残酷で優しいくちづけを
センセイ
1= 痛くて辛い日々
「がぁっ?!」
身体中を走る電撃の様な痛みに、僕は思わず大きな声と共に倒れかけてしまう。
「おい!大丈夫か?
「な、長塚兄さ……あっ、中尉……」
その時、長塚中尉が僕の倒れかけた身体を支えた。
僕の言いかけたのから分かる通り、長塚中尉は僕の兄さんの様な存在だ。
様な存在、というのも本当の兄さんではなくて、ただ子供の頃からよく面倒を見てくれていた近所の気前の良いお兄さんって事なんだけれど……。
「ボーッとするんじゃない!死ぬぞ!」
「!は、はいっ……」
長塚中尉に喝を入れられて、僕は慌てて考えていたのを放棄する。
「っ……」
その途端、先程足を掠っていった弾丸がつくっていった傷の痛みが思い出されて、僕は思わず顔を歪める。
その間に、長塚中尉は前線へ向かったのか、もう居なくなっていた。
戦う覚悟なんてない。
信仰心も、ほんとはそんなに強くない。
けど……どうしようもないんだ。
「伏せろ!!」
「っ……!」
初めて戦争で怪我をして痛みを感じた時、死ぬんじゃないかと思って、心臓がはち切れそうだった。
今までいつ死んでも仕方ないと生きてきたのに、戦場に来て初めて心の底から死にたくないと思った。
まだ……まだ僕には、本当はやりたい事がたくさんあって、もっともっとたくさん生きたいって、ようやく分かったのに。
「おいお前!こっち来て手伝え!」
「……はい」
いつ死ぬか分からない戦場で、今日の僕は生き残った。
明日はどうだろうか?
ただ一つ言えるのは、今日の僕はこの戦争で怪我をして、確実に安全からは程遠い場所に居るという事だけだった。
****
「っ……はぁ……」
ジクジクと痛む足を引きずって、僕は何とかはぐれずにここまで帰ってきた。
僕をおぶって歩いてくれる人なんて一人も居ない。
それは単に全員が情に薄い訳では決して無くて、人をおぶれる程気力のある者は、ほとんど人の形を失ってしまう程ボロボロになった味方をおぶって来なきゃいけないのだから、僕に構う暇などないのは当然の事だった。
しかもこんな、僕みたいな役に立つかも分からないひ弱な学生までこんな所に駆り出されるのを見るに、戦況は相当……いや、こんな事を考えるのはよそう。
「王生さん、足……大丈夫?」
「は、はぁ、……大丈夫、です」
すると、一人の女の人に話しかけられる。
彼女はここの看護婦のリーダー的な存在の人だ。
正直痛むので手当をして貰いたかったけど、僕がここで若い方だからって甘えちゃいけないのは分かっていた。
特にこの人にはもっと酷いやられ様の者や戦力になる者を手当てして貰わなければいけないのだから、ここに帰って来たからといって僕が治療を受けられないのは当然の事で。
「王生さん……あの、長塚さんは?」
「長塚中尉なら、前線に行くのを見かけましたよ」
「そうですか……」
そして彼女は、長塚中尉の恋人だ。
だから僕なんかの名前も覚えているのだけれど……そういえば、長塚中尉は無事なんだろうか。
自分の歩くので精一杯だったから気にとめなかったけれど、きっとあの人の事だから大丈夫なんだろう。
がっちりとした体格にはきはきとした行動派で、僕とは真反対の頼れる人、それが兄さんなのだから。
「王生さん」
……と、色々考え込んでいたら、後ろから耳慣れた透き通る声が響いて、僕は思わず表情を緩めて振り返る。
「
「良かった。王生さん、今日も無事で」
僕に柔らかく笑いかけるその子は、ここの看護婦達の最年少で、僕と同い年である女の子だ。
名前を、安在 れいと言う。
彼女は訳ありでこの場所まで看護婦として来た様だけれど、他の人の様に手際良く出来ないのか、いつも雑用ばかり回されている。
つまりは……こう言っちゃ悪いけど、足でまといな僕とは似た者同士という訳だ。
「そうだ、れいさん。王生さんの手当てをしてあげてくださいよ」
「手当て?……王生さん、どこか怪我してるの?」
「はぁ……あはは、えーっと、足をちょっと……」
何だか気恥ずかしくてどもりながら言うと、安在さんはおどろいた様に目を丸くして僕の怪我の所を凝視してきた。
「……それは……大変、大変……手当てをしなくっちゃ……」
「あっ、でも……貴重ですから、やっぱり僕は良いですよ」
「……とりあえず、こっち」
遠慮しようとする僕の腕を安在さんは強引に引いて、暗い外に引きずり出す。
彼女はそういう性格なのかは分からないけど、少々強引だったり、大雑把な所があるから見ていて危なっかしい。
敬語も上手く使えなければ約束事もほとんど守れないし、でも当の本人はまるで悪気が無いので本当に忘れている様にも見える……つまりは不思議な人という事だ。
「あの……安在さん。悪いけど、もう少しゆっくり歩いてくれませんか?痛くて……」
「あぁ……そうだった」
思い出した様に急ぎ足だったのを緩め、並ぶ様に歩いて連れて行かれた先は、何の変哲もないただの川だった。
周辺では何人か水汲みをしたり、水浴びをしたりしている。
「洗ってくれるんですか?」
「うん」
彼女と話すのは、同年代の子と話しているというよりかは、子供と話しているみたいな……何とも言えない不思議な感覚になる。
勿論彼女は年相応の身長で見た目から子供らしいわけでも無く、逆に僕より少しばかり背が高くて顔つきも大人っぽいのだけれど、でもどうにも自分と同じ歳のものだと思えない。
「っ……!」
「まだ血が出てる」
すると、いつの間にか川と往復して帰って来ていた安在さんと共に、傷口にじんと染みる様な痛みが走って僕は思わず顔を歪めてしまう。
「痛い?」
「いや……」
バレバレだけれど、やっぱり何とか口上でだけは強がっていたくて目を下へ逸らすと、
「なっ……何やってるんですか?!」
そこには、自分のスカートの裾を濡らして傷口に染み込ませている彼女の姿があった。
「……何って?」
「い、いいですよ!何も着ている服で代わりをしなくても……」
「でも、他に布無くて……」
「じゃあ手で良いですから!」
とりあえず、スカートの裾を上げるなんてはしたない格好をさせてまで傷口に布を当てて欲しいなんて事は無いので、半ば強引に止めさせると、今度は彼女は川で手を濡らして帰ってくる。
「ほ、ほんとに手で……それなら僕、自分で……」
「良いから」
「ぁっ、つっ……!」
さっきのは我慢出来たけれど、さすがに傷口に触れられて抑えきれずに声が漏れ出る。
その様子に彼女は僕を見上げると、
「痛い?」
と、また同じ様な声音で聞いてきた。
「っ……」
そんな状況に、もう情けなくて疲れきって参ってしまって、意図せずに涙がにじんできてしまう。
彼女の不器用な優しさに触れたのもあるかもしれない。
僕は最初こそ必死になって涙目になっているのを隠そうとしたけれど、ずっと変わらず気にかけるように見つめてくる視線に、段々とそんな意固地になっていたのが馬鹿らしくなってきて、大きく息をついて顔を俯かせた。
「……」
すると当然、大粒の涙がぽろぽろとこぼれて落ちる。
彼女は情けない僕を見てどうするんだろう。
言葉足らずな口調で必死に励まそうとするんだろうか。
それとも、優しく頭を撫でるだろうか。
……一周まわって気にもとめずにいつも通り居たり、気づかなかったりするのもそれはそれで彼女らしいかもしれない。
「安在さん」
それでも、涙ぐんで弱った僕は、無意識に助けを求める様に彼女の名前を呼んでいた。
「……」
「……何でもないよ」
ちっとも反応しない彼女に、僕がちょっと笑って顔を上げると、彼女はただいつも通りの顔で僕をまっすぐ見ていて、ちょっとだけ心臓の奥がチクリと痛む。
彼女はそのまま至極当たり前の様に僕の頬に手を当てて、
「……?……え?」
……その後彼女は、どうしたって予想出来ない行動に出た。
僕も何が何だか気づかない間に、ぴとっと柔らかいものが口に当たって、そして離れていったのだ。
「……は?」
混乱を極めた僕の口からはその言葉を発するだけで精一杯で、そんな中でも彼女は冷静なまま、いつもの口調で僕を心配する様に優しく呟いた。
「泣かないで」
そんなんだから……さっきまでジクジクと傷んでいた傷口がすっかり痛まなくなっていた事に、僕はまだ気づかなかったんだ。
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