いはゐつら 〜女官・福益売〜
加須 千花
第一話 あたしは、どこに行っても元気だから。
奈良時代。
冬。
母刀自は、あたしと
「
あたしを見ずに、ぽつりと言った。
恐ろしい
生活が困窮しているのは、良く、分かっていた。
母刀自は、あたし達姉妹に何も言わなかったが、よくため息をもらすようになった。
そして十日前、畑仕事をしながら、あたしに言ったのだ。
「
十五歳以上の娘で、容姿の優れた
そのかわり、お代金をうんとはずんでくれるそうだよ。
昼餉、夕餉も、たっぷり食べさせてもらえるって話だ。」
あたしは、十五歳。
まだ、二人の
「へえ、そうなの!」
あたしはその時は、そうとだけ答えておいた。
今、答える言葉はこうだ。
「わかったわ、母刀自。綺麗な
つとめて明るく言うと、母刀自が振り返った。泣き出しそうな顔をしている。
「あたしを責めないのかい?」
「だって、必要なんでしょ? 母刀自と、
そこまで笑顔で言えた。
でももう、無理だ。
あたしは、ぱっと
「ほら、母刀自、お鍋のお湯が湧いてるよっ!」
と母刀自の注意をお鍋にむけさせ、急いで涙をそっと拭った。
母刀自が、
「母刀自! もう、
今まで、ちびちびと食べてきたのだ。
「今日は、今日はね。せめて、ご馳走にしましょう。どーんと、食べなさい、福益売。」
「……うん。」
二人、すすり泣きながら、夕餉の支度をする。
そして、あたしは悟った。
もし、
きっと、女官が駄目なら、人買いの市に立たされる。
うちには、もう、本当に
どこに買われるのか。
まだ、恋もしたことがないのに。
来年、
そう、憧れていたのに。
その日の夕餉は、久しぶりにたっぷりの
「
「いや、いやよ、福姉え!」
「うん。あたしも、いやだ。
でもこの家の為に、必要なことなのよ。あたしは、どこに行っても元気だから、心配しないで。
母刀自の手伝いをよくするんだよ。」
あたしは二人を抱きしめ、その夜は三人の姉妹でぎゅうっとくっつきながら寝ワラで寝た。ずっと泣けて、良く寝付けなかった。
少し離れたところで背中をむけて寝る母刀自が、ふーっ、と時々大きな息を吐き出して、細かく肩を震わせているのを、あたしは気づいていた。
翌日、良く晴れた。
あたしと母刀自は二人で、手をつないで、遠い道を、よくよく歩いた。
母刀自は、顔が青く、繋いだ手は冷えて、ずっと震え続けていたのを、あたしは覚えている。
あたしは、高値で──三人の家族が、一年はゆうに食べれる大金と引き換えに、
良かった。これで、来年、
家族の命をつないだ。
あたしは、安心した。
* * *
「あなた、良い顔ね。いつもにこにこ笑っているような、福のある顔をしてるわ。」
女嬬とは、女官を取りまとめる立場の女官のことだ。
「あ、あたし、名前は
「あら! ぴったりね! なんとも
そう日佐留売は、隣に立つ
鎌売は、女嬬のなかで頂点の地位に立つとのことだった。顔には威厳が満ち、そこに立ってるだけで怖かった。
「そうね。
鎌売が問う。
日佐留売と鎌売の腕には、それぞれ、まだ首が座ったばかりか、という幼い
「五歳離れた
あたしは、怖い鎌売より、年若く(あとから聞いたら十八歳だった)優しげな雰囲気の日佐留売付きの女官になりたくて、必死に言った。
艶々とした黒髪が人目を引く美女、日佐留売は、こくりと頷いて、
「母刀自、この女官は、あたしが戴きますわ。
さ、抱いてちょうだい。あたしの可愛い息子、
と
鎌売が頷いて言った。
「これからみっちり
自らを美しく。
身だしなみには気を使いなさい。
ここは
そこの女官ともなれば、いつ
その心づもりでいるように。」
鎌売は表情を動かさず、当たり前のことのように言ったが、日佐留売の顔には、なんとも言えない皮肉げな色が一瞬横切ったと見えた。
気のせいだったのだろうか。
* * *
一緒に暮らす女官部屋の
昼餉も夕餉も、お腹いっぱい食べれるのは、本当だった。
始めは、優雅な所作ができなくて、ふくらはぎを棒で打たれたが、すぐに仕事を覚えて、打たれなくなった。
何より良かったのは、ここの跡継ぎの若さまが、ものすごく、格好良いことである。
完璧に整った顔立ち。
背が高く、切れ長の涼しげな瞳。
白い肌。
半分垂らした、手入れの行き届いた美しい髪が、胸下までさらりと揺れる。
まっすぐ凛とのびた背。
歩いているだけで、春風が桃色にあたりを染めているかのような、目の離せない美貌。
あとから思えば、その時も従者が付き従っていたはずだが、なぜが、とんと記憶がない。
そして、
───いつ
↓ぽんにゃっぷ様から頂戴したファンアートに飛びます。
ぽんにゃっぷ様、ありがとうございました。https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16817330667018703186
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