10= 当たり前で罪深い罰
あれから……どれくらい経ったんだろう。
少なくとも、皆もう戦場に行ってしまっただろう。
……僕は何をしてるんだろう?
自分が自分じゃない気分だ。
ただ、自分の姿をした誰かが、僕の恋人を……傷付けてしまうんじゃないかってくらい乱暴に触れて、求めている。
溶けそうな甘さも包み合うようなあったかさも、もうそこには無かった。
あるのは……味覚が無くなるんじゃないかってくらいドロドロで、吐きそうなくらい甘ったるい味と、炎に包まれるよりもよっぽど暑いんじゃないかってくらい、くらくらする暑苦しさ。
微かに聞こえるのは、目の前に居る僕とれいちゃんの息遣い、漏れ出る声、ぐちゃぐちゃと水を含んだ音。
もう耐えられなかった。
これ以上は嫌なのに。
どうして僕は僕じゃないんだ?
……いくら涙をこぼしたって、こんな頭じゃ分からなかった。
だって、ちょっとでも気を抜けば、甘さ熱さの下で溺れるくらい深く水面を揺らす快楽に、辛うじて残っている自我でさえ、文字通り吸い込まれて消えてしまいそうだったから。
だから、消える前に……助けて。
お願いだから、誰か僕を止めてよ……。
「……しき」
もう耐えられず薄れる意識が最後に捉えたのは、ちょっとだけ申し訳なさそうに、困った様な笑みを浮かべる彼女だった。
****
『しき』
……声が聞こえる。
『……しき』
よく知った声が、僕の名前を呼んでる。
でも……どこか遠い。
声は近くから聞こえてるのに、聞き取る僕の意識が遠い。
……そっか、寝てるんだ。
夢の中……どうやって出られるんだろう。
……。
出ていく資格なんて無いな。
いくら戦場に行く為とはいえ最終的には暴走して、結局戦場に行くのには加われず仲間を皆裏切ったし、きっとれいちゃんも傷付けた。
……そして何より、そんな現実に向き合うのが凄く怖かった。
『しき』
れいちゃんはまた僕を呼ぶ。
……向き合いたくない。
逃げてしまいたい。
霧に溶かされて、いつの間にか居なくなってしまう様な存在になりたい。
このまま……。
と、そんな事を思っていたら、
「!」
……戻された。
何もかも曖昧だった夢に、確かな甘さが加わって、僕は強制的に夢から覚まされてしまった。
反射で開いてしまった目が捉えるのは、ゆっくり離れていく肌色と頬をなぞる黒。
「……起きた?」
すっかり離れ切った時、それは……彼女はそう言って僕の様子を伺った。
僕はその時やっと、彼女の膝に頭を預ける状態で、今まで眠っていた事に気付いた。
「……」
僕はなにか言おうにも何も言う事も正しくない気がして、何も言えないまま彼女の方を見上げていた。
彼女はそんな僕をチラッと確認したかと思えば、上の方に視線をズラしたりしていた。
最初は何も無い所を見て、僕と同じ様にぼーっとしているのかと思ったけど、段々と頭が冴えてくるうち、気にならなかった機械的な音に今居る場所が何となく分かってくる。
「何で……」
「ん?」
「なんで塔に?」
「……」
そう。
ここはあの、大きな塔の中だった。
塔の中には大きな探知機があって、ここで敵の位置を……。
「っ!!」
そんなことを考えていながら辺りを見回していた時、それは目に入ってしまった。
……そうか、れいちゃんはこれを見てたんだ。
見逃す方が無理と言う程に、 目線より少し上に大きく映るモニターには……。
「……こんなの、こんなの無いよ。……だって、どうしてあれが戦場より手前に居るんだよ……。しかも、あんな数……」
『敵』を示す赤い点は、光に群がる虫のようにうじゃうじゃと、そして僕らの戦場とする最後の域をとっくに超えていた。
つまり、これが示すのは……。
「……嘘だ。嘘だ!!」
「しき」
「だって、だってこれがほんとなら……皆、し、死んだって事になるんだよ?!皆?長塚中尉もみんなみんな、ぜ、全員っ!!」
「落ち着いて、しき」
「落ち着いて?どうやって?だってこんなの信じられないよ、うそ、嘘だよ絶対。壊れてるんだよこれ、古いから……」
「……」
「……ねぇ、そう、だよね?そうって言ってよ……そうって!ねぇ!!」
僕が声を荒らげて肩を強く掴みかかって揺らすと、彼女の首は勢い良く揺れる。
その衝撃で乱れた彼女の髪はおもいっきり前の方にかかり、その隙間から鋭い眼光で見つめられて僕はやっと、辛うじて理性を取り戻す。
「……ごめん」
でも、頭の中はずっと混乱していて、認めたくないのがずっと結論を先延ばしにするから、いくら考えても何も、答えというか……確信が持てなかった。
だって、だって急すぎる。
確かに今回は三日かかるくらい、多くの敵と戦わなくちゃいけなかった。
でも……それにしても、多いと言ったって、せいぜい一.五倍くらいなハズだったのに。
画面に映るのは、五倍や十倍なんてものじゃない……視界に入れるだけで吐きそうになるのを通り越して、もはや敵の数と認識しようにも出来ないような、そんな数だった。
そんなんだから、死ぬんじゃないかってのと彼女を失うかもしれないって恐怖を覚えるのにも時間が要り、ようやく飲み込めた頃には、確かな絶望と一緒に心を砕かれてしまいそうだった。
……そうまでなっても、辛うじて踏みとどまれたのは、やっぱり彼女のおかげだった。
彼女は混乱して僕が自暴自棄にならない様に、ずっとずっと、強く僕を抱き締めてくれていた。
「……」
れいちゃんの心臓の音とあたたかさが加わって、崩れたのは心ではなく涙腺だった。
静かなままぼたぼたと大粒の涙を零す度、ちょっとだけ心が元に戻ろうとする様に感じた。
この後なんて、もうどうにもならないって分かってる。
それを理解出来た途端、心はさっきと比べれば、驚くくらい軽くなった。
そんな風に心の隅に余裕が生まれると、そこに入り込んできたのはれいちゃんの心臓の音だった。
ちょっとゆっくりめに感じる彼女の心音は、酷く心を落ち着かせるのと同時に……強く強く、彼女が生きてることを感じさせた。
……そうだ。
彼女は生きてるんだ。
当たり前の事だけど、心の底でどこか、本当に僕と同じ人間なんだろうかって思ってしまう事があったから。
それは、くちづけの不思議な力もそうなんだけど……それよりも、雰囲気が……だ。
こんなにも心臓を働かせているのに、どうしてか生きてる心地がしない。
例えば……生に執着が無い様に見えるというか……それこそ今だって、あんなに動揺もせずにモニターを見ていたり、混乱する僕につられて焦る、なんて様子も無かったし……。
……どうしてだろう。
どうしてそんな風に居られるんだろう。
「……れいちゃん」
気になって、僕はつい聞いてしまった。
「れいちゃんは、どうしてへいきなの?」
僕の言葉に、意外な事を聞かれたのかれいちゃんはちょっと目を開いてから、ちょっと考え込んで、それから小さく言った。
「……聞いてくれる?」
「えっ?」
「私の……私の、話」
そう言われて、……僕は自分が聞いたのに、ちょっと迷ってしまった。
だって、本当は……聞きたくなかったから。
これでもし、人間じゃないからとか……これ以上心が壊れてしまいそうな事を言われたら、今度こそ耐えられないと思ったから。
何より、一番大切で、今の唯一の心の支えであったれいちゃんが少しでも揺らげば、僕はあっという間に支えを失ってしまう事は目に見えていたから、余計に……だ。
……でも、無意識のうちに僕は言ってしまっていた。
「うん。……聞かせて」
「……」
彼女は僕の答えを聞いて、ちょっとだけ寂しそうに笑った。
そして、一呼吸おいてから、彼女はゆっくりと口を開く。
「私……しきの戦ってるやつと、同じ国から来たんだ。……しきの敵の国の、ただの生物兵器。それが、それだけが私だよ」
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