5= つかの間の平穏な日和

明るい日差しにゆっくりと目を開ければ、その次に来たのは背中に広がる叫びたくなりそうな程の……前の足のものとは比べ物にならない程の痛みと、信じられない位の体調不良、目眩に吐き気……だった。


「うっ……っ……」


僕はその様々な種類の不快感に、思わず声を出して顔を歪めてしまう。


そして、次の瞬間にはどうにかしてこの不快感を……せめてこのずっと背中を高温で熱せられてる様な痛みだけでも無くしたくて、彼女……安在さんを探して布団から這い出ていた。


「っ……!」


一歩歩く度、酷い痛みが足の先から頭まで駆け登る。

そしてそれが頭痛として堆積していって、何歩か歩いただけで頭が割れそうな位の頭痛になってきて、もうこれ以上歩ける気が起きなくて涙目になりながらしゃがみ込む。


「った……ぁ……っ……」


情けない声を上げながら、丸くなってじっと痛みに耐えていると、兄さんの恋人でもある看護婦の女の人が僕を見つけて慌てて駆け寄ってきた。


「ダメじゃない、王生いくるみさん。起き上がってしまって……」

「あの、僕、行かなきゃ……いや、行きたくて……」

「行きたいって……どこに?」

「っ、あの、彼女……安在さん……」

「安在さん?……れいさんの所?」

「……はい」

「分かった、分かりましたから。れいさん連れて来ますから、王生さんはここでじっとしておいてくださいな」

「……」


彼女はそう言ってすぐさま駆け出して行った。


さすがにこんな状況では歩けそうにも無いので助かった。

安在さんもどこに居るのか……来てくれるのかさえ分からなかったし。


でも、もし今後助けてくれないとなったらどうしよう。


そういえば考えてなかったけど、僕だけにしてくれるのだから慈善行為で無いって事だし、僕への好意でしてくれているのなら好意が消えればそこで終わってしまうだろうし、最悪の場合……ただの気まぐれだった場合は、いつ見捨てられるか分からない。


このまま彼女のくちづけの力に依存すれば、今でさえ足でまといなのに、彼女無しではまともに生きられない不完全な人間になってしまう……諸刃の剣という事も明らかだった。


でも、それでも僕はこの痛みから逃げたくて仕方なかった。


というか、どうして前線に出ようなんて考えてしまったんだろうか。


後ろでじっとしていれば、大怪我して彼女に依存する事も無いだろうに……。


「王生さん」

「!安在さん……」


……と、そんな風に考え込んでいれば、いつの間にか安在さんがひょこっと顔を出していた。


彼女は地べたに座り込む僕を見て色々と察したのか、そのまま歩いて近づいて来てから僕の前で片膝をついた。

僕もそれで彼女が僕を助けてくれようとしているのが分かったので、目の前でしゃがみ込んだ彼女の服にしがみつき、背を伸ばして彼女に顔を近付ける。


……そして、唇が触れる。


やっぱり甘いなって最初に思ってから、段々と痛みが引いていくのを感じて、やっぱりこれはやめられないななんて思ってしまう。


好きな子とくちづけ出来て、おまけに痛みも引くなんて、やめられる方がおかしいか。


「?」


しばらくそのまま続けていると、ふと彼女が床に付いていた手を片方持ち上げて、僕の背中の方に回してきた。


「っ……」


さすがにここまでの怪我だと触られれば痛むらしく、ピリッとした刺激に思わず顔を歪ませてしまうと、それに気づいたのか彼女はゆっくりと唇を離して至近距離で見つめてきた。


「っ……」

「痛い?」

「えっ……ま、まぁ、ちょっと……」


僕が視線に耐えきれず目を逸らして距離を取ろうとすると、彼女はすかさずそんな風に聞いてきたので答えれば、彼女は「ん」と言って僕の頭をガシッと掴んできた。


「?!」


それにもびっくりしたのに、そのまま勢いよく頭を引っ張られ、ちょっと強引なくちづけをされる。


それから生暖かくて柔らかいもので口の中を軽くぐちゃぐちゃっとされてから、まだ理解も追いついてないままに、また唇が離れていった。


アホみたいにぽけっとしながら、彼女の唇からのびている粘度のある細い液体の垂れ下がるのを見ていたら、それのもう一方は僕と繋がっているって事と、唇を舐められたのと同じ感覚が口の中にあったって事は、今度は口の中を舐められたんだとやっと気づいて、頬は茹でダコの様に赤くなる。


「どう?」

「どう……って?!」


それから、開口一番にそんな事を言われて、ますますうろたえてしまう。


「良いから。どうなの?」

「ぅえ……」


結局強い口調でそんな風に迫られて、僕は情けない声を出しながら押し負ける事しか出来なかった。


「どうって……ふわふわして、良かった、と、思う……けど……」


……と、こんな具合に。


でも、せっかく正直に言ったのに、彼女はしばらくきょとんとしてからフッと、ちょっと馬鹿にする様な感じに口角を上げたので、僕はさすがにムキになって声を上げてしまう。


「安在さんが聞いたんでしょ?!何も笑うなんて事……」

「だって、面白いんだもん」

「面白い……って……」


それじゃあ馬鹿にする為に聞かれたとでも言うのか。


余りにも直球で鋭い言葉に絶句していると、彼女は一通り楽しんだ後、ネタばらしをする様に言ってみせた。


「だって……私聞いたの、痛みの具合についてなのに……王生さん勘違いするんだもん」



****



「おお!王生じゃないか。もう良いのか?」

「長塚中尉。……今日は行かなかったんですか?」

「あぁ。今日はここまでは届かないみたいだからな」


どうせ冷えないんだろうけど、相変わらず熱くて仕方ない身体を冷まそうと寒空を散歩していると、草葉の陰で煙草を吸っていた長塚中尉と遭遇した。


今日はかなりの間寝ていたみたいだから、てっきり皆戦場に出てしまったのかと思ったけれど、まだ日も落ちてないこんな時間に居るということはと思い聞くと、やっぱりそう答えられる。


「それより王生、怪我は?」


冷静そうに聞いてくるけれど、心の底ではかなり心配してくれているのかちょっと前かがみに聞かれ……本当はまだまだ傷は残っているけど痛みは無いので「大丈夫です」と答えると、兄さんは明らかにホッとした様に胸を撫で下ろした。


「良かった。お前のせいで、大勝利なのに素直に喜べなかったんだからなー?」

「えっ、す、すみません……」

「はは、本気にするんじゃないよ。……それに、俺達しか居ないんだし、もう少し柔らかくなっても良いんだぞ?」

「はぁ……」


兄さんのこの態度は子供の頃から変わらないけど、子供の頃と違って今は……言うなれば、上司と部下。


あの頃は面白いお兄ちゃんみたいな感じだったけれど、確実な上下関係が生まれてからは兄さんのこの絡み方はちょっと接しずらい所もあった。


……それか、ただ単に僕のコミュニケーション能力が子供の頃と比べて下がってたのかもしれないけど。


まぁ、そんな風に僕が態度を崩さないのを見ると、長塚中尉はふぅと息をついて一拍おいてから、僕の肩を勢い良く組み寄せた。


「わっ……何するんですか、もう……」

「王生、聞いたぞー?」

「……?聞いたって、何を……」

由紀子ゆきこから。さっきはお楽しみだったそうじゃないか?なぁ?」

「さっき……」


さっきといえば……強烈すぎて思い出せるのはアレしかない。


……ん?

いや、まさかあれの事を言ってるんじゃ……。


「寝起き早々おっぱじめるなんて、お前も隅に置けないじゃないかぁ?」

「なっ……」


……絶対そうだ。


あの人……長塚中尉の恋人の宝来ほうらいさん……宝来 由紀子さんがあの場面を見てたんだ。


安在さんを呼びに行ったのが彼女だったから当然といえば当然……だけど……。


「で?どこまで行ったんだ?」

「……。あのねぇ……」


……前の『甘さ』の事もあってか、すっかり信じ込んでしまっている長塚中尉には、何を言っても無駄みたいだ。


僕は大きなため息をつきながら、先程の失敗をまた思い出してしまって悶えた。


少し考えたら分かる事なのに、何で……。


何で「どう?」って聞かれて、傷の具合じゃなくてくちづけの感想を言っちゃうのかなぁ……?!


「はぁ……」


僕はもう一つ大きなため息をついて、この先を案じてうなだれる事しか出来なかった。

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