どれくらいの時間、キャリーケースの中に閉じこめられていたかは分かりません。突然、キャリーケースのドアが開きました。

 ヒメがキャリーケースから出ると、そこには知らない景色が広がっていました。

 辺りには見たことのない木や草がいっぱいです。いえ、草と木しかないのです。ヒメは呆然とその景色を眺めます。ふと我に返り辺りを見回すと、誰もいませんでした。

 ヒメは理解します。自分は捨てられたのだと。どこか遠い所に自分は捨てられたのだと。きっと、あの家には二度と帰ることが出来ない場所にいるのだと。

 ヒメの目からは、涙がポロポロとこぼれ落ちます。

 ひとりぼっちになってしまった寂しさや、捨てられてしまった悲しさのせいで涙が止まりません。

「寂しいよ……怖いよ……」

 消えてしまいそうなほど、か細く小さな声でヒメはそう呟きました。

 何処へ行けばいいのかも分かりません。何をすればいいのかも分かりません。

 そこには、まるでヒメを吸い込んでしまいそうなほどの闇と、あざ笑うかのように揺れている木と草しかないのです。

 ヒメは行くあてもなく辺りをトボトボと歩きます。

 しばらく歩き続けたあと、ヒメは疲れたのか歩くのをやめてしまいました。

 ヒメはその場に座り込み、空を見上げます。空には沢山の星が輝いていました。ヒメはその中からシロの星を探します。

 他の星よりも一際おおきく輝くその星を見つけるのは難しくありません。だってその星はヒメが毎日見ている星だから。場所や大きさもしっかりと覚えているのです。 

「シロ……ボク、ひとりぼっちになっちゃった。寂しいよ。シロに会いたいよ。シロの声が聞きたいよ」 

 シロの星に向かってヒメはそう呟きました。けれど返ってくるのは、木々の擦れる音と、不気味に鳴くフクロウの声だけでした。

 少しの間を置いて、ヒメは歌い始めました。

 今のヒメには、シロと交わした約束しか心の拠り所がないのです。だから歌うのです。一生懸命に歌うのです。

 その日を境に、ヒメが捨てられた山からは夜になると、毎日、美しい歌声が響き始めました。


 ヒメが山に捨てられてから、一ヶ月ほどが過ぎました。

 美しかった白色の毛は、土でドロドロに汚れてしまっています。体もガリガリに痩せてしまい、美しかった頃のヒメの面影はありません。

 それでもヒメは生きています。シロとの約束を守るためだけに、それだけのために生きているのです。

 もう、ずっと水しか飲んでいません。お腹は空いていますが、食べるものを手に入れることが出来ません。

 一度、空いたお腹を満たそうと、日向ぼっこをしている小鳥を食べようとしました。

 けれど、飛びかかろうとした瞬間、血まみれになって横たわるシロの姿がヒメの脳裏を過ぎりました。だからヒメは思いとどまりました。結局、ヒメはその小鳥を捕まえることが出来ませんでした。

 ヒメはもう、誰かを傷つけることが出来なくなってしまっていたのです。大切な何かが傷つく怖さを知ってしまったから。大切な何かがいなくなってしまう悲しさを知ってしまったから。

 それは、この世界で生きて行く為に必要のない気持ちなのかもしれません。そう、今、ヒメがいるのは、何かを犠牲にしなければ生きていけないような世界なのだから。

 今のヒメに、そんな世界で生きていくのは無理に決まっています。絶対に無理なのです。だから痩せ細ってしまっているのです。だから……動くことすら辛い状態なのです。

 もう、声を出すことすらままならない程ヒメは弱っていました。足を一歩動かすことさえ難しいほど弱っていました。それでもヒメは夜になると歌います。

 だって、シロは死ぬ間際でさえ自分の為に素敵な話をしてくれたのだから。そんなシロとの約束だからこそ、守らなくてはいけないのです。例え自分の身が朽ち果てようとも。

 それに、ヒメは思い出したのです。夜はシロと同じ色をしていると。だから寂しくないのです。怖くないのです。夜になると、まるでシロに優しく包んでもらっているかのような温かさを感じることが出来ます。空いていたはずのお腹も、不思議と気になりません。寂しかったはずの気持ちも、不思議と温かい気持ちになるのです。

 だからこそ、ヒメは今まで歌い続けることが出来たのかもしれません。

 だからこそ……今まで生きていることが出来たのでしょう。

 その日の夜も、いつものように歌っているはずでした。

 歌っていた途中のことです。突然、ヒメの目の前が真っ暗になりました。

 体が全く動きません。一体、何が起こったのかヒメには全く分かりませんでした。目を閉じてしまっているのだと思い、目を開けたつもりなのに、何も景色が見えてきません。

 体を動かそうとしても、動いているのか動いていないのかすら分かりません。

 それでも、ヒメは必死に声を出そうとします。声が出ているのか、出ていないかすら分かりませんが、懸命に声を出そうとします。

 声が出ていると信じて、ヒメは歌い続けました。

 自分の歌がシロに聴こえていると信じて。自分の想いがシロに届いていると信じて。意識が続く限り歌い続けました。

 ボクはここにいるよ。寂しくなんかないよ。シロのことが大好きだよ。

 そんな想いを歌に乗せながら。

 ヒメは思います。きっと、自分はもうすぐシロの所に行くことが出来るのだと。

 シロは言っていました。死んだ者は必ず星になるんだと。だからきっと、ヒメも死ぬと星になるはずです。シロと同じ場所にいけるはずです。そう思うと、ヒメは不思議とうれしい気持ちになりました。

 ヒメは願います。ボクが星になったら、シロの星の隣にいさせて下さい。シロの隣で、シロのためだけに歌わせて下さい。シロとずっと一緒にいさせて下さい。

 そう願い続けました。

 段々と、ヒメの意識は遠くなっていきます。少しずつ、少しずつ何も考えることが出来ないようになっていきました。

 それでも、ヒメはシロのことを想い続けます。意識がなくなる最後の最後まで、シロのことを想い続けました。

 その日、山に響いたヒメの歌声は、今まで聞こえていた歌声の中で一番美しく、綺麗で、儚い歌声だったそうです。

 その日を境に、ヒメの歌声が聞こえることはなくなりました。

 

 次の日の夜のことでした。

 夜になると一番に輝いてた大きな星のすぐそばに、小さな星が輝き始めたそうです。

 まるで、仲の良い何かが、寄り添っているかのように。

 


 おしまい


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ネコとカラス~星に捧げる約束のウタ~ ドスジャン @lorijanaidesukedo

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