第7話 屋敷の中で(前)


「エリス!!」


 アナスタシアの急襲から2時間後、ガラス張りの空間に歓喜を含んだ声が響き渡った。


 場所はルフト東部中央に建てられたロビンソン伯爵家の屋敷、謁見の間。

 重厚な扉が開かれた瞬間、自分の名を呼ばれたエリスはパアッと笑った。


「もしや貴方はルーカス兄様ですか!?」


 最悪の壁際に置かれた王座。赤いビロードに金糸と銀糸で装飾された立派な場所に腰を下ろしているのは、ルーカス=ロビンソン伯爵だった。彼はエリスの兄であり、ロビンソン家の現当主であり、ルフトの王でもある。


 兄弟は腕を広げ、お互いに近づいていくと、長い真紅のカーペットのちょうど中央で抱き合った。


「我が弟よ! この日をどれだけ待ち侘びたことか!」

「僕もずっと兄様に会いとうございました!」

「アナスタシアが襲ってきたと報告を受けた時は心臓が止まるかと思ったぞ!」

「大丈夫です。僕は無事です」


 ルーカスは弟の顔をまじまじと見つめた。


「おぉ、そなたは昔から可愛らしい子供だと評判だったが、ますます美しくなったな。〝絶世の美男子〟と、ルフトにまで噂が流れていたぞ。私とは大違いだ! お前たちもそう思わないか?」


 すっかり気持ちが舞いがったルーカスに声をかけられ、ガラス窓に沿って立つ近衛兵たちは苦笑いを浮かべる。

 ルーカスの自虐的なジョークの通り、この兄弟はまったく似ていなかった。一度見たら忘れられない美しさを持つエリスとは違い、ルーカスの容姿は平凡だ。髪は赤みがかったブロンド、瞳は緑色。美男でもなければ醜男でもない。強いて特徴を言えば、下がり気味の眉くらいで、人の良さそうな雰囲気がある。背はエリスよりも高く、体格もがっしりとしていた。


「さぁ。他の家族にも、そなたの顔を見せてやってくれ」


 ルーカスが離れると、エリスの瞳に2人の女性が映った。王座の左側と右側に立っている。

 左側の女性は鮮やかな橙色のドレスを、右側の女性は柔らかな黄色のドレスを身に纏っており、太陽と月のイメージを彷彿とさせる。


 ルーカスがまず紹介したのは、太陽だった。


「彼女の名前は、イザベラ。ロビンソン家専任の魔女だ。今の伯爵家の者たちは、彼女からの加護により魔法を使える。……そして2年前に、私の妻となった」

「お初にお目にかかります、エリス様。このたびは長きに渡るお勤め、大変お疲れ様でした」


 イザベラはドレスの裾を持ち上げ、挨拶をする。完璧で華麗な所作だ。顔立ちはルーカスとは対照的にキリッとしており、自信と威厳に満ち溢れた強い美しさを持っている。


 次にルーカスは、月へと手を向ける。


「そしてあちらの女性は、」

「エリス!」


 月の女性はルーカスの声を遮り、自らエリスの方へ来た。身分の高い女性が走るなど行儀が悪いと非難されるが、これ以上は待ちきれないと言わんばかりの様子だった。


「あぁ、エリス! 私ことを覚えていますか?」


 控えめな胸をおさえ、頬を紅潮させ、見つめてくる女性。


「……もしかして、カレン姉様ですか?」

「そうです! 嬉しい、分かってくれるのですね!」


 ロビンソン家には7人の兄弟がいる。

 第1王女マティルダ、第2王女グレイシー、第3王女ハリエット、第4王女ミリー。第5王女カレン。そして初の男児となる第1王子ルーカス、末っ子の第2王子エリス。

 上4人の姉たちはエリスが幼い頃に他国へ嫁いだため、記憶がない。しかし年齢が近いカレンのことだけは、かろうじて覚えていた。

 エリスは、そっとカレンを抱きしめた。

 

「カレン姉様、お久しぶりです」

「本当に懐かしい。私より小さかった男の子が、こんなに背が伸びて……ごほっ、ごほっ!」

「っ! 大丈夫ですか?」


 いきなり咳込んだカレンに、エリスが心配そうに言う。ルーカスの眉がさらに下がり、悲しそうな表情になった。


「カレン姉様は生まれつきお身体が弱いのだ。そのことが理由で嫁ぎ先も決まらなくてな……」

「ごめんなさい、ちょっとはしゃいで走ってしまったせいよ。……それにルーカス、気にしないで。私はこの家に残って良かったと思っているわ。だってエリスに再会出来たんですもの」


 カレンはふわりと微笑みを浮かべた。おとなしく、慎ましやかな女性の笑い方だ。


「今日はもう解散としよう。カレン姉様、お部屋へ戻ってください」

「そんな、ルーカス。エリスともっと話したいわ」

「私も同意見ですが、お身体に障ってはいけません。それにエリスもいろいろあって疲れているはず」


 残念そうに項垂れたカレンの肩に、ルーカスは優しく手を置いた。


「エリスも休みなさい。すぐに部屋へ案内させよう」

「いいえ! 休むだなんてもったいない!」


 兄の労いを、エリスは明るく断った。


「僕は今から屋敷の中を探検してきます!」

「た、探検だと? 疲れていないのか?」

「平気です! さぁ行こう、チャーリー!」

「チャーリーって誰!?」


〝トン〟という軽い音がして、エリスの足元に何かが落ちてきた。

 刃物のような銀の毛を持つ猫だった。ルーカスの見間違いでなければ、猫はエリスが着ている深緑のロングコートの内側から現れた。

 

「こちらの紹介はまだでしたね。彼はチャーリー。僕の友達です」

『コートの中、暗くて暑くて狭かった二ャ……』

「猫!? 猫が喋って……!?」


 目を大きく見開くルーカスに、


「ルーカス様、そちらは魔獣のようですわ」


 イザベラが冷静な口調で伝えた。

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