瓶詰姫

尾八原ジュージ

あたしと七島

 瓶に捕まえた幽霊は白い霧の固まりみたいだったけれど、ゆらゆら動く中にほっそりした手や形のいい横顔が見えたりして、あたしにはそれがちゃんと七島だとわかるのだった。

 最初は幽霊を捕まえるのなんて危ないかも、と思った。でも七島は自分が飛び降りて死んだ団地の下で意気地なくふわふわしているだけの幽霊だった。こんなやつが祟るわけないじゃんとか考えながら、あたしは七島のふわふわした端っこをどうにか捕まえて、ホームセンターで買った小瓶に詰め込んだ。

 そうやって捕まえたはいいけど、これからどうするか全然決めていなくって、家に帰ってから迷って困るはめになった。あたしはバカなのだ。むかし散々七島に言われたとおり。まぁいいか、幽霊なんて何気なく飼えばいい。

 そういうわけで七島は愛玩用幽霊とすることに決めた。とりあえず死んだ人には線香をあげたらいいと思って、瓶の蓋をほんの少しずらし、火のついた線香を入れた。そうすると煙の中に、七島の姿がくっきりと浮かび上がった。

 真っ黒で艶々の髪、陶器みたいな白い肌、赤いくちびる、華奢な体つきにすらりと長い手足。あたしは七島を見るたび『白雪姫』を思い出す。煙の中に見える七島は、死んでいるせいかひどく人間離れして見えた。まるで天使みたいに綺麗な女の子だった。

 あたしが線香をさらに差し込むと、先端が赤くなった線香の熱に怯えながら、七島は瓶の隅にうずくまった。あたしは幽霊にもそういう恐怖心があるのだなと初めて知った。


 団地の下で七島の姿が見られなくなったあとも、彼女の噂は健在だった。なんでも四谷という女子生徒が死んだのは七島のせいだ、という。

 確かに四谷が死んだのは七島が死んだ後で、しかも四谷は七島をいじめていた一人だった。噂がたつのもさもありなんという感じだ。

 あたしは毎日、学校に小瓶を持っていった。七島がよく詰め込まれてた掃除用具入れとか、囲まれて震えてた校舎の裏とかを、安全圏から見せてあげようと思ったのだ。そうやると七島の姿が一瞬はっきりするので、あたしはカバンの中に入れた小瓶を、時々振ったり弾いたりした。四谷を殺したことになってる恐い悪霊(じゃないけど)が、小瓶の中でもやもやと震えているのが愉快だった。

 七島をいじめていたグループはふたりが登校拒否になり、主犯の十河はさすがに面の皮が厚いというか、とにかく表向きは平気な顔で登校している。あたしはこっそり小瓶を出して、十河の姿を七島に見せてやった。瓶の中で、もやもやが一瞬ひとの形をとった。

「ねぇ、あいつどうする?」

 あたしが小声で尋ねると、小瓶はかすかに震えた。あたしはくすくす笑った。七島。ずいぶん可愛くなっちゃったね、七島。

 きっと七島は、あたしのことが怖くて、すごく気持ち悪いんだと思う。


 七島をいじめて、登校拒否になっていた三森が死んだ。

 噂はますます大きくなった。次に死ぬのは誰かなんて、そんな話にもなっている。噂が耳に入るたび、十河は頬を引きつらせている。十河も結構美人なのに、あんな顔をするとまるで意地悪な継母みたいだ。

「十河も学校、来なくなるかな」

 そう言いながら小瓶を弾くと、またかすかに震えた。なぜか咎められたような気がしていやな感じがした。人気のない階段の踊り場で、あたしは小瓶を取り出してちゃかちゃか振った。七島はゆらゆらと揺れ、整った鼻から顎までのラインとすんなりした首元が見えた。泣いているように見えたので、あたしは満足して小瓶をポケットに戻した。

 翌週、やっぱり登校拒否になっていた二見が死んだ。それでも意地張ったみたいに毎日登校してくる十河は凄いと思ったけれど、表情は見るからに荒れ狂っていた。話しかけるとヒステリックに叫んで威嚇してくるので、あたしはわざと用事を作っては十河に話しかけた。それも繰り返すうちに反応が薄くなってきて、あまり楽しくない。

「十河さん、顔色悪いよ? よく眠れてる?」

 何回目かにそう聞いたとき、こっそり「七島の夢でも見た?」と付け加えた。十河は突然「うるさいいぃあぁぁ」とかなんとか叫びながらあたしに半分中身が入っていた缶コーヒーを投げつけてきた。あたしはわざとそれに当たって、めそめそ泣いた。

 見ていた人たちはみんな、あたしに同情してくれた。「十河、頭おかしくなっちゃったんじゃね」と誰かが言うのが聞こえた。くすくす笑いが続いた。

 翌日から十河は学校に来なくなった。やり過ぎたらしい。

「十河、まじで来なくなっちゃった。どうしようね。つまんないね」

 あたしは小瓶をつついた。七島の幽霊は震えた。

 缶コーヒーがかかったおかげであたしの制服は新しいものになった。あのくらい汚れたって何ともなかったのに、怪我もしなかったのに、お金持ちの十河の親は十分すぎるくらいのお金を払ってくれた。

 でも本当に大したことじゃないのにな、とあたしは思う。七島があたしにしたことに比べれば、こんなの無邪気な、まるで仔猫のじゃれあいみたいなものだ。


 一年生の頃、七島はいじめっ子で、あたしはいじめられっ子だった。

 七島は白雪姫みたいな顔をしながら、わたしの教科書やノートを捨てたり下品な噂を流したりすれ違いざまに肩を殴ってきたり制服を切ったり、散々頭の悪いことをやっていた。

 そういう関係が解消されないままあたしたちは進級して、でもクラスが変わるとめっきり会わなくなった。突然いじめから解放されたあたしは喜ぶやらほっとするやら、でも心のどこか片隅では(ああ、七島は私に飽きちゃったのかぁ)って思っていたことも否めない。

 一月くらい経ったころ、あたしは七島がゴミ箱を漁っているところを目撃した。目をかっと見開いて、唇を噛んでいた。青白くて必死なその顔を見ているうちに、あたしの中に凝っていた何かが爆発した。それが、あたしを何もかも変えてしまったのだと思う。

 七島のスニーカーは緑の藻がいっぱい浮かんだプールの中に放り投げられていた。あたしは彼女がやられる側にやってきたことを知った。

 それから七島はびっくりするくらい元気がなくなった。夏休み明けの九月一日の朝、七島は住んでた団地のベランダから飛び降りて死んだ。遺書があったらしい。十河たちを名指しで「復讐してやる」と書かれていたとかなんとか、実物を見てないからよくわからないけどそんな話を聞いた。あたしは笑った。とにかくそんくらいで死ぬなよなぁと思って、笑って、ちょっと泣いた。


「ねぇ七島、十河どうする?」


 尋ねると、小瓶は震える。

 復讐なんかやめてよと言われた気がして、あたしは少しむっとしてしまう。瓶に線香を差し込み、くっきりと浮かんだ姿を拝みながら、

「ねぇ七島ぁ! 七島七島七島ってば」

 幽霊すれすれまで火の点いた先端を近づける。その火がふっと消える。瓶の中の酸素がなくなったらしい。ぼんやりとした煙の向こうに、白雪姫みたいな姿はまだ見えている。

「七島ってば。ねぇ、十河もこれまでと同じようにしちゃう?」

 四谷も三森も二見も、みんなマンションやビルの高層階から落ちて死んでいる。

 みんな「七島のこと気になるでしょ」って言えば呼び出せた。簡単だった。去年までいじめられっ子だったあたしは、馬鹿にされても警戒されることはなかったし。

 みんなぽかーんとしながら、手すりとか乗り越えて、なんにもない空中にぽーんって落ちていった。

「まぁ、いいか、いつでも。ゆっくりやろうね七島」

 あたしは小瓶を弾く。幽霊はびくりと震える。

 十河をいつ、どこに呼び出そうか。やっぱり学校の屋上とかがいいかな。それとも七島が住んでた団地にしようか。そっちの方がドラマチックかもしれない。なんにせよゆっくりやろう。七島にはなんの力もない。手を下すのはあたしなのだから、あたしが決めていいはずだ。

 あたしは団地の最上階、階段の踊り場から落ちていく十河の姿を想像する。もしくは落ちていくあたしの姿を。だって、今回も反撃されないかどうかなんて誰にもわからないじゃない? もしもそうなったら、あたしは小瓶を持ったまま落ちていこう。地面に叩きつけられて砕けた小瓶の中で、幽霊になったあたしは七島に絡みついて、絡み合って解けないものになって、一緒に地面に貼り付いてやる。


 七島に成仏とか、絶対させてやらない。

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