果報者と少しの強さ
私は本当に、とても果報者だと、そう思う。
十七年前は自分が会社で働くなんてことは全く想像も出来なかった。今でも時々夢ではないか、とそう思うことがある。
ここまで来るのに本当にかなりの時間が掛かった。
だが私は思う。どの瞬間が欠けていても駄目だった、と。そしてどの時間であっても無駄な時などないのだ、と。
しんどいこと、辛いこと、苦しいことばかりの時期もあった。「死にたい」と思って自傷した日もあった。大声で泣き叫んで暴れて物を破壊して、「何で私がこんな目に合わなければならないのか」と神様を恨んだ日もあった。
だがマイナスなことが多く、その試練を乗り越えられたからこそ、私は今、大きな声を出してはしゃぎ、笑っていられる。
それは何とも幸福で有難いことだと思うのだ。
もう一度、押し入れから取り出した、スケッチブックの詩と絵をじっくりと眺めてみる。
そしてあの時の自分は何を思っていたのか、そしてどうしたかったのか。じっくりと過去の自分の考えに想いを巡らせる。
きっとうつ病という病気に罹っている事が分かった時も、当時の私は何とかして絵を書き続けたいと思ったのだろう。
当時は若く多感で、描きたいものが沢山あっただろうし、仕上げてみたかった絵も沢山あったはずだ。
でも現実は上手くいかなかった。実際の私の症状は非常に悪化したし、当時の私には絵を描く余裕も気迫も全くなかった。
そして気が狂いそうになるほどのきつい経験をして、途中で私は一度、絵を描く事を諦めた。
当時の私にとって『絵を描かない事』は強いプレッシャーであり、『絵が描けない事』は、酷いストレスだった。
でも今ならこう言える。
「過去は取り戻せないから、これからの未来は昔の自分が悔しがるくらい、沢山の素敵な作品と思い出を作っていこうよ」と。
そう言える様になった私は、十七年前に比べて、少しは強くなったのかもしれない。
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