描かぬ今日と後悔せぬ明日

 私がうつ病を発症したのは、二〇〇六年五月末の事である。

 当時美術大学への進学を目指していた私は浪人生で、毎日絵を描く生活を送っていた。

 最初に私の異変に気が付いたのは、当時私が師事していた絵画教室の先生だった。

 ある日先生から「今日は石膏像を描こう」と指示を受けた私は、イーゼルの前に画板と紙をセットした。

 そして椅子に座って、右手に鉛筆を握り、絵を描き始めた。

「今日はいつもより、絵を描くペースが遅いな」と自分の中ではそう感じていた。しかし私はちゃんと自分は目の前の石膏像を捉えていて、絵を描いているとそう思っていた。

 ところが、である。

 二十分程経過して、先生が私の描いている絵の進み具合を見るために様子を見に来た。そして私の絵を見るなり、先生は大きく目を見開いて、私に慌てて話しかけた。

「どうしたの!?今、君は何を描いているの!?」

「何って……。石膏像ですけれど……」

「君のこの絵は、あの石膏像を描いたものなの?」

 そう言って先生は私が描いていた絵を指差す。当時の私には分からなかったのだが、先生によると、そこにはミミズが這ったような、ぐちゃぐちゃの線が、紙いっぱいに何本も引かれていた。

「ちょっと、こっちに来てごらん」

 まだ絵を書き続けようとする私を、やんわりと静止した先生は、別の席に私を誘うと、真剣な顔をして、こう言った。

「君の心は相当疲れている。きっと心がSOSを出しているんだ。今、治療すればきっと良くなる。だから心の病院に行って来なさい」

 私は最初、自分が先生から何を言われているのかが、全く分からなかった。

(私が心の病院に行く?何で?どうして?)

そんな考えばかりが頭の中を駆け巡った。

 そして先生の目の前で、わんわんと泣きながら「心の病院に行くのは絶対に嫌です!」と何度も訴えた。

 だが先生は頑なだった。

「君が病院に行くまでは、先生は君が絵を描く事を認める事が出来ない。だから明日、病院に行って来なさい」と何度も私を説得した。

「明日病院に行かなかったら、君はきっと一生後悔する。今ならきっとまだ間に合う」

 先生の強い剣幕に圧倒された私は、結局最終的に先生の意見を受け入れた。

そして自宅の近所にある心療内科の病院の地図と電話番号の書かれた紙を先生から手渡された。

 震える手で病院に予約の電話を自分で掛ける。

 そして次の日の朝一番に、私は心療内科を受診する事となった。

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