一つの選択肢と幾筋の涙

 心の病院に行くという事を、私は家族や友達に絶対に知られたくなかった。だから周囲の人達には内緒で、私は心療内科を受診した。

 挙動不審な若い女が、保険証も持たずに病院にやって来たからだろう。受付の女性は私の顔を見るなり、少し怪訝そうな顔をした。だがそんな女性の様子も気にならない程、私は病院の待合室で緊張していた。生まれて初めて訪れた心療内科は私にとって、ただただ恐怖でしかなかった。

「何を言われるのだろう?どんな検査を受けるのだろう?」という考えが頭をよぎる。私の心に不安ばかりがどんどんと降り積もっていった。

 しばらく待合室で順番を待つ。その間私は落ち着かず、顔を四方八方に動かしてばかりいた。

 三十分程待っていると、自身の名前を呼ばれ、診察室に来るように促された。恐る恐る私は診察室に入る。

 診察室には、背筋がピンとした、五十代くらいの白衣姿の男性が座っていて、こちらを見つめていた。

 初めてお会いした病院の院長先生はハキハキとしていて、キリっとした印象だった。そして私にいくつか質問をすると、院長先生はハッキリとした声でこう言った。

「君はね。うつ病という病気だ。これから治療をしないといけない。そして治療をする為にはご家族の協力が必要不可欠だ。だから明日ご家族を連れて、もう一度ここに来なさい」

 青天の霹靂とは、きっとこういう事を言うのだろう。私の頭の中は一瞬で『うつ病』という言葉で埋め尽くされた。

 最初私は頑なに院長先生の提案を拒否した。だが治療の必要性を訴える院長先生は、真剣な顔をして、こう言った。

「このままでは、君の心が死んでしまうかもしれないよ」

 そう言われた私は首を垂れて項垂れた。

 もう私に選択肢はひとつしかなかった。

 院長先生に「明日、必ず来るのだよ」と促された私は、ポロポロと泣きながら病院を後にした。

 そして何度も涙を流しては拭う、そんな行為を繰り返した。

 その後私はとぼとぼと力なく歩き進めて、何とか家に辿り着いた。「家族に何と言えば良いのだろう」と、そればかりが私の頭の中を支配していた。

 家に帰ると私は、勇気を出して、両親に病院での出来事を全て話した。

 母はパニック状態になって泣き出して、父は「何で病院に行く前に、家族に相談しなかったんだ!」と私を叱った。

 私は声をあげて泣いて、二人に何度も何度も「ごめんなさい」と謝った。

 これが私の闘病生活のスタートとなった。

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