涙、そして和解のスキヤキ
キヨシはパソコンに向かい、改稿後の文章を整理してロッポーちゃんに意見をうかがう。
「かなり良くなったわね。でもラストシーン、皇帝と主人公が将棋をしている間、周りが賑やかになって屋台が出ているけど」
「ご安心を、マドモアゼル。そいつらは所得税を払うほどは稼げなかった、だから脱税もありえないという設定です」
「あら、児童福祉と労働環境以外にも気が回るようになったじゃない」
「所得税法も調べたかんね。ほら、ロッポーちゃんが最初に言ってただろ。手に入った金は丸々使えないって」
小説の新人賞で得た金を何に使おうか。
キヨシがそんな妄想をしているときにロッポーちゃんは現れたのだ。
「確かに、俺のバイト代と賞金の百万を足すと、税金が高くなる年収総額になるみたいだ。でもずるいよな、なんで宝くじの当選とオリンピックの報奨金は所得税がかからないんだろ。福祉に関する収入に税金を取らないとかは、まあいいと思うけどさ」
「さあ? それがルールなんだから従うしかないでしょ。嫌なら政治家になって法律を変える選択肢がこの国にはあるじゃない」
日本は議員になるための選挙権が一般国民に付与されている。
自分たちの選んだ代表が作ったルールなのだから従うべき、と言う理屈がそこにあることをロッポーちゃんは指摘した。
「うげえ、正論だけどつまんねー意見。ロッポーちゃん、地元に友達いないだろ。カタブツすぎるし、委員長キャラだよね。その割に隙だらけな抜けてるところが、俺は好きだけど」
「うっさいわね!」
キヨシは殴られる準備として、全身に力を入れる。
ロッポーちゃんが全能でないとわかりかけてから、明らかに調子に乗っている発言が増えた。
もっとも、調子に乗っていなくともロッポーちゃんはキヨシを殴っているが。
理由はもちろんバカだからである。
しかし、覚悟を決めていたのにロッポーちゃんの打撃は来ない。
油断させておいて時間差攻撃が来るのか、とキヨシは疑いながら、おそるおそる後ろを振り向く。
本棚の上に座り込んだロッポーちゃんが、両手で顔を覆い、肩を震わせている。
「え、あれ? も、もしかして泣いてる? ごめん図星だったのか。マジでごめん」
キヨシはとりあえず、パソコン机から離れて床に土下座した。
女の子を泣かせたことなど、小学生のときに記憶にあるくらいで、どうしていいのかわからなかったのである。
「私だって、私だって一生懸命やってるのに、間違ってるから間違ってるって言ってるだけなのに、それが私の役目だからまじめにやってるのに、なんで、なんで、なんで皆に嫌われなきゃいけないのよっ!!」
号泣である。
「ほんと、悪かった、正直スマンカッタ。わかるよ、うんうんわかるよ。俺はロッポーちゃんの味方だから大丈夫。もうね、大好きだから。好き好き大好き超愛してるってマジで」
妖精の世界にもいじめとかあるんだ、などと半分呆れながらキヨシはロッポーちゃんをなだめる。
彼の中にある、異世界に行ってみたいという夢想が音を立てて崩壊し始めていた。
ひょっとすると遊びに来たのではなく、ロッポーちゃんはまさに現実逃避するためにこっちの世界に来たのではないか。
キヨシはそんなことも思ったが口には出さなかった。
トドメを刺してしまう可能性を恐れたのだろう。
「こっちの世界だって、ほ、法のお祭りの日だって言うのに、テレビは犯罪のニュース、ばっかりだし、どうなってるのよバカあ。せっかく来たのに、何も得るものがないじゃないのよー。もうやだー!」
「あー……、だからイライラしてチャンネルを変えまくってたのか。日本人を代表して、まことに遺憾に思います。謹んで謝罪の意を表明いたします」
法と秩序をつかさどる妖精というのは、法そのものが意志を持って人間の前に現れた存在なのかもしれない。
その法という概念自体が、妖精の姿を借りて人間社会に愚痴りに来たのではないだろうかとキヨシは思った。
もっと大事にしやがれと、お前たち自身で決めた、法という決まりごと、約束ごとじゃないか、と。
憲法記念日は、そんなロッポーちゃんが来訪するには、まさにふさわしい日であるだろう。
悪質な犯罪とは無縁なオタク青年のキヨシではあるが、もう少しまじめに生きてみようかという気持ちになった。
モテない男に一番有効な説得は美女の懇願である、という、わかりやすい具体例が展開されている。
「うっ、うっ、あんただって、どうせろくなもんじゃないんでしょ。さっきは私を襲おうとしたし。恐かったんだからね。いくら、仮の体だって、私も女の子なんだからっ」
「うーん、そこを突かれると弱い。愛情表現っつーか、異文化コミュニケーション? もうしないよ、約束するから泣きやんで、ね? それに、そこまで絶望してるなら、元の世界に帰っちゃうっていうのは駄目なのかな。もちろん、俺は寂しいけどさ。いつかお別れするのは覚悟してるし」
涙をグイグイと拭いて呼吸を整えるロッポーちゃん。少しだけ落ち着いてきたようだ。
「だって、帰ったら成果報告書を上司に出さなきゃいけないんだもん。交流目的で出張届を出してるから。嘘なんて書けないし」
まったく夢のない話を聞かされてキヨシはげんなりした。
この世と別の次元にも、楽園は存在しないようだ。
「ふん、でもあんたの両親はいい人そうね。あの人たちと食事をして、それを軸に報告書を書くわ。可もなく不可もなくってものになるでしょうけど。もう時間もないから別のサンプルを探してる余裕なんてないし」
「あ、夕食は食べていくんだ。大歓迎だ、父さんと母さんも喜ぶよ。それから帰るの?」
「ええ、零時までには。悪いけど、念のために記憶のほうは……」
キヨシは時計を見た。まだ夕方、夜中まで時間がある。
「よし、じゃあ俺からも、ロッポーちゃんの仕事に役立つかどうかはわからないけど、サンプルを頑張って提供するぜ。俺の創作も進むし、一石二鳥の案が浮かんだ」
そう言ってキヨシは父に電話をかけた。
「あーもしもし父さん? もう帰ってきていいよ。あと、夕メシなに? スキヤキ? 都合がいいや。ああこっちの話。大丈夫、仲良くやってる。え、早すぎる? ほっといてくれ。そんじゃーね」
キヨシに何の案が浮かんだのかわからないロッポーちゃんは、鼻をこすりながら首をかしげる。
「スキヤキに、何の関係があるのよ」
「別にないよ。日本に来たならスキヤキ食って帰っとけ、ってだけ。悪いけど、二人が帰ってきたら準備を手伝ってね」
「あ、もう帰ってくるの。手伝うなら変身したほうが便利かしらね……って、あんた、変なことしたら、今度こそ本当に」
「わかってるよ、親が見てるところで女の子をレイプできるかって」
「レイプって自覚があったんなら自重しろっ!」
今までで最大級の衝撃が、キヨシの脳天に降りかかった。
キヨシの父と母が豪勢な食材を抱えて帰って来たのを、ロッポーちゃんは人間サイズで出迎えた。
「お帰りなさい。あの、本当にお呼ばれしてもいいんでしょうか。キヨシくんはどうしてもって言うんですけど」
その姿はどこからどう見ても、気立てのよさそうな美少女である。
父も思わず破顔した。
「ああ、もちろんもちろん。何の遠慮もいらないよ、我が家のようにくつろいでくれ」
言われなくてもそうしていたロッポーちゃんである。
こんな気さくな親御さんの大事なひとり息子を殴りまくっていると考えると、少々気が重かった。
「あら、キヨシはなにをやっているのかしら。お客様を立って歩かせてあの子ったら」
母が困った顔でキヨシを呼びに行く。
しかしそれをロッポーちゃんが制した。
「あの、いいんです。何か小説のほうがひらめいたみたいで、集中してるから」
「ええ? 悪いわねえ、あの子昔っから、一つのことに集中すると周りが見えなくなるところがあるから……何もこんなに可愛いお嬢さんが遊びにいらしてるときにまで」
「いえ、それに私、スキヤキってはじめて食べるので、準備とか手伝いたいと思ったから」
「まあそんな、いいんですよ、座っていてくださいな。今、お茶をお出ししますからね」
やいのやいのと世間話をしながら、ロッポーちゃんはキヨシの両親とともにスキヤキの準備をした。
実際の調理が始まるとキヨシも部屋からリビングに移り、四人で鍋を囲んだ。
キヨシの父はいわゆる鍋奉行であり、完璧に食卓を仕切りまくっていた。
順番を間違えて肉を焼いたり食ったりしようとするたび、父の恫喝が飛んでキヨシは箸を引っ込めた。
法と秩序をつかさどる存在、ロッポーちゃんでさえ、加藤家食卓スキヤキの陣にあっては、キヨシの父を司令官と仰ぐ一兵卒に成り下がった。
「ああ美味しかった。それに、あなたのお父さん、いい人材ね。こっちの世界に欲しいわ」
食事を終え、キヨシの部屋でくつろいでいるロッポーちゃんは満足げに言った。
今は食事から摂取したエネルギーの変換中であり、それが終わったら妖精の世界に帰る準備に入らなければいけない。
「それにお母さんも優しくて。二人とも、秩序と平穏を愛し、その中で幸福を見出しているすばらしい人たちだわ。あんたも少しは親を見習いなさい」
「ま、二人とも警官だしな。母さんは退職したけど。職場結婚だよ」
ロッポーちゃんの話に答えながらも、キヨシはすばやくパソコンのキーを叩いている。
「なおさら不思議だわ。どうしてあんたはバカで変態なのよ。両親は立派なのに。ふふ、しかし面白かったわ。スキヤキを食べるのにあんなルールがあって、指令系統まで組織されてるなんて。いい報告書が作れそう」
「お、やっと笑った。この部屋に来てはじめてじゃない? やっぱ可愛い子は笑ってくれないとね」
パシン、とエンターキーを鳴らし、キヨシがロッポーちゃんに向き直った。
どうやら創作に一区切りついたらしい。
「あら、できたの。ならそれをチェックしてお別れね。あんたも法と秩序の大切さを……って何よこれ!」
キヨシの書いた原稿をチェックして、ロッポーちゃんは仰天した。
その内容が、次に記すようなものであったからである。
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