終話 いざせをどこに
「バカなの? あたしが恋うてるのは、あなたですっ!!」
「えっ?」
間抜けな声がオレからもれた。
「バカなの? あ、あたしが、こ、
福益売がぼろぼろと泣き出した。
オレは慌てて、手を離す。
「あたし……、もう、こん、な、歳だから。いや?」
福益売は顔を両手で覆って、泣きながら言った。
「そんなことはない。オレと歳の釣り合いは丁度良いじゃないか。
オレの、
オレは慌てて言った。
* * *
オレの
ずっと、憧れていた言葉。
一生、言われる事は、きっとない、と諦めていた言葉。
あたしは、弾かれたように顔をあげた。
眼の前の、頼りがいのある
「あたしの、
お互い、一生、たった一人の、相手。
とても、素敵だった。
(嬉しい。)
あたしは喜びを噛み締め、
───では、計その二に移るべし。
遠く
ふわ、と驚いた羽虫が飛び立つ。
そう。うってつけの場所。
「あの、あの、ええ?」
川嶋は混乱した声を出す。
「あたしを泣かせて、責任とってもらうんですからね!」
そう告げると、しゅん、と川嶋がうなだれた。
「あたしの事、ちゃんと恋いしい?」
川嶋がこくん、と頷く。
「だったら、あたし、してほしい事があるんです。あたしに、ここで、
川嶋が絶句した。
あたしは思い切って、川嶋に抱きついた。背中に腕をまわし、ぎゅっと力を込める。
(えいっ!
肩幅が広い。胸板が硬い。勢い良く抱きついたのに、びくともしない。
(お、お、
落ち着いて、落ち着いて福益売、となぜか
川嶋は、腕をだらりと下げ、抱きしめてはくれない。
川嶋が戸惑った声をだす。
「
「
びくりと川嶋が揺れた。
「そ、そ、外では。部屋のなかのほうが。」
「古志加に許しをもらってます!」
また、びくりと川嶋が揺れた。
「あたし、十五歳で、母刀自に連れてこられて、女官になりました。
家には本当に
母刀自を恨むつもりはありません。でも。」
川嶋の胸に頬を押しつけながら、涙がこぼれた。
「本当は、十六歳になったら、歌垣に行ってみたかった……。郷の娘として、普通の恋をしたかった……。
だから、川嶋が、あたしに歌垣の歌をうたってください。
今宵だけは、あたしを、十六歳の娘にしてください。
母刀自に売られていなかった、女官になっていなかったあたしを、あたしに返してください。」
おかしな事を言っている。
でも、どうしても、そうして欲しい。
「あたしの
泣きながら川嶋の顔を見上げると、哀しそうに歪んだ、泣きそうな川嶋の顔が見えた。
しかと、川嶋に
耳元で、愛しい
「
いはゐつら 引かば
引かば
引かば濡れつつ
引かば
いざせ
(
いはゐつらの
オレが引いたら、濡れながら、寄っておいで。
さあおいで、寝床に。)」
歌垣の誘い歌だ。郷が違う、知らない歌。
「うん、うん……。」
返歌は知らない。でも、これで、了承だ。
うたわれて、受け入れた。
涙がこぼれ、あたしは今、秋祭りにいる、と思った。
「福益売。ここで一目見た時から、ずっと、あなたが恋しかった。」
川嶋はあたしの泣き顔を見下ろしながら、そうはっきりと告げ、口づけをしてくれた。
川嶋の唇は乾いて、弾力があり、すこし冷たい。
そう思ったら、すぐに、熱くなった。
唇が熱い。
頭が熱く痺れる。
(天よ地よ、
こ───れが口づけよ───ぉぉぉ!
あたしの唇は今、川嶋を知ったのよ。)
口づけって、なんて素敵で、うっとりするの。あたしの
唇が離れた。はぁっ、とあたしは吐息をもらす。
川嶋は、すこし首をかしげ、
「外は寒い。本当に良いのか。」
と訊いた。あたしの意志は固い。頷くと、
「よし、じゃあ、寝床を整える。」
と川嶋はあたしから離れ、ぺろっ、と唇をなめ、足で草を踏みつけはじめた。剣も抜き、固い茎のある草をザクザク切る。
「あ、あたしも。」
と草の踏みつけを手伝おうとすると、
「これは、オレの仕事。福益売は、立って待ってるように。
ああ、本当に歌垣のようにしたいのなら、手布を、木の枝に結べ。オレ達の寝床だってわかるようにな。」
とこちらを見て笑った。
あたしも笑って、白い麻の手布を懐から出し、適当な木の枝に結んだ。
白い
ふと思い出した。
「川嶋、ひとつ、忘れてたわ。母刀自が、あたしを大事にすることが、
「そんなの、決まってる。誰よりも、大事にする。福益売。」
川嶋が草刈りを中断して、あたしを逞しい腕で抱きしめ、優しい口づけをした。
あたしは、すんなり、心からその言葉を信じることができた。
「さ、まだもうちょっとかかる。待っててくれ。……逃げないでくれよ?」
すぐに草刈りに戻った川嶋は、イタズラっぽく笑って言った。
「逃げないわ。あたし、ここで待ってる。
だって、あなたは誰よりも素敵だもの。動けって言ったって、あたしの足はここから動かない。
川嶋が思ってるよりずっと、ずっと、あたしはあなたの事を恋い慕ってるんだから……。」
あたしは、胸の高鳴りを感じながら、ニッコリ笑って、こたえる。
川嶋は、地面を見て草を踏みつけながら、嬉しそうに、ふふっ、と笑った。
あたしは、川嶋が寝床を整えるのを、待っている。
────完────
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