ネコは歌う

「ヒメッ! この間、鈴木君達に怪我をさせたでしょ! 私、すっごい怒られたんだからね! カラスの死体とか拾ってくるし、人に怪我させるし……。それに最近、夜になっても帰って来ないじゃない! いつからそんな悪い子になったの!?」

 ちとせちゃんの怒った声が、ヒメにぶつけられます。

 ヒメは必死に訴えます。自分は何も悪いことはしていない。と。

 もちろん、その言葉がちとせちゃんに届くことはありません。一方的にちとせちゃんの言い分だけがヒメにぶつけられるのです。

「ヒメッ! あなた今日から外に出るの禁止だからね!」

 そう言うと、ちとせちゃんはヒメを冷たい目で睨みます。

 最近、ちとせちゃんはヒメにとても冷たくあたります。クマのぬいぐるみに夢中で、ヒメのことを可愛がってくれることが、ほとんど無くなりました。

 いいえ、むしろヒメのことを疎ましくさえ思っているような態度をとるのです。まるで、ヒメに飽きてしまったといわんばかりに。

 ヒメは玄関の横にある自分専用の出入り口に近づきます。いつもは頭で押すだけで簡単に開いていたはずの出入り口は、全く開かなくなっていました。

 必死にヒメは叫びます。開けて! ここを開けて! と。

 ヒメは空を見ていなければいけないのです。星が出る瞬間を見逃すわけにはいかないのです。歌わなければいけないのです。だってシロと約束したのだから。星が見えたら歌うんだって、そう約束したのだから。

 けれど、ちとせちゃんが扉を開けてくれる気配はありません。

 だから必死に訴えるのです。ここを開けて。と。

「うるさい!」

 その言葉が聞こえたと同時に、ヒメの頭に激痛が奔りました。

 ヒメは悲鳴をあげます。それは初めてのことでした。今までちとせちゃんに怒られることは何度かありました。ちとせちゃんの大事にしていたぬいぐるみに悪戯したとき。お気に入りの服を布団代わりに使っていたとき。けれど、そんな悪戯をしても、頭を叩かれたことなんてなかったのです。

 ヒメは痛さよりも、頭を叩かれたことに対する悲しさで涙を流します。けれど、ちとせちゃんは相変わらず怒ったままです。

 ヒメはちとせちゃんの部屋に向かいました。

 お気に入りのクッションの上には座らずに、近くの窓辺に勢いよく飛び乗り、腰掛けます。

 ヒメは窓の外をずっと眺めます。ずっと、ずっと眺めています。その瞳の先には、青色をした空が広がっていました。

 ヒメはその場から動きません。ただ、じっと空を見つめます。きっと、いつ星が輝いても良いように。そんな想いがあるに違いありません。

 窓の外を見ながらヒメは思い出します。シロが教えてくれた素敵な話を。

 思い出すだけで胸が温かくなってきます。でも、シロがいなくなったことを思いだして胸が痛くなります。どちらも同じくらい大切な気持ちだとヒメは気づいています。だから、思い出すのです。

 ヒメが窓辺に座ってから何時間も経ちました。空は少しずつ暗くなり始めます。

 ヒメは窓から見える空を懸命に眺めます。しばらくすると、一つの星が見えました。シロです。シロの星です。

 ヒメは必死に歌いました。窓のせいであの星に、シロに自分の歌が届いていないんじゃないかと心配になりました。だから、いつもより大きな声で歌います。

 しばらく歌っていると、ちとせちゃんが部屋に入ってきました。ヒメは気にせず歌い続けます。

「ヒメッ! 静かにしなさい!」

 けれどヒメは歌うことを止めません。止めるわけにはいかないのです。だって、シロとの大事な約束なのだから。

 ちとせちゃんの言うことを聞かなかったせいでしょう。ヒメは何度も何度も頭を叩かれました。それでもヒメは歌うのを止めません。これが原因で、ちとせちゃんに嫌われてもいい。どれだけ叩かれても構わない。それ程の覚悟でヒメは歌っているのです。

 どんなに怒ってもヒメが歌う事を止めないので、ちとせちゃんは部屋を出て行ってしまいました。ひょっとしたら愛想を尽かせてしまったのかもしれません。ヒメのことが嫌いになってしまったのかもしれません。それでもヒメは歌い続けます。

 その日の深夜のことでした。ヒメはちとせちゃんのお母さんに、お出かけ用のキャリーケースへ無理矢理閉じこめられました。

「ヒメ、あなたがちとせの言うことを聞かないからいけないのよ?」

 それが、ヒメの最後に聞いた人間の言葉になりました。

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