4= 快調で単純な戦場
「
「あ、安在さん……?」
すっかり準備も終わり、僕も今にも出発しようとする列に加わろうとしていた時、影から安在さんが顔を出して僕の名前を呼んだ。
「どうしたの?僕もう行くんだけど……」
「ちょっと、こっち」
列からはぐれないか心配になりながらも、彼女の顔を出している茂みに手を引かれ、僕はその中に入っていく。
「痛みはどう?」
「痛み?……ちょっとだけ……」
さすがにげんこつの痛みはもう残っていないけれど、派手にぶつけた背中と足はじんわりと痛みを取り戻しているような感覚があった。
……けれど、今そんな事を聞くなんて、もしかして……と思ってしまっていれば、
「!」
彼女は木の影に僕を追い込み、軽い身のこなしであっという間に唇を重ねてきた。
それで目を見開いてしまって、慌ててぎゅっと目を瞑ると、かえって感覚が研ぎ澄まされてしまって息もできない。
触れるだけではあったものの、長い事続いている様に思えるその時間は、痛みを無くしてしまっても息を止める苦しさは無くせないのか、そこの苦しさばかりに意識が集中してしまってくらくらとする。
……と、そんな風に一人で限界を感じていた時、
「ぅぁっ?!」
唇を暖かく濡れた柔らかいものが小さくなぞる感覚に、僕が思わず目を開いて声を上げると、いつの間にか元の距離感に戻っていた彼女が視界に映る。
「い、今、何した……?」
「何って、前もしたでしょ?」
「違う、これはしてない……なんか、舐められた……みたいな……」
「ん?あぁ……舐めたよ」
「……?えっ……?」
当たり前のようにそんな事を言ってのける彼女に、僕は腑抜けた反応をしてしまう。
勿論口元どころかどこだって人に舐められる事なんて無かったから、普通はどうこうとか分からないけど……とにかく僕にとっては思ってもみなかった事で。
でも、やっぱり『好きな人』のする事だからか嫌な気分にもならなくて……いや、逆にそんな刺激的な出来事に、ちょっと心臓を浮つかせてさえいる気もする。
まぁ何はともあれ、数日前までくちづけさえした事の無かった僕にはちょっと急すぎて頭が追いついて居なかったこの状況に、彼女は平然とした様子で口を開く。
「これくらいしておかなきゃ、帰って来る前にまた痛み出しちゃうから」
「えっ?……あっ、そういうこと……」
彼女の言葉に、僕はやっとその最後舐められたのに意味があった事に気づいた。
という事は……効果があるのは彼女とのくちづけというよりは、彼女の唾液?
でも、一回目なんかは短時間唇が触れただけでも痛く無くなった事を見るに、かなり強力なんだろうか。
……いや、待てよ?
本当に唾液だけで良いんだとすれば、彼女と唇を合わせてくちづけする必要は……。
いや……辞めておこう。
この先を考えてしまえば、何か僕に大きな損失が起こってしまう気がする。
「と……にかく、ありがとう。行ってくるよ」
「ん、またね」
「……また、ね」
そういえば、彼女の口調につられて自然と敬語が抜けていた。
このまま彼女と親しくなれる事もあったりするんだろうか。
いや……そもそも、恋人でも何でもないのにくちづけをこんな頻度で交わしている事実が結構おかしい気もするけど、この際はもう何でもいい。
彼女が優しさだけで僕を助けてくれているのなら、今頃全員にくちづけして回っているハズだ。
だから、もし気まぐれだったとしても……他の人より少しだけ気にしてくれて居るだけでも良い。
彼女のこの行為に、僕への気持ちが伴って居なかったとしても……それでも良い。
……まぁ、今は。
気持ちに気づいてしまえば途端に欲深くなるもので、こんなキッカケでもここから仲良くなれるのならと思ってしまっている自分が居た。
こんな邪な気持ちで彼女の優しさを受けるのはちょっぴり狡い気もするけれど、彼女が嫌がらないのなら……僕はこの優しさかにつけ込んで、彼女に近づきたいと思ってしまっていたんだ。
****
「乾杯ーっ!」
「「「乾杯ー!!」」」
今回の戦況は、大勝利だった。
まぁ、今まで大敗北続きだったからそう見えるだけかもしれないけれど、とにかく驚く程犠牲も少なくて、消耗品……銃弾とかの消費もかなり少なく出来たらしくて、つまりはこれ以上無い結果という事だった。
そして、そんな状況で皆浮かれない訳も無く、こうして貴重品のワインを開けたりして、すっかりお祝いムードという訳だ。
「王生!」
「あっ……長塚中尉」
「お前、今日良くやったそうじゃないか?さすが俺の鍛え上げた奴なだけあるなぁー?!この!!」
「あははっ、や、やめ……」
すっかり酔っ払った兄さんに絡まれて、僕はくすぐったくて笑ってしまう。
兄さんの言う通り……今日の僕は今までの僕からは考えられないくらい活躍をした。
痛みを感じない事から恐怖が薄れたのか、はたまた好きな子である彼女に見送られて張り切っていたのかは分からないけれど、何故か意欲というか、やる気が湧いてきて、いつもなら絶対に足でまといになるし近づかない前線に行って、いつもほとんど余ったまま帰る銃弾をほぼギリギリまで使って帰ったのだから、それは相当だろう。
これが全部彼女のお陰だと思うと計り知れない影響力を思い知る。
「おー?お前、顔赤いなぁ?」
すると、今度は酒臭い顔を近づけられてそんな風に言われる。
周りがほとんど成人の中僕だけ未成年なので、一応飲みたければ飲んでも良いというような空気感だったけれど、僕は一応飲まずに居ておいたハズが……もしかしたらアルコールだらけのこの空気で、ちょっと酔っ払ってしまったのかもしれない。
頭がふわふわとして、相変わらずの冷たい風に当たっていても冷めないくらい身体が熱い。
「んぉ?ってか、お前……鉄臭いな?」
「鉄?」
「いや……血だな、これは。どこかでぶっかけられたのか?」
「?いや……」
今日は結構動き回ったけど、血なんて浴びてないし、血だらけの味方を背負ったりもしなかった。
けど……これだけ酔っ払っていて気づく程なんだから、相当なんだろうか。
自分で嗅いでみても、ふわふわとしているからかよく分からない。
僕がそんな風に不思議そうにしていると、兄さんはちょっと真剣な顔つきになりながら僕の背中と服の間にズバッと手を差し込んだ。
「なっ……何するんですか……?!」
「……気のせい……か?……触られても痛そうにしないのを見るに、大丈夫そうだな」
その言葉を聞いて、僕はそういえばと思い出す。
戦場で前線にちょっとだけ出てみた時、背中を結構ヤバめに打ち付けたんだっけか。
つい痛くなかったから放っておいてしまったけれど、背中は前河川敷に打ち付けたのもあるし、彼女とのくちづけが無かったら結構大変だったんじゃ……。
「王生!!」
「わっ、な……なんですか?」
「……見ろ、王生」
そんな事を考えていたら、兄さんは急に真っ青な顔で自分の片手を見せてきた。
暗かったので最初は良く分からなかったけど……その手には確かに、べっとりとしたどす黒いものが付いていた。
「……?これ……」
血だ、と分かってから、それがさっき手を入れられたので兄さんに付いた血……つまり僕の背中に付いていた血であると気づくのに、しばらく時間がかかった。
そしてそれが分かってから、ふわふわとした感覚は空気に舞っているアルコールに酔った訳じゃなくて、たくさん背中から出血したのから来る貧血だと分かるまでまたしばらく経って、
「王生!しっかりしろ!王生っ!!」
……それが分かった途端、全く痛みの無いまま身体に力が入らなくなり、同時に意識も遠くに離れていき、やがてプツンと切れた。
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