第4話 吸血少年、その名はレイ②

 レイの手からしたたる赤に、コウモリは我に返る。素早い噛みつきを、レイは考えるより早く避けていた。

 ところが軽く地面を蹴ったはずが、レイの体は軽々と宙を舞う。


(体が軽い……!?)


 浮遊感に顔をゆがめつつ、なんとか着地する。

 不意にズキ、と足首に痛みが走った。が、吸血鬼の血が流れる体は、あっという間に痛みが引いていく。


(いいんだ、失敗したって、今は取り返しがつく……!)


 食らいつくコウモリを、レイは再び高く跳んで避けた。


(これは、テストじゃない。僕が思うように、やってみるだけ!)


 三日月を背に宙返りしたレイは、コウモリへ一直線に飛び下りる。

 どこからか力がみなぎり、気づけばレイは全身に光をまとっていた。

 不思議と頭に呪文が浮かぶ。どうすればいいのか、体が分かっているようだ。

 力の全てを右手へこめ、レイは腹底からその呪文を叫んだ。


「“沈まぬ日よサン・ネバーセット”!」


 高らかな声と共に、右手が夕日の赤を帯びる。

 飛んでくるコウモリを、レイはまばゆい光で迎え撃った。

 鼻先に光を食らい、勢いに押されたコウモリはそのまま落下し、地面をゆるがす。

 黒い巨体の上で息をつくレイに、セバスがすかさず叫んだ。


「今ですレイタ様! そやつの血を吸うのです!」

「血を、え……? 無理です、そんなっ……」

「噛んでも相手は従うようになるだけ……今は心を吸血鬼にするのです!」

「そんなこと、言われても……」


 突拍子もない言葉に、レイの赤い瞳がみるみる黒へと戻っていく。

 ためらうレイに、セバスは続けた。


「力の強い者にされるがまま、レイタ様は身も心も壊されるおつもりですか!?」


 鋭い声に、ハッとレイは真っ赤な目を見開いた。

 不意に、今朝の夢が脳裏によみがえる。

 言いたいことも言う前から認められない、変わらぬ日常。声を押し殺して泣くことしかできない部屋の中。


「レイタ様はそれで、良いのですかな!?」


 ……良い。

 だって、父さんも母さんも、怒るのは僕を愛してくれてるからで。

 僕が我慢すれば、済む話で。


「あれ……?」


 思ったそばから、レイのほおをぽろぽろと涙が伝った。

 止めどない涙と共に、胸の奥から、押さえきれない叫びがあふれ出す。


 良い訳がない。

 僕なりに頑張ってるのに、まるで一つも努力してないように言われるのは辛い。

 テストで良い点を取るのが良い子なら、僕は悪い子? 五十点の人間なの?

 父さんは僕の何を見てダメって言うの? 怒鳴られるばかりじゃ、自分が全部ダメな人間だとしか思えないよ。

 母さんも、何も言わないし助けてくれないし。


 僕だって、分かりたくなくて分からない訳じゃない──!!


 しばし呆然としていたレイは、唸るコウモリへ目を落とすと。ぐっと顔を引きしめ、涙をぬぐった。


(心を、吸血鬼に……)


 真一文字に結んだレイの口元に、鋭い牙がキラリと光る。


「ごめんっ!」


 レイは覚悟を決め、思いきりコウモリに噛みついた。

 とたん、目の前が真っ白に染まる。そこへ水中に垂らした赤インクが広がるように、全く別の光景が広がった。


『お前は本当にダメだなグレゴリウス!』

『この歳で変身術もまともにできないなど恥ずかしい』


(何、これ……)


 つばを飛ばして激怒する、男女の口元。

 その前でグレゴリウスと呼ばれた浅黒い肌の青年は、彼らをにらみ殺さんばかりに怒りをあらわにした。


『良いですよ、これ以上一緒に暮らすなんてこちらから願い下げです!』

『それが親に対する態度か!』

『こんな恩知らずに育てた覚えはありません』


 振りきるように、彼は部屋を出て力任せに扉を閉める。

 同時に目の前がゆらぎ、再びレイは別の赤い煙の中へと入りこむ。


『……父が? 魔王との戦いで?』


 今度は執務室のデスクに、銀髪をオールバックにしたグレゴリウスが座っていた。

 言葉を失う彼へ、執事が物悲しげに頷く。


『誠に残念ですが……ご夫人もそのためか重い病にかかりまして、先日……』


 金の目を見開き沈黙ちんもくする彼を置いて、再び景色がほどけて消える。


 レイは直感した。

 コウモリと同じ金の瞳。これはきっと、かつて人の姿だった頃の、彼の過去なのだろうと。

 

『私の家族を返せドラキュラめ! よくも、よくも!!』


 再び切り替わった景色の中、謁見えっけんの間をかけぬけて、グレゴリウスは玉座に座る一人の男へと片手を振り上げる。

 だが一足早く、魔王が一振りした指から赤黒い閃光がほとばしり、避けられず直撃した彼の体はみるみるコウモリの姿へと縮んでしまう。

 倒れた床で、彼は静かに涙した。


──もっと私も、父も母も、互いに素直になれていれば……。


 彼の呟きを最後に、目の前が絵の具を溶かしたようにぼやけていく。


(そっか……この人はずっと、謝りたかったんだ)


 つられて黒い瞳から流した涙をぬぐうと。

 気づけばレイは、元の城の前に立ち尽くしていた。

 そこにあの巨体はなく、煙をあげてコウモリは縮んでいく。


「僕、いま……?」


 次いでパキンと音を立て、セバスを封じていた鎖が解けた。


「レイタ様お怪我は……っ!」


 すかさずかけ寄るセバスが、ハッと空へ振り向く。

 見れば、先ほどのコウモリが空へ飛び去っていくのだ。


「待ちなさい!」


 セバスは懐をまさぐり、地を蹴った。

 燕尾服の背があっという間に遠ざかる。逃れようとするコウモリを、彼はぱっとつかみとって降り立った。


「レイ君!」

「レイ様!」


 ふと聞き慣れた声に振り向けば、続けてマイキーとノラがレイの元へかけつけた。


「二人とも、どうして?」

「じいやからの伝達信号テレパスがあってね。コウモリお化けが出たって?」

「どこにも見当たりませんが……」

「こやつです」


 まるで野球ボールでもつかむように、セバスがずいと捕まえたコウモリ、もといグレゴリウスを差し出す。


「ぐぬうぅっ、なぜ私がこんな屈辱くつじょく的な魔力封じを……!」


 なぜか小さなシルクハットと蝶ネクタイをつけられ、羽をジタバタとさせる彼に、二人もレイも思わず吹き出した。


っちゃ!」

「かわいい~!」

「貴様らっ私を誰だと弁える! 私は……」

「たった今レイタ様の使い魔となりました」


 セバスの次ぐ言葉に、マイキーは糸目を見開き、美しいルビーの瞳をレイへと向けた。


「えぇっレイ君が従えたの!? やるじゃん!」

「マイキー様? 危うくレイ様、命を落とすところだったんですよお?」

「ほめるぐらい良いと思うけどなぁ~」

「ど、どうも……?」


 小首をかしげるレイに、ノラがそっと近寄る。

 とっさに身構えたレイを、彼女の腕が伸びてきて、優しく包みこんだ。


「どんなに怖かったでしょう。恐ろしい相手に立ち向かおうとした貴方はえらいですよ。本当に、えらい子」

「こら、ノラ! 立場を弁えなさい、リヒト様のご令孫れいそんですぞ!」


 肩をぎゅっと包む温もりが、どうしようもなく胸に染みて。

 じわりと目の前がにじむ。泣いたらかっこ悪いのに、止めらない。


「あ、ひょっとして嫌でした?」

「ち、違うんです! ごめんなさい、その……うまく言えない、ですけど……ぅ……うれし、くて……」

「頑張ったね」


 今度はマイキーの手がぽん、とレイの頭をなでる。とたんに涙がまたあふれてきて、レイはたまらず、うつむいて目元をぬぐった。


「今日はゆっくり過ごそっか」

「昨日お好きだって聞いたアップルタルトも買ってきましたよお」

「……おいちょっと、私を忘れるな!? このグレゴリウス三十二世を無視するなど……ぬわあああ!」


 うるさいコウモリを握りしめながら、声を殺して泣くレイと、その背をなでる二人に続き、セバスは城の中へときびすを返した。

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常夜の吸血少年レイ 日暮蛍 @hota_hotaru

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