その文は、その言葉は  ~作品を叩かれた全ての人のための掌編~

木下望太郎

その文は、その言葉は


 やあやあ、貴方でございましたか。

 わたくしめのつたない作に、わざわざご感想を下さったのは。

 お読みいただいたばかりか、お気持ちを込めた言葉までいただけたこと、まこと幸甚こうじんでございます。

 なれど、此度こたびわたくしたちの出会い。あるいは互いに、不幸であったやもしれませぬな。


 わたくしめの至らぬ作品は、どうやら貴方の気分を害した。

 一方、貴方の下さったお言葉は、私の胸の内を裂いた。ひどく、ひどく、深く裂いた。


 ……なるほど、おっしゃりようはごもっとも。確かに確かにわたくしの作、足らぬ点がございましたか。わたくしの世界、浅い点がございましたか。言葉もまた、至らぬ点がございましたか。

 恥じ入るばかりでございます。


 なれど、貴方の言葉の刃。いささか鋭く、強大に過ぎはしませんでしたかな? 

 まるでオムレツを切り分けるに、大太刀を以てするような。

 バターをすくうに、大槌を振るい落とすかのような。

 蚊を打つに炸薬さくやくを投げつけ、蝿を追うに長銃を――


 ……おや、これはしたり。確かに再びのご指摘どおり、いささか誇大に過ぎる言葉、冗長な文となりましたか。ご笑殺しょうさついただければ幸いでございます。


 どうやらどうやら、わたくしの言葉わたくしの心、貴方様までは届きませなんだ様子。汗顔かんがんの至りでございます。



 ――とは、申せ。その逆は、そうではございませんな。

 ようく存じ上げております。わたくしの方で、貴方のお気持ちは。

 ええ、ええ、分かっておりますとも。



 こわいのですね。


 怖いのでございますね、このわたくしめが。その文が、その作が。

 怖くて、仕方がないのでございますね。



 そう、鼻でお笑いになられた、そのお気持ちもまた分かりますが。

 わたくしが申し上げておりますのは、その奥の気持ちでございますよ。


 嫌よ嫌よも好きのうち、口では嫌がっても体は正直……などと申せば、いかにも下世話に過ぎますが。

 まさにそのとおり、貴方様の言葉ではなく――辛辣しんらつなその言葉などではなく――、その行動が。わたくしに、貴方の想いを伝えてくれたのです。


 こわいのですよ。

 お気づきではない? 悲鳴を上げていらっしゃるのですよ、貴方は。

 たとえ口を閉ざしていても、その指先が。肌が肉が骨が血が。細胞の一つ一つまでも、悲鳴を上げていらっしゃるのですよ。



 人はそう、目を背けられないのでございます。本当に怖ろしいものからは。


 たとえばそう。炎を恐れる者が、目の前に燃え盛る炎から顔を背けるでございましょうか? 

 その恐ろしい炎がいつ爆ぜ飛んで、彼に移るか分からないのに? 目を離せばいったいいつ、襲いかかるか分からないのに? 

 またたとえば、毒虫を忌み嫌う者が。カサカサカサと足下にうごめく、それの群れから目を離せるでしょうか? 

 絨毯じゅうたんのように辺りを埋め尽くすそれが、いつ自分に這い上がるか。いつ一斉に飛び来るか、分からないのに? 


 ……貴方もまた、そう。

 目を背けることができなかったのですよ、わたくしから。わたくしの文から、わたくしの作から。

 こわいから。



 されど、何が怖いのでしょうな? ただの言葉の羅列に過ぎぬ、私の作の何が怖いと? 

 そう、言葉だからでございますよ。


 おおよそ人の、思考・思索はすべて言葉。

 自らの内に思った言葉、口から世界へ発した言葉。言葉こそが人を作る、否、言葉こそが人そのもの。

 そして、目にした言葉も、また、言葉。


 怖かったのでございますよ、貴方はわたくしの言葉が。ご自分には無いその言葉が。

 それは貴方を変えるから。作り変えてしまうから。



 見なければ良かったのです。目を覆い、伏せていらっしゃれば良かったのです。

なのに貴方は、ご覧になった。貴方が怖れるそれを、わざわざご覧に、最後まで。

 そうして貴方は、ご意見までわざわざ下された。貴重な時間を費やしてまで。よせば良いのに、目を背けずに。

 怖ろしいことに、自らの言葉でご自分を作り変えてしまいながらも。

 わたくしという炎に冷や水を浴びせ、わたくしという毒虫を踏み潰すために。


 こわいから。

 そうしないと怖いから。目を背けて、野放しにして、それがいかに我が身をおびやかすかと、作り変えてしまうかと。怖くて怖くて仕方なかったから。


 いえいえ、わたくしが言い出したことではございません。

 全ては貴方が、その行動が、語って下さったことでございます。


 もう、手遅れでございますがね。



 おや、これはしたり。いささか言葉が過ぎましたか。

 これはこれは、お怒りも――動揺なさるのも――ごもっとも。わたくしめの至らぬところ、どうかご笑殺下さいませ。

 そうしてどうか、此度こたびはもうお帰りなさいませ。


 ……左様でございますか。未だ互いに語り足りぬと、けして帰りはせぬと。そうおっしゃいますか。


 なんとなんと、可愛かわいらしい方。



 なれど、もう手遅れですよ。

 貴方は逃げなかったので、可愛かわいらしい方。炎を前に毒虫を前に、逃げなかったので。向き合ってしまわれたので、愛しい方。


 わたくしの言葉は成程なるほど、炎。貴方の目にはあでやか過ぎたか。

 わたくしの文はこれ全て毒、貴方の理性もしびれさせたか。


 すでにそれは焦がしている、貴方を。もう全身に回っている、貴方の。

 作り変えている、貴方をとっくに。

 よせばいいのに、逃げなかったのだから。



 貴方のお漏らしになった言葉は全て、わたくしに投げつけた言葉は全て。

 貴方の漏らした断末魔、貴方がのたうち吐き出した反吐へど

 されども決して炎は消えず、毒は決して吐き出せはせず。貴方の上で脳の内で、絶えず貴方を焦がしゆく。



 さて、もうお帰りなさいませ。

 もう、お帰りなさいませ。

 もう、とっくに手遅れですがね。



 わたくしの言葉は黒い種、貴方の脳はやわ苗床なえどこ

 貴方はそれに水をやった、よせばいいのに水をやった。


 わたくしではない、貴方が。わざわざわたくしと向き合うことで。よせばいいのに、向き合うことで――申したはずです、見なければよかった、向き合わなければよかった、ご笑殺いただきたい、と。

 貴方はそうされなかった。


 植えつけられてしまった。芽を出してしまった、根を張ってしまった――わたくしの言葉が、貴方の脳に。


 思考・思索は全てが言葉。わたくしの言葉は貴方に根を張り、貴方の言葉はただの養分。わたくしを育てるだけの養分。

 思考・思索は人の全て。貴方の全てはすでにわたくし



 ほら、今ついたその悪態。それはすでにわたくしの言葉。

 次いでおっしゃる否定のそれも、貴方の口から出たわたくしの言葉。

 そのうめきもその嗚咽おえつも、ああ、ああ、わたくしの考えたとおり。貴方のために考えたとおり。



 さらに申せば。


 ――伝染うつるぞ、それは。


 貴方の言葉はすでにわたくしわたくしの言葉は黒い種。

 貴方は口から振りまくぞ、わたくしの言葉を、黒い種を。

 振りまくぞ、友に。

 振りまくぞ、親に。

 振りまくぞ、恋人に。

 振りまくぞ、貴方の子に。貴方の子は、そのまた子に。その子はまた、そのまた子に。その子はそのまた次に、そのまた次はそのまた次に――



 貴方は語るぞ、わたくしの言葉を。恋人に愛をささやく言葉を。用意して差し上げたとおりのそれを。

 恋人は語るぞ、わたくしの言葉を。貴方の愛に応える、筋書きどおりのその文章を。


 友は語るぞ、他愛もない言葉を。全てわたくしの思惑どおりに。

 死の床にある親御さんの、最期の言葉はどう演出いたしましょう? 

 そうそう、貴方のお子さんの、最初に喋る言葉は何がよろしいでしょうな? 



 震えないで、可愛らしい方。

 そんな必要はないのだから。もう、手遅れなのだから。

 さあ、もうお帰りなさいませ。

 お帰りなさいませ、愛しいわたくし



(了)


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