第二話  欲良の山辺の

 福益売ふくますめが、ぽーっと口を半開きにして、大川さまの後ろ姿を見送った、そのすぐ後。

 同じ女官部屋の皆と、洗濯桶に布を山と積み、小川に向かう。

 あたしは、気になった事を訊いてみた。


「ね、ねえ、女官ってさ、鎌売かまめに言われたんだけど、その……。大川さまのねやに呼ばれたり、するのかしら?」

「んまあ! あなた!」

「やっぱり大川さまを一目見て、驚嘆きょうたんしたのね!」

「わかるわあ。」


 一気におみなたちが華やかに喋りだした。


「大川さまは、誰も閨に呼ぼうとしないの。赤ちゃんの難隠人ななひとさまでさえ、実子ではなく、亡くなったお兄さまの子。」

「皆ねえ、狙ってるのよ!」

「だってカッコイイしね!」

「花を渡したり、もう沢山まばたきして見つめたりね。」


 きゃはははっ、と皆笑う。


「でも駄目、あの麗しい笑顔で、皆に冷たいのよーう。」

「本当、おかたいのっ!」


 ねーえ、と皆の声が重なる。


(なあんだ……。)


 残念……。でも、同じ屋敷に暮らしてることには変わりない。

 すごい美貌だった。

 また、明日、見かけることができたらいいな。



 そう思うだけで、毎日、頑張れるじゃない?

 どんな暮らしだって、あたしは、元気を失いたくない。

 明るく笑って、朝の一日を始めたい。



   *   *   *




 大川さまは、一月もしないうちに、奈良へ行かれてしまった。




 年あらたまり。

 丁未ひのとみの年。(767年)


 あたしは十六歳。

 ここでの暮らしにもすっかり慣れた。

 仕事はせわしないが、生家にいる時より、ご飯はたっぷり食べさせてもらえるので、あたしは少しふっくらした。


 春。


 盆に置いた土師器はじき香炉こうろを捧げ持ちながら石畳の道を歩く。

 春の若い緑の柳が揺れ、桃の花が可愛らしい色合いで咲いている。


同母妹いろも達は、ちゃんと食べれてるかな?)


 ちょっとぼんやりしてしまっていたようだ。

 石畳の道を箒で掃き清めている下人げにんわらはの背中にぶつかってしまった。


「あっ! あっ! す、すみません、ごめんなさい!」


 擦り切れた灰汁色あくいろの衣を着た、随分幼いわらはは、ぱっと振り向き、ぺこぺこ頭を下げた。十歳くらいだろうか?


「大丈夫よ。香炉こうろは割れてないわ。あたしも、ちょっとぼうっとしていたみたい。もう行きなさい。たたらをや(良き日を)。」


 この下人に掃除を命じた者が見ていたら、この下人は注意散漫だと怒られるかもしれない。

 優しく笑顔でそう告げると、


「はいっ! すみません、失礼します。たたら濃き日をや!」


 わらはは顔を真っ赤にして、ぴゅーと向こうに行ってしまった。随分足のすばしこいわらはだった。





 それが古志加こじかとの出会いだったと思い出すのは、随分後になってからだ。


 その灰汁色あくいろの下人が、可愛いちんまりとした女官姿に生まれ変わるのは、その年の冬。


 古志加は十一歳で、ちょうど、あたしの同母妹いろも豊益売とよますめと同じ歳だった。

 もじもじ恥ずかしがり屋で、ちっちゃいのに、大川様の従者が大好きで。従者の話になると、顔を真っ赤にする。

 もう可愛くて、可愛くて、あたしはほっぺをムニムニしてやったものだわ。


 そして、女官としての務め、赤ちゃんの世話が落ち着くと、決まって、従者の姉である日佐留売に、従者の話をせがむ。

 話がはじまると、頬を染め、うっとりと目を潤ませて、聴きいっている。

 毎日のことで、日佐留売も話の種がつき、繰り返しの話になってきても、飽きずにせがむので、


「もぉ、いつも古志加は、そればっかり!」


 とあたしが音を上げると、


「だって、聴きたいもん……。」


 と、ぷうっとほっぺを膨らませ、眉が困りつつ、譲る気がまったくない。


(どんだけ恋うてるのよ。)


 やれやれ、と日佐留売と目線を交わしてしまう。

 日佐留売はくすりと笑う。やはり、自分の弟がこれだけ慕われてて、日佐留売も悪い気はしないのだろう。いつも話をしてくれる日佐留売は、とても優しい。


 これだけ、恋い慕う気持ちにつきあわされると、古志加の恋が叶いますように、と、応援したくなるというものだ。

 だが、恋した相手が悪かった。




   *   *   *




 壬子みずのえねの年。(772年)

 三月。


 あたしは二十一歳。古志加は十六歳。


 夜、女官部屋で、


「あ、あたし、三虎のこと恋うてる。」


 古志加が真っ赤になって頭から湯気をだしそうになりながら、言う。


「何を今さら。知ってるわよ。」


 と至極当然のことを言うと、


「ひぃ……………!」


 と顔を両手で覆い、身体をぷるぷる揺すって古志加は恥ずかしがった。

 しかし意を決したように、顔から両手をはずすと、


「そ、それでね、きっと三虎がまた、墓参りに連れてってくれると思うの。

 三虎と、二人きりでゆっくり話せるのは、その時しかないから、どうすれば良いかなあ?

 知恵を貸して……。」


 聞き耳を立てていた他の女官が、くわっ、と一斉にこちらを向いた。

 目が夜の野獣のごとくランランと光っている。

 ざっ、と一気に古志加のまわりに人垣ができた。


「古志加……、良い? まずはね……。」


 あたしはその人垣を従え、堂々と、以前、他の女官からキャッキャッと聞いた知識を披露する。

 だって私もねえ、お相手はいないんですから!!

 大丈夫よそれでも。お姉さんに任せなさい。


おみなを意識させるのよ……! あなた、いつもおのこの格好をしてるのがいけないのよ。古志加は可愛いんだから!」


 ふんっ、ふんっ、と鼻息荒い女官達が同意する。


 そうして、皆で知恵を授けて、古志加を送り出した。

 結果。

 惨敗である。

 頭を撫でられて、白酒もらって満足して帰ってきた、って、あんたら幾つよ?

 ええ? あんたのことですよ、いつも無愛想の口悪し従者!!


 それでも、古志加がほわんと幸せそうだから、始末が悪い。

 その夜は、女官部屋十一人でやけ酒のごとく、白酒をガッブガッブいただいた。

 白酒は非常に美味しかったですっ!!




   *   *   *




 古志加は成長して、ますます美しく、お胸も立派な佳人かほよきおみなとなったのに、あの従者は、つれないままだ。

 古志加は、女官でもあり、卯団うのだんの衛士でもある。

 あの従者は卯団長うのだんちょうだ。権力を振りかざして、古志加を閨に引っ張り込んだって、ちっともおかしくないのに。

 なんであんなに、うまくいかないのだろう?

 そう思いつつ。



 あたしの恋は進展することがない。



 麗しいお姿を、見れれば、その日は幸せ。

 難隠人ななひとさまのお世話をするあたしは、父である大川さまのお姿を見る機会は多い。


 まだ難隠人さまが赤ちゃんの頃。

 大川さまが抱っこするのに、側近くで、手渡しをする事があった。


 大川さまの近くに寄ると、甘く、辛く、奥深い、複雜な香木の香りと、少しだけ花の蜜のような香りが、大川さまから漂う。

 一瞬だけ見る大川さまの至近の顔は、難隠人さまを穏やかな笑顔で見ていて、この世のものと思えないほどの清らかさと美しさだった。


 本当に一瞬であり、大川さまは、あたしを見る事はなかった。


 あたしの、大事な思い出。

 それだけ、といえば、それだけだ。



 どうにもならないのだ。



 なぜなら、きっと、あの完璧な美女で家柄も良い日佐留売も、きっとそうだったのだ。

 どんなに恋い慕っても、大川さまは優しく冷たいままなのだろう。



 日佐留売は何も言わない。あたしも何も言わない。


 でも、あたしは、分かってる。













 きんくま様から、ファンアートを頂戴しました。

 きんくま様、ありがとうございました。

https://kakuyomu.jp/users/moonpost18/news/16818093079393902709

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