、利用者は普通夜間は眠っており、忙しいのは眠る前の入浴、夕食、就寝準備と起床後の朝食と作業所への送迎だけだった。その間、夜に長い待機時間があり、彼はその待機時間にスマートフォンでブラウジングするのが常だった。ブラウジングするのは概ね幾つかのブログとSNSだ。そこで彼は大学まで出たのに夜勤手当込みで時給1550円の労働に従事する意味を掴むために、陰謀論者や過激な右翼と左翼の主張を読み続けていた。彼は誰でもよいから、どんな理由でもよいから――雇用を奪う移民か、あるいは雇用を破壊する資本家、日本の伝統を蔑ろにする反日左翼か、あるいは資本と国家の走狗となって労働者を弾圧する親米右翼でも――自分のこの現状を説明できる何かを求めていた。
どのブログだったのかは忘れたか、とにかく彼は夜勤中に巡回する幾つかのブログのどれかで、ついにその広告に出会ったのだ。
正方形の広告の中では褐色の肌に紅の瞳、白い髪の少女が正面、つまり画面のこちら側に向かって人差し指の先端を向けていた。彼は初め、その広告をクリックするつもりはなかった。そもそも彼はこの種の広告に表示されるWEB小説を原作にした漫画の類に興味がなかった。それに興味を持つことは何か、社会学者やマスメディアの類が「転生モノ」「追放モノ」について披瀝する分析を裏打ちしてやることになるような気がして、少なくない恥ずかしさと恥ずかしく感じることへの恥ずかしさと文化人への嫉妬を喚起したからだった。
だが、WEBメディアに特有のダークパターンが、彼に広告をクリックさせた。奇跡のような誤操作! ブラウザが新しいタブを開いて、『リトルボーイ・ファットマン・ヴァンパイガール』の無料漫画第一話の最初の画像を表示した。
「お前にこの娘を殺すように指示したのは誰だ?」
そして、そこには、美しいヴァンパイアガールが描かれていた。そして、その美しさとは、ちょうど、今、彼の目の前に立っている少女のような美しさであった。
「な、え、な、えっ?」
「聞こえなかったか、少年? お前にこの娘を殺すように指示したのは誰だ?」
眉間と腹部に巨大な谷が開き、流れ出た贓物と血の滝で全身を汚しながらも、少女は凛として立っていた。少年が殺したはずの、その殺害の喜びすら味わったはずの少女が今、彼の前に再び、背筋を伸ばし、顎を引いて、自分を指さしながら立っていた。
「我が血脈は
これ『リトルボーイ・ファットマン・ヴァンパイガール』で聞いたことのある台詞だ、と彼が思ったのと同時、少女の衣服と体表から全て血液が群衆のように移動して彼女の眉間と腹部の穴へと戻っていき、それを泡立って急速に再生する肉が出迎えた。ついに彼女の衣服と体表の水さえもが空に還ると、彼女は言った。
「これでどうだ? お前が殺した少女を完全に復元してやった。状況が理解できたか? できたなら、答えよ。お前に、この娘――いや、この私を殺すように指示したのは誰だ?」
「誰でもよかったんだ。指示なんかない。単独犯だ」
「そうか。わかった。では、もう一つだけ問うことにしよう。今の自分を幸福だと思うか?」
「幸福だ。包丁の鋭い刃を通して君の臓器の柔らかさを確かに感じたから」
「では死ね」
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