終話  いざせをどこに

「バカなの? あたしが恋うてるのは、あなたですっ!!」


 福益売ふくますめが目をぎゅっとつぶって、大きく叫んだ。


「えっ?」


 間抜けな声がオレからもれた。


「バカなの? あ、あたしが、こ、う、う……。」


 福益売がぼろぼろと泣き出した。

 オレは慌てて、手を離す。


「あたし……、もう、こん、な、歳だから。いや?」


 福益売は顔を両手で覆って、泣きながら言った。


「そんなことはない。オレと歳の釣り合いは丁度良いじゃないか。

 オレの、いもとなってくれ、福益売。」


 オレは慌てて言った。




   *   *   *




 オレのいも


 ずっと、憧れていた言葉。


 一生、言われる事は、きっとない、と諦めていた言葉。

 あたしは、弾かれたように顔をあげた。

 眼の前の、頼りがいのあるおのこの顔を、涙で揺れる瞳で見つめる。

 いもと呼ばれて、初めて口にできる言葉がある。


「あたしの、愛子夫いとこせ。」


 いも、運命のおみな

 愛子夫いとこせ、運命のおのこ

 お互い、一生、たった一人の、相手。

 愛子夫いとこせと呼ばれた川嶋は、心から嬉しそうに、誠実さがあふれた笑顔を浮かべた。

 とても、素敵だった。


(嬉しい。)


 あたしは喜びを噛み締め、


 ───では、計その二に移るべし。


 遠く簀子すのこで見守る古志加に、一つ頷きを送ると、川嶋の袖をひっぱり、ぐいぐいと庭の奥の繁みのほうに連れていった。

 ふわ、と驚いた羽虫が飛び立つ。

 やぶが深く、人目につかない場所と言えよう。

 そう。うってつけの場所。


「あの、あの、ええ?」


 川嶋は混乱した声を出す。


「あたしを泣かせて、責任とってもらうんですからね!」


 そう告げると、しゅん、と川嶋がうなだれた。


「あたしの事、ちゃんと恋いしい?」


 川嶋がこくん、と頷く。


「だったら、あたし、してほしい事があるんです。あたしに、ここで、歌垣うたがきの歌をうたってください。」


 川嶋が絶句した。

 あたしは思い切って、川嶋に抱きついた。背中に腕をまわし、ぎゅっと力を込める。


(えいっ! おみなの身体を近く感じるが良い。これでどうだぁ!)


 肩幅が広い。胸板が硬い。勢い良く抱きついたのに、びくともしない。


(お、お、おのこの身体ってたくましい───!)


 落ち着いて、落ち着いて福益売、となぜか甘糟売あまかすめの幻聴が聞こえた。


 川嶋は、腕をだらりと下げ、抱きしめてはくれない。

 川嶋が戸惑った声をだす。


飯売いいめが。」

母刀自ははとじには許しをもらっています!」


 びくりと川嶋が揺れた。


「そ、そ、外では。部屋のなかのほうが。」

「古志加に許しをもらってます!」


 また、びくりと川嶋が揺れた。


「あたし、十五歳で、母刀自に連れてこられて、女官になりました。

 家には本当にたくわえがなくて。

 母刀自を恨むつもりはありません。でも。」


 川嶋の胸に頬を押しつけながら、涙がこぼれた。


「本当は、十六歳になったら、歌垣に行ってみたかった……。郷の娘として、普通の恋をしたかった……。

 だから、川嶋が、あたしに歌垣の歌をうたってください。

 今宵だけは、あたしを、十六歳の娘にしてください。

 母刀自に売られていなかった、女官になっていなかったあたしを、あたしに返してください。」


 おかしな事を言っている。

 でも、どうしても、そうして欲しい。


「あたしの愛子夫いとこせ、今宵だけで良いんです。あたしの願いを、叶えてください。ここを、秋祭りの、歌垣の夜にしてください。」


 泣きながら川嶋の顔を見上げると、哀しそうに歪んだ、泣きそうな川嶋の顔が見えた。

 しかと、川嶋にいだかれた。


 耳元で、愛しいおのこささやき声がする。


上野かみつけの  可保夜かほやが沼の


 いはゐつら  引かばれつつ


 引かば奴流々々ぬるぬる


 引かば濡れつつ


 引かば奴流々々ぬるぬる


 いざせ小床をどこ



上野かみつけの 可保夜かほやが沼の

 いはゐつらの蔓草つるくさ、オレが引いたら、素直に心を許して、ずるずると寄っておいで。

 オレが引いたら、濡れながら、寄っておいで。

 さあおいで、寝床に。)」


 歌垣の誘い歌だ。郷が違う、知らない歌。


「うん、うん……。」


 返歌は知らない。でも、これで、了承だ。

 うたわれて、受け入れた。

 涙がこぼれ、あたしは今、秋祭りにいる、と思った。


「福益売。ここで一目見た時から、ずっと、あなたが恋しかった。」


 川嶋はあたしの泣き顔を見下ろしながら、そうはっきりと告げ、口づけをしてくれた。

 川嶋の唇は乾いて、弾力があり、すこし冷たい。

 そう思ったら、すぐに、熱くなった。

 唇が熱い。

 頭が熱く痺れる。

 あふれる涙が熱い。

 

(天よ地よ、

 こ───れが口づけよ───ぉぉぉ! 

 あたしの唇は今、川嶋を知ったのよ。)


 口づけって、なんて素敵で、うっとりするの。あたしの心臓しんのぞうがドッドッドッ、と高鳴っている……。


 唇が離れた。はぁっ、とあたしは吐息をもらす。

 川嶋は、すこし首をかしげ、


「外は寒い。本当に良いのか。」


 と訊いた。あたしの意志は固い。頷くと、


「よし、じゃあ、寝床を整える。」


 と川嶋はあたしから離れ、ぺろっ、と唇をなめ、足で草を踏みつけはじめた。剣も抜き、固い茎のある草をザクザク切る。


「あ、あたしも。」


 と草の踏みつけを手伝おうとすると、


「これは、オレの仕事。福益売は、立って待ってるように。

 ああ、本当に歌垣のようにしたいのなら、手布を、木の枝に結べ。オレ達の寝床だってわかるようにな。」


 とこちらを見て笑った。

 あたしも笑って、白い麻の手布を懐から出し、適当な木の枝に結んだ。

 白いしるしが、特別な夜に、ひらひらと揺れる。

 ふと思い出した。


「川嶋、ひとつ、忘れてたわ。母刀自が、あたしを大事にすることが、夫婦めおととなる条件だって。」

「そんなの、決まってる。誰よりも、大事にする。福益売。」


 川嶋が草刈りを中断して、あたしを逞しい腕で抱きしめ、優しい口づけをした。

 あたしは、すんなり、心からその言葉を信じることができた。


「さ、まだもうちょっとかかる。待っててくれ。……逃げないでくれよ?」


 すぐに草刈りに戻った川嶋は、イタズラっぽく笑って言った。


「逃げないわ。あたし、ここで待ってる。

 だって、あなたは誰よりも素敵だもの。動けって言ったって、あたしの足はここから動かない。

 川嶋が思ってるよりずっと、ずっと、あたしはあなたの事を恋い慕ってるんだから……。」


 あたしは、胸の高鳴りを感じながら、ニッコリ笑って、こたえる。

 川嶋は、地面を見て草を踏みつけながら、嬉しそうに、ふふっ、と笑った。



 あたしは、川嶋が寝床を整えるのを、待っている。







   ────完────




 

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