第七話  引かば濡れつつ

 あたしは古志加こじかと二人、上毛野君かみつけののきみの屋敷を歩く。

 爽やかな、二月の木漏れ日。

 湯殿に向かう道すがら、そっと、古志加に打ち明ける。


川嶋かわしま、素敵な人よね……。この前、あたしが井戸の水を運んでいたら、重いだろ? ってかわりに運んでくれたのよ。」


 古志加は明るく、


「うん、川嶋は良いヤツだよね。弓矢も上手。でも、癸丑みずのとうしの年(773年、6年前)の矢傷がもとで、もう長時間は剣がふれない。」


 と言った。


(えっ?)


 そんな過去が? あの人は、何もそんな事を仄めかさない。


「かわいそうだわ……。さぞや辛い思いをしたんでしょう。」


 癸丑みずのとうしの年(773年、6年前)のあの夜。賊が火を放った夜。

 あたしは女官部屋で、女官の皆と震えながら抱き合う事しかできなかった。

 とにかく、恐ろしかった。

 そんななか、衛士たちは、川嶋は、勇敢に戦ってくれたのだ。

 そして深い矢傷を受けたのだ。どんなに痛く、苦しんだろう。



 ───卯団に呼び戻してくださっても、構わないんですよ。



 本当は、まだ衛士でいたかったのだ。

 衛士を辞める時の悔しさは、いかほどか。

 それなのに、川嶋は、寡黙なまま、何事もなかったかのように、柿の木の屋敷に立っている。

 あたしに優しく、気を使ってくれる……。


「でもあの人は、弱音を吐かず、優しくて、とても強そうよ。

 川嶋がこの屋敷を守ってくれてると思うと、すごく安心して、夜、眠れるわ……。」


 そう。安心するのだ。一緒の屋敷内に、あの強い人がいる。それだけで、すごく。


「そうだね。矢傷があったって、川嶋は強い。福益売ふくますめ、かわいい!」


 と古志加が笑顔で、ぎゅうっとあたしに抱きついてきた。

 

(いつもと逆ね。)


「古志加。ありがとう。……川嶋って、あの、妻はいるのかしら? 知ってる?」


 ちょっと照れながら、古志加に訊くと、


「ううん! いないよ!」

「でも、卯団うのだんにいない間に……。」

「それもないよ! あたしもう、前に川嶋と二人で卯団に行ったときに、訊き出したもん!」


 古志加はあたしから身体を離して、誇らしげに言った。


「古志加っ! 大好き!! ありがとう!」


 今度はあたしから、古志加に抱きつく。




   *   *   *




 あたしは、じっと、川嶋かわしまを見つめてしまう事がある。


 庭を歩く彼を。

 門に立つ彼を。

 老麻呂と談笑する彼を。

 昼餉、夕餉、ふとした時に。

 近くから。

 遠くから。


 彼の姿を見つけると、立ち止まり、束の間、一心に、見つめてしまう。


 そんな事して、どうしたいというのだろう?

 わからない。


 何か伝えたい気もする。

 何か聞きたい気もする。

 でも、なにも喋らず、ただ、見つめたい、という気もする。


 大川さまと違う。

 大川さまは、どの角度から、いつ見ても美しくて、見てるだけで、ぽーっと幸せな気持ちになれた。

 でも、こんなに、真剣に、息苦しいほどの気持ちで、見つめたい、とは思わなかった。


 川嶋は、寡黙なおのこだ。

 我慢強いおのこだ。自分をひけらかす事をしない男だ。

 強い男だ。この屋敷を、ここの女達を、守ってくれる男だ。

 あたしは、ここで暮らす事で、このおのこに守られているのだ。


 川嶋には、あたしはどう見えているのだろうか。

 もう、二十八歳のあたしは。


 聞いてみたい気もする。

 でも、川嶋を見つめると、言葉がでてこない。ただ、見つめてしまう。


 ああ、これか、と思った。

 古志加は、ずっと、三虎を目で追っていた。

 これは、きっと、同じ目を、あたしは川嶋にむけているんだわ。


 あたしは、川嶋のことが、本当に───。





「母刀自。」


 夜寝る前、母刀自と布団に向かい合って座り、あたしは母刀自に話す。


「川嶋のこと、どう思う?

 もし、あたしが、川嶋に恋したとしたら、母刀自は許してくれる?」

「まあ……、福益売。

 一緒に暮らしていて、川嶋は、とても良いおのこね。いつも丁寧で、仕事をさぼらない。身体も丈夫そうだわ。

 川嶋が、あなたを大事にしてくれるなら、許すわ。」

「母刀自、ありがとう。あたし、川嶋が、恋しいみたいなの。

 すごく、すごく、恋しいの。まだ、伝えてないんだけど。」


 微笑んだ母刀自は、あたしを優しく抱きしめてくれた。


「あたしの可愛い娘。あなたの好きにして良いのよ。……幸せにおなり。」

「うん……!」


 あたしは、ぎゅっと、母刀自を抱きしめかえした。




 あたし、恋してるの。




   *   *   *



 とり三つの刻。(夕方6時)


 夕餉が終わり、おのこ二人に与えられている一つの部屋に、川嶋は帰ろうとする。


「川嶋。話があるの。」


 あたしは、簀子すのこ(廊下)を追いかけ、川嶋に声をかける。あとから古志加もついてきてる。


「どうした……? 福益売。」


 少しかすれた声で、川嶋が答えた。


「ええと、あの、庭で。」


 恥ずかしくて、顔を見れない。川嶋は首をかしげ、


「……?」

「庭に行ってこーい!」


 古志加と老麻呂の両平手が川嶋の背中に炸裂した。



 しずしずと、川嶋と人気のない庭に立つ。

 夜空に満月が見え、星が瞬く、さやかな夜。

 あたしは大きく息を吸い、


「か、川嶋は、恋うてるおみなはいるんですか。」


 ズバンと切り込んだ。

 川嶋は黙り込んだ。




    *   *   *



 おみなから呼び出し。

 これは、どういう事か。

 期待して良いのか。

 期待ってなんだ。

 そうだ、オレは、こういった事にうといのだ。すでに、混乱は極みに達している。


 眼の前の、美しいおみなは、恋い焦がれたおみなは、顔を赤く、俯き加減でこちらの顔を覗き込みながら、


「か、川嶋は、恋うてるおみなはいるんですか。」


 と言った。

 オレは噴火した。

 頭のなかに火山があったとは知らなんだ。


「ふ、ふ……。」


 福益売だ。そう言え。


「ふ、ふ、福益売は、誰かいるのか。」


 オレのバカめ───!!


 福益売は、困り顔でぱっと横をむいた。


「あ……。」


 その顔を見て、何か、ガツンときた。

 オレと三虎が稽古をした朝。

 珍しい微笑をした三虎が福益売を見た時、福益売は顔をそらした。

 困った顔で。

 なにか、はにかんだ顔で。

 それと、同じ顔だった。

 三虎の───。


 思わず、福益売の左腕を強くつかんだ。


「三虎なのか?!」

「はぁ──────っ?!」


 腹から響く声をだし、福益売が怒った。






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