安酒に月を溶かして仰ぎ見る親父の背にはまだほど遠く

 去年の夏、親父が死んだ。末期ガンと診断されてから数年。これでも生き延びた方だった。

「お前と酒が飲めるようになるまでは、死んでも死にきれない」

 それが酒飲みだった親父の口癖で、その度に自分や周りから「全くりない奴だ」と怒られるのがお決まりの流れと化していた。

「……ダメだな。夜に墓参りなんて来るんじゃなかった」

 月明かりに照らされた墓石。立ち上る線香の匂い。レジ袋伝いに感じる、ワンカップの冷たさ。ここにあるもの全てが、親父の最後を思い出させる。二十歳の誕生日を迎えた深夜零時の、あの一時ひとときを。


「なあ、お前。明日、誕生日だろ。あと数分で二十歳だろ。酒、買ってきてくれないか」

 偶然トイレに起きた自分を引き止める親父の声。ふすま越しに、布団のれる気配がした。

「安いやつでいい。紙パックでも、カップでもいい。俺はもう、この通り動けないからなぁ」

「何言ってんだ。また医者に怒られるぞ」

「そんなこと言わずに頼むよ、一生のお願いだ」

「無理だよ。……それに、その一杯が原因で死なれたら、自分が殺したみたいで嫌じゃんか」

「……ならせめて、お前が酒を飲むところを見せてくれ。それが見れれば十分だ。な、な? それなら問題ないだろう」

「あー、わかった、わかったよ! 全く、相変わらず口が上手いんだから」

 自分は呆れながらも近くのコンビニへと足を運んだ。だが、その最後のおつかいは、あえなく未遂に終わった。すんでのところで間に合わなかった。

 自分が成人を迎えた時には、親父はすでに息を引き取っていた。薄ら寒くてほこりっぽい寝室に差し込む月光が、やけに綺麗な夜だった。


「結局、自分は何も出来なかったなぁ。親父の一生のお願いを叶えることも、昔からの夢を実現させることも。なんにも、してやれなかった」

 しゃがんだ拍子に、レジ袋からカランコロンと涼しげな音が漏れる。二人分の、安い酒。その一つを手に取って、親父の前に供えてやる。

「……遅くなって、ごめんな」

 カラン、コロン。残ったワンカップの蓋を開け、少し掲げて、一口すする。

「ぶっ、ははっ。まだちょっと、自分の口には早かったかなぁ……」

 あまりの辛口さに、喉が焼けるように熱くなって、うっかり涙がこぼれそうになった。

 天を仰げば、そこには眩しくにじんだ月が、未だ煌々こうこうたたずんでいる。

 ……向こうで一緒に酌み交わすのは、もう少しだけ、大人になれた時がいい。

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