私と執事とカエルの王子様

鐘古こよみ

【三題噺 #16】「アイドル」「公園」「カエル」


 扉を開けたら玄関前の外廊下で正装姿の男が土下座していたので、私は瞬時に扉を引き戻した。


 ちなみに正装って、タキシードとかモーニングとか、詳しいことはよくわからないけど、そういう類の裾の長い上着とズボンに、白シャツ白手袋を合わせた恰好のことよ。アニメとかでよく見る、執事って感じ?


 執事に知り合いはいない。

「郵便です荷物お届けに参りました」って言うから開けたのに!

 

「待ってください雷光らいこうリリィさん、後生ですから話を聞いてください!」


 扉が閉まる直前に艶光りする男物の靴と白手袋を嵌めた手が隙間にガッとねじ込まれる。ヤバいヤバいヤバい、完っ全に身バレしてる!


 雷光リリィ。それは私の地下アイドルとしての芸名だ。私は女子格闘家アイドルグループ<ベヒモス>のメンバーで、キックボクサーのプロライセンスを持っている。 

 当然、鍛えているので、そこらの男に力負けすることは滅多にないんだけど。


「ちょっとおおお、変な恰好してるくせに、なんでそんな力強いのよおおお」

「負けませんよおお、僕の話を聞いてくださるまでは!」


 扉がみしみしと音を立て始め、このままでは大破すると危機感を覚えた私は、しぶしぶ近くの公園で話を聞くことにした。自宅? 上げないに決まってるでしょ!


 隙をついて通報しようかと思ったのだけれど、いざポケットの中でスマホを握ると、警察になんと説明したらいいかわからなくなって、断念した。

 だって、玄関前で正装姿の見知らぬ男が土下座していて、今から公園で話し合うところです、なんて。ただの痴話喧嘩と思われそうじゃない?

 本当に危ないヤツなら、何かの危害を加えようとするはず。その時こそキック一発、現行犯で私人逮捕よ!


 ちなみにこれは、私が腕に覚えのある格闘家だからできる選択であって、一般的な婦女子の皆さんは決して真似をしてはいけない。サクッと通報してください。


 平日午前。ブランコやパンダの置物がある小さな公園には、幸いにして人の姿がなかった。子供に血を見せる恐れもなくなって、私は密かに胸を撫でおろした。


 奇妙な男は、胸ポケットから白いハンカチをサッと抜くと、それをベンチにふわり広げて、片手を胸に、もう片方の指先で優雅にそちらを示し、私に向かって深々と頭を下げる。


「お嬢様、どうぞ。まずは御身を安らげてください」


 私はスウェット上下にサンダル履き、すっぴん隠しのマスク姿。

 ヤバいでしょ。奇跡的にファンが通りかかっても絶対に見破られないのはいいとして、この二人組は客観的に見て相当にヤバめでしょ。


 しかも、なんだこの男。さっきから気になってたんだけど、上着のポケットから垂らしている銀の鎖に、小学生が持っていそうな透明プラケースの虫かごをぶら下げている。普通そこにつけるのって、懐中時計とかじゃない?


「この虫かごが気になりますか」


 白手袋をそっと虫かごに添えて、弱々しげな微笑を浮かべる男は、よく見るとなかなか綺麗な顔をしている。長めの黒髪をうなじで一つに結んで、前髪の後れ毛が細面にかかっている。だからって、気は許さないけどな。


「あんた誰? 私になんの用事があるわけ?}

「申し遅れました。僕はこういう者です」


 そう言ってジャケットの内ポケットから男が取り出したのは、名刺だった。

『エレガンス生命保険 営業第二課 日々原鉄男』


「保険のセールスじゃねぇかあああ」

「ち、違うんです! 確かに僕は保険のセールスマンですが、今日はリリィさんに違うことをお願いしに来たのです!」


 そう言って男はおもむろに銀の鎖から虫かごを外し、ベンチの隅にそっと置いた。

 虫かごの中には葉っぱや枝がたくさん入っていて、何の生物がいるのかはよくわからない。私の嫌いなアレじゃないでしょうね。


「リリィさんは、この世に魔女が存在することをご存知ですか?」

「魔女ぉ? 美魔女とかじゃなくて、アニメとか漫画に出てくるガチの方?」


「そうです、そうです。彼女たちは他の人間を助けることもあれば、呪うこともある。我が王子様は残念ながら、後者の事例になってしまいまして」

「王子様だあ?」

「はい。この虫かごの中にいるのは……今や元の姿は見る影もありませんが……僕が誠心誠意お仕えしている、大切な王子様なのですよ」


 言いながらまるで愛撫するかのように、虫かごの蓋にそっと手を置く鉄男。

 ふ、ふーん。


「それは大変な目に遭いましたね。じゃ、私、これから用事あるから……」

「明日は一日オフだから家でダラダラするって、昨日大家さんに話してましたよね」

「なんでそんなこと知ってんのよ! キモ!」

「あなたが滞納分の家賃を現金で納めにいらした時、僕は玄関先でお茶を頂いていたのですよ。大家さんは顧客でしてね。新しいお勧めの保険があったもので。

 前々から店子さんに、格闘家でアイドルをやっている人がいるという話は聞いていたんです。興味なかったのですが、今となっては僥倖ぎょうこうに感謝しています」


 話しながら流れるように膝を折り、地べたに額を擦りつけ、気付けば鉄男は、最初に見た時のような土下座スタイルを再現していた。


「リリィ様、お願いです。どうか呪いを解くため、王子様にお情けをください。

 どうしても、どうしても必要なのです。他の誰でもない、あなたの口づけが!」

「はあ!?」


     *


 結局、ベンチに敷かれたハンカチに座って、話を聞くことになった。

 

 事の発端は、保険のセールスだったらしい。

 奥多摩の森の辺りに金持ちの老婦人が住んでいると聞いて、彼は、顧客に引き入れれば太客になると踏み、執事姿でのこのこ出かけて行ったのだそうだ。


 ちなみに、こいつの変な恰好は、やっぱり執事の正装だった。<エレガンス生命保険>は執事姿のセールスマンを派遣して、特に年配の女性客をターゲットとした営業活動を行っているのだという。いや、保険の内容で勝負しろよ。


「お金持ちなのに誰も手を付けていないから、なんでかなー、不思議だなーと思いながら訪ねてみたらですね。実はそのお方こそ、魔女だったわけなんです。

 僕、すっかり気に入られてしまいまして。

 ありとあらゆる保険に入って頂けたのは良かったんですが、その代わり、ありとあらゆる相手をしろと迫られまして」


 単なる茶飲み友達の雑談相手ってわけじゃあ、なさそうね。


「さすがに断って、保険も解約で結構ですからと言い捨てて、逃げようとしたんですが、外に出たら頭上にもくもくと黒い雲が広がりまして。

 振り返ったら、その魔女様が、空いっぱいに両手を広げて、こちらを睨んでいたんですね。僕、悲鳴を上げて、頭を抱えてその場にひれ伏したんです。

 そしたら、辺りに響き渡る恐ろしい声が――」


 ……おまえの一番大切な相手を、カエルに変えてやろう。

 この呪いを解くためには、カエルを嫌いと公言しているアイドルが、カエルに変えられた当人に口づけをしなければならない。

 今さら謝っても、もう遅い。


「それで私!?」

「はい。だってリリィ様、一応アイドルだし、カエル嫌いでしょう?」


 一応は余計だ。でも確かに、私はカエル嫌いを公言している。

 あの、ぬるぬるベタッとした感じが嫌なのだ。アマガエルですら皮膚に毒を持っていると知ってからは、もっと嫌いになった。公式サイトのプロフィールにも記載している。


「でも、カエル嫌いのアイドルなんて、他にもたくさんいるでしょう?」

「そりゃ、検索するとたくさん出てきますけどね。僕が直接会って頼み込めそうなの、あなたくらいだったものですから」


 なんだその言い草は。イラッときて、私は鼻先をツンとそっぽに向けた。


「嫌だ。カエルにキスなんて、死んでもごめんだわ」

「ええ! そ、そんな。それじゃ一体、王子様はどうしたら……」

「その王子様っての、なんなのよ。あんたは保険のセールスマンでしょ? どうして王子様なんかにお仕えしてるわけ?」

「王子様にお仕えしているから保険のセールスマンなんですよ! 生活をお支えするために、いろいろ入り用でしょう?」


 わけがわからない。魔女だの呪いだの、そもそも本当のことなの?


「まあ、知らない相手に口づけをしろと迫られても困りますよね。

 すみません、手順を間違えました。まずは王子様を紹介するのが筋でした」


 急に切り替えた口調でそんなことを言い出すものだから、私は嫌な予感がした。


「こちらが我が王子様です。朽ち木の下でお休みになられているでしょう?」


 止める間もなく、鉄男は虫かごを恭しく持ち上げると、私の目の高さに合わせる。

 自分が悲鳴を上げることを予感して、私は手を口元に持って行ったのだけれど、宝石のように青く輝く色彩が目に飛び込んできて、思わず息を呑んだ


「えっ……これってカエルなの?」

「コバルトヤドクガエル。世界で最も美しいと言われるカエルの仲間です」


 こちらにお尻を向けているからだろう。それはまるで、ラピスラズリの塊に見えた。顔が見えないせいか、嫌悪感はあまり湧かない。確かに色は綺麗だ。

 ところで、鉄男が口にしたカエルの名前、何かが引っかかる。


「ヤドクガエル?」

「はい。その美しさとは裏腹に、皮膚全体に猛毒を分泌しており、生息地の原住民が吹き矢の先に塗る毒として使用していたことで有名です」

「もし口づけしたら?」

「あっ」


 はい解散。

 立ち上がる私の前に砂埃を立てて回り込み、鉄男は胸の前で手を組んで目を潤ませながら進路を塞いだ。


「大丈夫です! ヤドクガエルの毒は生来のものではなく、餌とするアリやダニから摂取したものなのです。だから飼育下でコオロギなどを与え続ければやがて無毒化し、口づけをしようが頬ずりをしようが全く危険はなくなります!」

「どっちにしろ、したくないって言ってるでしょ!?」

「無毒化するまで、チケットもグッズもチェキ券も全部買いますからあ!」


 え、ほんと?


 私は動きを止めて考えた。

 正直、グループ内での私の人気は、あまり芳しくない。チェキ撮影の列が私だけ伸びが悪くて、もしかして肩叩きされるかもとヒヤヒヤしているところ。

 裏腹に、バイト先では社員にならないかって誘われてたりして……。


「無毒化って、どれくらいかかるの?」

「え、どうなんでしょう。一ヶ月……いや、念のため二ヶ月くらい……」

「半年」


 気づけば私はそう言っていた。

 カエルの寿命はよく知らないけど、あんまり長いと死んじゃうかもしれないし、そしたらこいつに逆恨みされるかもしれないし。


「その間、ライブチケットと新作グッズとチェキ券を全て買うこと。それが条件」


 カエルは嫌いだけど、まあファンの人にも、同じくらいぬるぬるジトッとした手の持ち主もいるし……。


 子供の頃から夢だったアイドルを諦めるくらいなら、半年だけでも一人の太客が増えてくれるなら、カエルとキスくらい、してやろうじゃないの。


「あっ……ありがとうございます、ありがとうございます!!」


 泣き濡れて五体投地する執事服の男と、それを睥睨へいげいするスウェット上下のマスク女を見てしまったのか、買い物袋を提げた女性がダッシュで通り過ぎていった。


     *


 鉄男は、思った以上によくやってくれた。


 週一で行われるライブのチケットは必ず事前予約し、物販もチェキも雷光リリィの列に並び、リリィの推しカラーであるイエローのペンライトとタオルを毎回持参し、いつの間にか古参のファンと仲良くなって「執事氏」と呼ばれるようになり、ライブどころかキックボクシングの試合にまで足を運んでくれた。


 嬉しい誤算もあった。


 毎回執事姿で現れる熱烈な新規ファンの姿は否が応でも注目を集め、「雷光リリィはお嬢様で彼は本当の執事なのでは」といった憶測を呼び、そこでどういう化学反応が起こったのか、「雷光リリィと執事」をセットで推す女性ファンが急増したのだ。


 チェキ券を二枚買って「執事さんも一緒にお願いします!」と頼んでくるファンが増えたことにより、私の収入も倍増。アルバイトを辞めこそしなかったものの、シフトを減らしてキックボクシングの練習時間を増やすことができた。


 ライブではついに、念願のセンターを務めることができた。

 試合でも人気の高まりを受けて、メインマッチの扱いをしてもらえた。


 ステージとリングの外には、いつも鉄男がいた。


     *


 半年後。


「ついに、この時が……!」

 

 緊張の面持ちで鉄男が、一番初めに話をしたあの公園で、虫かごの蓋を開ける。

 そっと掴み上げたのは、例のラピスラズリみたいな青色をしたカエルだ。


「本当に毒、なくなったんでしょうね?」

「もちろんです。昨日、素手で触って確かめました。全くかぶれもしていません。手袋外してお見せしましょうか?」

「いやいいわ、別に」


 鉄男が嘘をつくような人間じゃないことは、この半年の間にもうわかっている。


 最愛の王子様の生活費を稼ぐために執事服で保険のセールスに勤しんだ結果、魔女に呪いをかけられて王子様をカエルにされてしまい、落ち目の格闘家地下アイドルのガチファンを半年間やる羽目になり、今やそのアイドルとセット売りされかけている変なヤツだけど、こいつはひたすら一生懸命だった。


 ちょっと、キャラ設定が渋滞してるな。


「ああ、ついに、元の姿の王子様と会えるのですね……!」


 感涙にむせび泣きながら、両手でふんわりと捕まえたカエルの口先を、私の口元へと寄せてくる鉄男。


 これで終わりか。

 私はなんとなく乾いた気持ちになりながら、鉄男の手の中からちょこんと覗いたカエルの鮮やかな青い口を眺めた。


 口づけしたら、王子様が復活する。

 そしたら鉄男の最推しは、その王子様に戻る。

 ううん、戻るんじゃない。鉄男は最初から最後まで、王子様推しガチ勢だった。


 ばいばい、鉄男。

 結構、楽しかったよ。


 目を瞑り、思い切って唇を突き出し、カエルの青い口先にちょんと触れる。


 ……ん? ちょっと待てよ?

 これで王子様が復活するってことは。

 閑静な住宅街の公園に、裸の男が忽然と現れるってことじゃ……。


「て、鉄男!」

「お……おお……おおおお……!」


 目を開けると鉄男は、両掌に視線を落として肩を震わせていた。

 裸の男が現れる気配はまだないけど、時間の問題か?


「今のうちに、私の家に戻っ」

「ありがとうございますリリィ様! 王子様が、無事に復活いたしました!」


 ん?

 

 両膝を地面について、鉄男は手の中にある何かを頭上に掲げた。

 覗き込んだ私は、口をぽかんと開く。

 そこにいたのは、目にも鮮やかな真っ黄色の、小さなカエルだったのだ。


「リリィ様、改めてご紹介いたします。この方こそ、我が最愛の至高の両生類――

 『モウドクフキヤガエル』の、王子様でございます!」


 カ……カエルがカエルに変えられていただと!?


「もしかして王子様って、そのカエルの名前!?」

「まあ名前というか、称号ですけど……」

「黄色いカエルが青いカエルになっただけで、あんなに必死だったわけ!?」

「なっ、何を言っておられるのですか。当たり前でしょう。コバルトヤドクガエルとモウドクフキヤガエルでは全くの別ガエルです。リリィ様だって、ある日突然体色が変わったら困るでしょう?」

「体色言うな!」

「それに青色は<ベヒモス>だとミユミユの推しカラーです。僕はリリィ様推しなんですから、やはり黄色に戻っていただかないと……!」

「へっ……」


 虚を衝かれて、私は握りしめていた拳を開いた。


「あんた、まだ私の推しを続ける気?」

「当たり前ではありませんが。いくら注ぎ込んだと思ってるんですか。武道館ライブが実現するまで、推して推して推しまくりますよ」


 へえ、そうなんだ……。

 思わず唇が緩んだのを見られたくなくて、私は腕を組んで明後日の方向を見る。


「ま、まあ、『執事氏』はファンの間でも浸透してるし? 今まで通りとはいかなくても、これからもライブに来てくれるっていうなら、私も一応感謝……」


「それに王子様もキックボクシングの試合をネット中継で見て、すっかり気に入ってしまったんです。今では完全に雷光リリィのファンです。ね、王子様」

『うむ。あのキックと後ろ脚の筋肉は、カエル族の目から見ても素晴らしい』


 聞き覚えのないダミ声がナチュラルに参入してきたので、私は明後日の方向に回していた頭をぐりんと振り戻した。


「今……カエル、喋……」

「あ、そういえば、リリィ様は知らなかったんですね。今まで呪いにかかって普通のコバルトヤドクガエルになっていましたが、この方はカエル王国の王族……」

「あーあー聞こえなーい!」


 私は耳を塞いだ。これ以上聞いたら頭がおかしくなる自信がある。なのに鉄男は尚も嬉しそうに喋り続ける。


「僕は今でこそ人間の姿をしていますが実はカエル王国の」

「これ以上キャラ設定を渋滞させるなあああ!」


 叫ぶ私の視界の端を、買い物袋を抱えた女性がダッシュで通り過ぎて行った。


 私と執事とカエル王子の武道館への道のりは、こうして始まったのである。



 <了>

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