第四話  妹ろを立てて

 梓弓あずさゆみ 欲良よら山辺やまへ


 しげかくに  いもろを立てて


 さ寝処払ねどはらふも



 安豆左由実あずさゆみ  欲良能夜麻邊能よらのやまへの  

 之牙可久尓しげかくに  伊毛呂乎多弖天いもろをたてて

 佐袮度波良布母さねどはらふも




 欲良よらの山辺の繁みにいもを立たせている。オレが草を払い、寝る場所を整えるのを、待たせているのだ。


(梓弓は引けば欲良よらの枕詞。欲良の山は所在不明。)



      万葉集  作者不詳




   *   *   *




 三虎と古志加こじかから、柿の木の屋敷で働く者を紹介された。

 働きは、あたしと、母刀自。

 屋敷を警護するおのこは、もと卯団衛士うのだんえじの、川嶋かわしま老麻呂おゆまろと言った。


 初めて二人と引き合わされた時。

 川嶋に不思議と目が吸い寄せられた。

 大柄で肩幅が広く、全体、がっしりとした体つき。屈強な衛士だったのだろう。

 目は小さめ、顎がしっかりして、誠実な性格を思わせる顔つき。

 落ち着いた雰囲気と、頼れる風格があるおのこだった。


「歳はいくつなんですか?」


 つい気になって、川嶋にむかって質問してしまった。

 三虎が、


老麻呂おゆまろは四十四歳。川嶋は三十五歳だ。」


 と淡々と言った。


福益売ふくますめは───?」


 川嶋が静かな口調で訊く。

 なんだろう? 女性に歳を訊くのって、ちょっと失礼じゃないのかしら? と少し戸惑いつつ、


「あ、あたしは、二十八歳です。」


 と答えたら、急に恥ずかしくなった。

 郷の娘だったら、二十歳までに結婚するのが普通だ。

 あたしは未婚で、もうこの歳だ。

 上毛野君かみつけののきみの屋敷の女官は、生涯結婚できないおみなのほうが多い。

 だから、この歳だって、今まで恥ずかしいなんて思った事はなかった。

 でも、もうあたしは女官じゃないんだわ……。


 母刀自が、三虎に不安そうな目をむけた。

 三虎が、はは、と作ったような笑い声をあげた。顔が無表情なので、いちいち、感情の機微がわかりにくい。


「心配するな。老麻呂も川嶋も、腕前だけじゃなく、人格もオレが保証する。

 同じ屋敷に住んでいても、何もおきやしない。安心しろ。」

「あ、あの……、そういった意味では……。気を悪くなさらないでください。」


 母刀自が恐縮した。


「あ、だ、大丈夫だよ、飯売いいめ!」


 古志加こじかが口を挟んだ。飯売いいめは、母刀自の名だ。


「何かあったら、あたしが首をねてあげるからね! 安心して!」

「ひ……!」


 古志加が花をちょん切るように気軽な口調で言ったので、母刀自が固まった。


「ほら、古志加。お前、飯売を怖がらせてるじゃないか。」


 まったくしょうがない奴め、と三虎が古志加の右耳の後ろの髪に指を差し入れ、わしわし、とした。

 両耳の上にふっくら盛り上げた美豆良みずらが乱れるので、う、う、と古志加は困った声をだし、目を気持ちよさそうに細めながら、


「そうかなあ、そうかなあ。」


 とあまり意味のない言葉を口走っている。多分あれは、三虎の手の感触に気を取られて、あまり頭が回っていないに違いない。

 そして三虎も、古志加の頭を撫で続け、古志加を愛おしそうに見つめている。

 髪型が乱れていくばかり。

 三虎はこんな甘い雰囲気のおのこだったか。

 誰だこいつ。

 つれないアホな無愛想口悪し従者はどこにいった。


「とにかく、しっかり家は守ります。もちろん、古志加、飯売、福益売のことも。」


 川嶋が、あたしを見て、しっかりと言った。あたしはなぜか、心臓しんのぞうの鼓動が跳ね、さっと顔を伏せた。


(二十八歳にもなって、恥ずかしい。)


 そう思ったのは、きっと、少し、頬に朱がさしてしまったからだと思う。




   *   *   *




 古志加は、本当に三虎に大事にされている。心を掴んだ。

 いも愛子夫いとこせなんだわ。

 三虎は毎日、柿の木の屋敷に帰ってくる。

 そして、夜、古志加にこれでもか、というほど、さ寝にさ寝をする。

 古志加の声が元気なので、どうしても屋敷内に筒抜けになってしまう。

 いや、古志加のせいではなく三虎のせいなのか。

 気になったので、古志加に訊いてみた。


「み、み、三虎のせいだよ。も、も、もう。恥ずかしい……。」


 と古志加は真っ赤になって両手で顔を覆うのだが、あの声は恥ずかしいというより、瀧が流れ落ちるように元気いっぱい喜んでる声量なのだが。


(まったく可愛いわね、古志加。)


 良いでしょう! これなら、三虎から飽きられて捨てられて、皆で路頭ろとうに迷う心配はない、という事なんだからね。

 あたしは古志加の可愛さを引き立てるべく、髪型を凝ったものとする。今日は、木型をしこんで、高い二髻にけいにしようかな。

 女官を離れ、自由な髪型にできるのが楽しい。

 三虎は、高級な化粧紅も、たっぷり用意してくれた。

 紅の粉を目の粗い木綿で丸く包み、ぽんぽん、と日焼けした古志加の頬にはたく。

 ほんのりと頬が紅く染まる。

 水で湿らせた細い筆で、唇にも丁寧に紅をさす。

 上品で健康的な艶が古志加から溢れ出す。


「本当に綺麗!」


 心から言うと、


「うふふ。ありがとう。あたし、幸せ。」


 と古志加がニッコリ笑って言うので、ますます可愛いのであった。


「よしよし。」


 と肩を撫でてあげると、また、うふふ、と笑う。

 古志加は今宵も、三虎に愛される。



   *   *   *



 早朝。


 あたしは働きとして、朝の御用がないか古志加の部屋に伺いにいったのだが、部屋に行き着く前に、簀子すのこ(廊下)で立ち止まる。

 庭先で、三虎と川嶋が、素手で稽古をしていたからだ。


「はっ。」


 拳を打ちあう音。


「ふっ!」


 土を散らし、三虎の蹴りが舞い上がる。川嶋が両腕で止め、身をひねり、素早く左足を蹴り上げ、三虎がスレスレで半身となりかわす。三虎が拳をつきだす──。

 動きが早く、二人の位置がどんどん変わり、二月の冷えた朝に、熱気が渦巻く。


(すごい迫力。三虎も強いし、川嶋も、強いんだわ。腕前も、人格も保証する、と言ったのは、本当ね。)


 やがて、どちらからともなく、身構えをといた。稽古が終了したのだ。


「腕は衰えてないな。はは、たいしたものだ。」


 三虎が汗をかきつつ、満足そうに口元だけで笑った。

 うん、今のは、表情がわかりやすかった。


「ええ。卯団うのだんに呼び戻してくださっても、構わないんですよ。」


 川嶋は静かな口調だが、大きな声だった。


「川嶋……。」


 三虎が口ごもり、


「オレだって、惜しいと思ってる。

 ここの警備を頼む。スミレの花のような、オレの大切ないもの住まいだ。守ってやってくれ。」


 と淡々と言った。


「もちろんです。さっきのは、忘れてください。命に替えても、オレはここを守りますよ。」


 さっきほどの大声ではないが、川嶋もさっぱりとした口調で言った。


「頼む。───福益売。」


 三虎にいきなり呼ばれて、ビックリした。


「はい!」

「古志加ならまだ寝てる。昨日──、ふ。まだ寝かしてやれ。」


 三虎がこちらをチラリと見て含み笑いをした。

 その腫れぼったい目には、自信にあふれたおのこの色気があり、すこしだけ笑いを含んだ表情がハッとするほどの男ぶりだった。

 もとどりに挿した黒錦石くろにしきいしかんざしが朝陽に黒く煌めく。


(う。なんだこの色っぽさは! 従者のくせに!)


 と福益売は心の中で憤慨ふんがいし、顔をさっとそらし、


「承知いたしました。」


 と簀子すのこをさっさと引き返した。

 背中に、川嶋の視線を感じた気がした。








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