2= 柔らかくて甘い感触
「……?」
その夜、僕は皆がぎゅうぎゅうになって雑魚寝する隙間で、一人悶々としていた。
あれは……確かにくちづけだった。
恋人同士の様な艶めかしいものだったかと聞かれれば、どちらかというと泣きわめく赤子を慰める様な柔らかなものだったけど、確かにある程度成熟した男女の口と口が重なったのだから、あれは相当の意味を持たなきゃおかしい。
いや……というか、意味を持って貰わないと僕がどうにかなってしまいそうだ。
でも彼女の事だ、遠回しの告白代わりという訳でも無いだろうし、本当に気まぐれだったんだろうか?
「っ〜〜〜……!!」
僕は煮え切らない思考に悶絶する。
彼女が僕を恋愛的に好いていてやったのか、それ以外だったのか……どちらに転んでも僕は困る。
いや、困るというか……悩まされる?
どうしよう。
もし彼女が僕の事が好きなのならどうしよう。
……いや、それは良いのか。
僕には恋人も婚約者も居ないし、どちらかというと好意の無い行為だった場合の方が非常に困る。
どう困るのかって、それは……そう。
僕が無駄に悶々とさせられてしまうからだ。
……ん?待てよ?
何で僕は彼女に好意があれば、それを受け取る前提で居るんだ?
もしかして、もしかして僕は……。
「っ!!!」
「こら!暴れるな!」
僕がまだバタバタとすると、当たり前だけどそんな風に怒られてげんこつを食らってしまう。
「いっ……」
強力なその一発に、頭がじんじんと痛む。
役立たずなのに足まで引っ張ってしまって申し訳ないと思う反面、いつの間に芽生えたんだろう、自覚してしまった自分のふわふわとした気持ちに、その重い一撃を食らってなお落ち着けない。
僕はとりあえず頭を冷やそうと、今度は誰も起こさない様にゆっくりと起き上がる。
「ふー……」
冷たい風の吹く外に出て、僕はやっと大きく息をつけた。
そういえば、げんこつの痛みで思い出してしまったけど、一旦は引いたかと思っていた足の傷の痛みもすっかり戻っていた。
「こんなんで……明日、大丈夫なのか……?」
他のものに比べれば軽傷も軽傷なのに、未だ足を引きずる様にして歩かなければいけないのが情けない。
やっぱり僕は前線で大した戦力にもならずに戦うより、ひっそりと教師や医者なんかになっていた方が良かったんじゃないか。
そう思えど、そもそもそんなに頭の良い方では無かった僕にとって、そんな選択肢なんて無かったのも事実だった。
更に今は学生や病弱な者までこの場に居るのだから、強くて賢い者だけが颯爽と行けばいいものとは違うのだろう。
はっきり言って、今のここは泥沼だった。
「っ……かなり痛むな……」
冷静になれば冷静になる程、段々と傷口の痛みが強くなってきている気がする。
ついでにげんこつの痛みも。
このままではマズいと、僕は川の水で冷やしてどうにか凌ごうと考えて足を引きずりながら先程安在さんと一悶着あった川辺へと向かう。
「……」
彼女とくちづけをした場所だ。
いや……あれを本当にくちづけと言っていいのだろうか?
そしたら僕は、初めてのくちづけの相手が恋人でも無い者とになってしまうけれど……。
思い出してまたソワソワしてしまいそうで慌てて首を振ると、背後に何やら気配を感じてビクリと飛び退く。
「……?」
悶々としている恥ずかしい姿を、仲間の者にでも見られたかと思っていたけれど、その気配の主は地面に寝転んでいる様だった。
「……えーっと……風邪引きますよ……?」
眠っているのか分からないけれど、そんな風に声をかけながら一歩一歩進んで行くと、暗闇の中に見慣れた黒髪とワンピースの裾が見え、僕は途端にぎょっとして駆け寄ると、
「あ、安在さん……?!」
そこに居たのは、やっぱり彼女だった。
かなり熟睡しているのか、僕が声を上げても一向に起きようとしない。
「っ……あ、安在さん……」
無防備に寝ている姿が、辺りの静けさや暗がりも相まって、妙に変な気を起こさせてしまいそうで困る。
ちらっと横目でもう一度彼女の方を見れば、あんなに考え込ませられた原因となる彼女の唇が目に入ってしまい、もうどうしようもない。
「……」
心臓がうるさい。
やっぱり僕は、彼女に惹かれてるんだろうか。
先のあれが、慰めであったって良い。
ただ、もう一度……彼女の唇に触れてみたいと思ってしまった。
「何……何やってんだ、僕は……」
彼女の顔の前でしゃがみ込み、床に這いつくばう様に顔の位置を下げていく自分に、僕はそれが到底選択肢として間違っている事を感じながらも、止める事が出来ない。
が……すっかり手膝をついて息の音が聞こえる程近づいた時、僕はそれ以上彼女に近づく事が出来なかった。
なんて事は無い、ただ日和っているだけだ。
ここまで近づいていて、僕は無許可で彼女に触れる事が怖かった。
でも、その彼女を感じられる近い距離からどうしても離れられず、不自然な距離感を続けていれば当然……
「……誰?」
「っ!!」
……近くでうろうろする気配を見かねてか、彼女は目を開けて早々にそんな一言を発した。
僕は至近距離で見つめられたのと言い訳の出来そうに無い状況に狼狽えてしまい、「あっ」と後に続かない言葉を出し続ける事しか出来なかった。
そんな僕を不思議そうに見つめていた彼女も、段々寝起きから冷たい風で頭が冴えてきたのか、やがて横から覆い被さる様な体制の僕の胸にちょんと手を置く。
「へ……?」
「退いてくれる?」
「……あっ!ご、ごめんなさい……」
触れられた時、何かと思ったけど……彼女の言葉に僕は慌てて飛び上がる。
何故瞬時に反応出来なかったかと言うと、彼女の言った言葉は強い拒絶ともとれるようなものでもあるのに、当のそれを発した本人の口調が、拍子抜けする程柔らかい物言いだったからだ。
そう、拒絶や命令では無くて……お願いに近い様な感じだった。
それに僕が不思議な感覚になりながらも目が離せないでいると、彼女はゆっくりと上半身を起こしてから、「ん」と片手をこちらに伸ばした。
「?」
何を意味しているのか考える余裕はもはや無く、僕が考え無しにその手を掴むと、彼女はすぐさまその手に体重をかける。
「わっ……?!」
そうか、立ち上がらせてくれって事だったのか……と、今更気づいても遅い。
このままだと、河川敷のこんな硬い石ばかりの所に、後ろに倒れた彼女が頭を打ち付けてしまう。
僕は無い体力を振り絞って彼女を引き寄せ抱きかかえると、それから身体を支える力も無いのでそのまま地面へと後頭部を派手に打ち付けた。
「いっ……」
ぎゅっと目を瞑り、これから来るであろう痛みの前に先んじて声が出てしまったけれど……
「……?痛く、ない……?」
……来るであろう痛みは、いつまで経っても来なかった。
かといって、頭を打たなかった訳では無い。
確かに地面は背の方にあって、彼女は僕の上でどこも打ち付けずに守られていて……。
……そして、生暖かい。
えっ?
と、呟こうとした口はぴくりと動くものの、声までは出なかった。
何故かって、塞がれていたから。
それもピンポイントで同じ部分……彼女のあの唇で。
「っ……!!」
それが分かった途端、僕は茹でダコの様に顔が赤くなるのを感じた。
しかも、彼女は中々退いてくれなかった。
僕から動ける訳が無い。
だって……やっぱりずっとこうしていたいと思ってしまったから。
彼女はしばらくそのままで居たものの、やがてゆっくりと両手を地面につくと、あっさりと唇を離してしまった。
彼女に見下ろされる体制になりながら、長い髪の先端が頬をくすぐって来て、彼女の匂いが鼻腔をくすぐる。
「危なかった。痛くない?」
僕が固まったままでいるのにお構い無しに、彼女はそう言って小さく笑った。
痛くない?なんて、固い石に頭を打ち付けたやつに言う台詞じゃないけど……。
「……うん」
足のぶり返して来た傷口の痛みも、
大袈裟に食らってしまったげんこつの痛みも、
彼女を庇う様に後ろに倒れて、硬い石に打ち付けたハズの全身の痛みも、確かに僕は……この時、何一つ感じる事が出来なかった。
「そう……良かった」
ただその代わり、身体中が苦しい程火照って仕方なかった。
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