第8話 屋敷の中で(後)

 辺りが一斉にざわついた。

 魔獣は言語を話せるが、人前で喋ることは滅多に無い。喋るより先に、人を襲う生き物だからだ。


「チャーリーは魔獣ですが、無害です。少々、人見知りなところがありますが」

『人間に興味がねーだけニャ』

「やれやれ、君は相変わらず素直じゃないね。とてもお茶目で優しい性格をしているくせに。本当にクラーク伯爵にそっくりだね!」

(は?)


 魔獣の登場に戸惑うルーカスを、エリスはますます混乱させた。


(お茶目で優しい? 伯爵にそっくりだと?)


 ルーカスが知る人物像とは全く違う。

 クラーク伯爵は非常に気難しい老人だ。妻子にさえ恐れられるほど頑固で神経質なことは、近隣国全てが知っている。

 人質交換による停戦にこぎつけたのはルーカスの父であるジョージアだが、それはもう難儀な取り引きだったと何度も聞かされている。

 停戦からの和解へと成功させたルーカス自身も、クラーク伯爵と話し合いをするたびに胃に穴が空きそうだった。


「にわかには信じがたいな……」

「伯爵は無口で誤解されやすいところがありますからね。しかし良い人ですよ。僕に弓矢と乗馬を教えてくれたのは伯爵ですし、成人してから初めてお酒の相手をしてくれたのも伯爵です。一緒に呑むのは楽しかったのですが、お酒の量が増えると伯爵には厄介な酔い癖があって……。おっと、危ない。この話は墓場まで待っていくと約束していたのでした。どうか忘れてください」


 滑らかに話しながら、エリスはチャーリーを抱き上げる。


「チャーリーも元々はクラーク伯爵の魔獣だったのですが、僕が〝チャーリーと友達になりたい〟と願いを言ったら叶えてくれたのです」

「……そうだったのか。あの伯爵がそなたの願いを……」


 ルーカスは少しの間を置いて、口を開く。


「私にもそなたの望みを叶えさせてくれ。そなたは15年もの間、ロビンソン家のために人質となってくれたのだから」

「え! 良いのですか!?」

「あぁ。何でも言いなさい」


 エメラルドグリーンの瞳を煌めかせながら、エリスは人差し指と中指、さらには薬指を立てた。


「望みは3つあります。まず、クラーク伯爵と文通をしたいのです!」

「良いぞ。ただし検閲が入る」

「どうぞ! 物騒なことなど書きませんので」

「よし。2つ目は何だ?」

「アナスタシアに会いたいです!」


 その瞬間。

 チャーリーが現れた時の、数倍のどよめきが謁見の間に広がった。

 近衛兵たちは互いの顔を見合わせ、ルーカスとカレンは青ざめ、イザベラはやや目を細くした。


「な、何を言っているのだ!?」

「アナスタシアと話がしたいのです!」

「そなたは正気か!?」

「昔からいろんな人にその質問をされてきましたが、僕はいつだって正気です!」

「昔からよくされてるのか!? って、いやそうじゃなくて! そなたはさっき襲われたばかりだろう?」


 ルーカスはエリスの両肩を掴んだ。


「早馬で戻ってきた兵士から聞いたぞ。そなたが弓矢を使ってアナスタシアを追い払ったこと、その姿がいかに勇敢であったかを。……だが今回はたまたま勝てただけで、次はどうなるか分からないだろう」

「いいえ、兄様。勇敢に戦ったのは僕ではなく、兵士たちですよ。僕はアナスタシアと話そうとして、振られただけです」

「話そうとした!? ふ、振られた!?」


 ルーカスは弟の発言を繰り返すことしか出来ない。あまりに常識を超えていて、頭が処理できないのだ。


「もしやアナスタシアに惚れたのか!?」

「恋というものはよく分かりませんが、彼女には興味があります。……何故なら彼女には、僕を襲うつもりは無かったと思うのです」

「何故、そう思う?」

「直感です」

「直感って……」

「彼女は一体何がしたかったのでしょうか? 兄様は気になりませんか?」

「…………エリスよ。アナスタシアは心も理性も持たぬ化け物だ。見た目は少女ではあるが、勘違いしてはいけない」

『無駄二ャ。エリスは好奇心の塊だから、こうなったら誰にも止められないぞ』


 チャーリーが会話に入ってくると、ルーカスはますます興奮した。


「とにかくダメだ! 絶対に許さん!」

「うーん……。ではアナスタシアの件は保留ということで」

「〝保留〟ではなく〝却下〟だ!」

「えー……」

「それより3つ目の望みは何だ? アナスタシア以外のことなら叶えてやるぞ!」

「では〝ジャック=フェルトン〟という名の兵士を、僕のそばに置いてください。僕が乗っていた馬車の御者を務めていた者です」

「護衛に欲しいということか?」

「〝護衛〟ではなく〝友達〟です」


 ポカンと言葉を失うルーカス。肩を掴んでいた兄の力が弱くなった隙に、エリスは3歩後ろに下がった。


「ジャックとは友達になれそうな気がするのです」

『何で二ャ?』

「直感だよ」

『またそれか』

「じゃあ僕たちは探検に行ってきますね」


 くるりと踵を返して、エリスは扉へ歩いていく。ルーカスはようやく我に返ったのは、エリスが廊下へ出た時だった。


「エリス! 1つ目と3つ目は許可するが、2つ目は禁止だぞ! 聞いているのか!? ……って、何でそなたは窓から外に出ようとしているんだ!? ここは2階だぞ! 誰かエリスを止めろーーっ!!」


 王の絶叫に、近衛兵たちが慌ててエリスに駆け寄っていく。

 胃の辺りを押さえて座り込むルーカスに、カレンはオロオロと慌てる。普段は厳かな雰囲気が漂う謁見の間が、今は町の市場のように騒々しくなっていた。


––––だから誰一人として、その声に気づかなかった。



「……エリス」



 もし聞こえていた者がいたら、背筋が凍りついていたかもしれない。


「お前など、アナスタシアに殺されてしまえばよかったのに……っ!」


 玉座の隣から一切動かないイザベラ。

 魔女が冷たく吐き捨てた言葉は、喧騒にかき消された。


 

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