出会い

 そこまで書いた時点で若者はキーボードのタイプを止め、脇に置いたペットボトルのコーラをラッパ飲みした。

 彼の名は加藤キヨシ。二十二歳のフリーター。

 しかしてその実態はライトノベル作家志望、俗に言うワナビである。


 ゴールデンウィーク後半、五月の連休はアルバイトのビル掃除が休み。

 腰をすえて執筆に取り掛かろうと、公募用長編作品に手をつけ始めたところだ。


 歳若い主人公が苦難の境遇をくぐり抜け、出会いや人の絆を築きながら、滅ぼされた故郷の仇を討つために腕を磨き、旅を続ける。

 冒険活劇でありながら、仇討ちと言う憎しみの連鎖に対しての悲劇性を盛り込んだ作品に仕上げる予定らしい。

 よくありそうな話である。もっと奇抜なアイデアを盛り込み、肉付けのしっかりした舞台を用意しなければ、読むに耐える代物にはならないであろう。

 そこから抜け出せないので、彼がワナビのままと言うのは当然の帰結なのだが。


「冒頭は大事だって研究室にも書いてあるからな。何度も書き直して練りこまないと」


 キヨシは「ライトノベルの書きかた研究所」というホームページを参考にしながら、撒き散らしたメモをチェックした。

 断片的なネタがコピー用紙に書きなぐられている。


 支配された日本。

 謎の少女。

 帝国の圧政と内部抗争。

 テロリズム。

 軍事用人型ロボット。

 主人公の正体は帝国の王子。

 三十ページに一度は女性キャラの裸。

 などなど。


 最近見たアニメの影響をもろに受けた構想であり、これをそのまま小説にしてもおそらく門前払いの一次落ちは必至であろう。


「賞金、何に使おうかな。最優秀で百万かあ。パソコン買い換えてプレステ5買って」


 書きあがっていない作品が受賞したことを想定して、金の使い道まで考え始めている。

 ワナビの鑑ともいえる思考回路だ。


「あんた、まさか百万が丸々使えると思ってないでしょうね」 

「え、使えないのか……って、なんだ今の声。母さん、帰ってんの?」


 自分の恥ずかしい独り言に反応があったのでキヨシは驚いた。

 自室のドアは閉まったまま。彼の母が入ってきた形跡はない。

 キヨシは両親と同居しているが、二人とも五月の連休を利用して列車の旅を楽しんでいる。


「妄想ばっかりしてるから幻聴が聞こえたか。それだけ創作に没頭してるってことだ。クリエイターとして自信を持てるぜ」

「何がクリエイターよ。あんたはただのパート労働者、それ以外の何者でもないわ。あと、ハタチを超えてるんだから国民年金を払いなさい。あんたの年収なら多少の減免が認められるから」


 またもや唐突に、女性の声がはっきりと聞こえた。

 母親の声ではなく、もっと若い女の、可愛い声だ。


「パソコンの中に、こんな音声ファイル入ってたかな。動画サイトが流す新手の時報か?」

「あんた、自分に都合の悪いことはすべてリアルじゃないと思って生きてるでしょ」


 失礼な物言いとともに、キヨシは頭のてっぺんを小突かれた感触を覚えた。

 視線を上に向けると、空中に小さな物体が飛んでいる。

 目を凝らすとわかるが、ウスバカゲロウのような透明な羽根を背に持っていた。


「えーと、何処から入った? あと、彼氏いる?」

「その反応もどうかと思うけど、壁をすり抜けて入ったわよ。彼氏はいないわ」


 背中に羽根を生やした七分の一スケールの女が、通りのいい高い声で自己紹介をした。

 仰天するべき状況にあってもキヨシは全く動じることなく、空飛ぶ女を観察する。


 腰まで伸びた長い髪。

 白い肌に涼しげな目つき。

 スレンダーな肢体にマッチした、控えめな曲線を持つ胸と足腰。

 それらを包む白いワンピース。

 スカート丈は短く、背中と胸元が大きく開いている。


「きみ、どっかで会ったことないかな。強烈に見覚えがあるんだけど……」

「次元が違うから会ったのは初めてのはずだけど」

「いや、さっぱり意味がわからないんだけどよ。それにそういう話じゃない。俺は君を見たことがある」

「そうでしょうね。さっきもあんた、パソコンいじってたし」


 パソコンがなんだと言うのだ、と疑問を持ち、キヨシはパソコンの画面を見る。

 そこには、小説を作成中のテキストファイルと、音楽再生のアプリケーションが開いているのみ。

 その奥は当然、デスクトップの画面。


「あ。これか」


 彼は作業中のウインドウを最小化して、デスクトップ画面を確認する。

 モニターには、大好きなアニメのヒロインがアップで映し出されている。

 長い髪、露出の高いワンピース、背中の羽根。


「……B.Beeじゃないか! ああ、リアルだとこんな感じになるんだ! いいね、全然あり! かわいいよB.Beeかわいいよ」


 キヨシは、空を飛ぶ小さな美女を両の掌でわしづかみにしようとした。

 大好きなキャラクターに似ているからといって錯乱しすぎである。


 B.Beeという架空のキャラによく似た彼女は、そんなキヨシの抱擁をひらりとかわし、手に持っていた小さな棒でキヨシの手を打ち付けた。


「あががががががが。からっだっ、し、しヴぃれっれ」


 キヨシが全身を細かく震わせてもだえる。

 体中を、業務用二百ボルト電源で感電したような衝撃が走っているようだ。

 狂牛病の牛に似た動きだった。


「あんたが怖がらないように、あんた好みの姿かたちに変身したってのに。トチ狂ってんじゃないわよこの童貞野郎」

「お、おれのびーびー……。つんでれなところも、そっくりそのまんまだぜ」


 段々とロレツが回ってくるようになったキヨシは、懸命に体を奮い立たせ、再び少女を捕らえようとする。

 少女は天井近くにまで上昇し、呆れた目つきでキヨシを見下ろしていた。


 キヨシは懸命にスカートの中身を確認しようとしながら、頭上の少女に呼びかける。


「でもさ、欲をいえばもうちょっと大きくなって現れてくれないものかな。身長百五十センチくらいを希望したい。背中の羽根は、ちょっと反則だからなくてもいいと思う。それはそれで萌えるけど、いざと言うとき色々と邪魔だし。体力は小学校低学年くらいの設定で」


 身長二十センチほどの肢体で空中をひらひらと飛んでいる謎の少女に、自分勝手な注文を並べ立てるキヨシ。


「ちょっと黙ってなさいよあんた。話が進まないわ」


 羽根の少女は急降下して、持っていた棒で再びキヨシの体を打ち据えた。

 キヨシは潰れたカエルのように自室の部屋に這いつくばった。

 今度のダメージは、声を上げる余裕すら奪ったようだ。

 人間の座布団といった有様のまま、キヨシは黙って少女の説明を聞くことになった。


「私のことは、ロッポーちゃんと呼びなさい。法と秩序の国からやってきた、偉くて尊い妖精です。だからスカートの中を覗いたりしないこと。いいわね?」


 全身が麻痺して動かせないキヨシは、沈黙するしかすべがない。

 ロッポーちゃんと名乗った妖精は、その無言を了解と受け取って話を続けた。

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