異世界濃厚接触

 キヨシはキーボードを打つ手を止めた。

 脳に回るカロリーが足りないことを実感し、何かお菓子でも食べようと思ったのだ。

 手元にあったコーラもなくなっている。


 台所ではロッポーちゃんも冷蔵庫のおやつをあさっているはずである。

 あの小さな体でどうやって食べているのだろうとキヨシは疑問に思った。


 自室を出たキヨシは、リビングを通って冷蔵庫のあるキッチンへ向かった。

 ロッポーちゃんが短いスカートをはためかせながら飛び回っている様子を観察する予定であったが、その姿が見当たらない。


「もう飽きて帰っちゃったんかな。お尻くらい触っておけばよかった」


 最低なことをつぶやきつつ、冷蔵庫を開ける。

 プリンもゼリーもヨーグルトもアイスクリームも全滅している。

 仕方なくペットボトルのストレートティーを手に取り、コップに注いで砂糖を加える。


 冷たさと甘さが脳を活性化させる。

 考えが冷静になってくる。

 彼の頭蓋骨内部に詰まっている灰色の細胞が、まともな人間並みの脳味噌として活動をはじめた。


「なんだよ、法の妖精ロッポーちゃんって。白昼夢でも見てたのか俺は。だいいち、三次元にあんなに可愛い子がいるはずがない。美少女は二次元にしか存在しないことを俺はよく知っているんだ。妄想もたいがいにしないとな」


 よく考えると、いやよく考えるまでもなく、改稿した小説もひどいものであった。

 テーマもメッセージもジャンルもあったものではない。

 ただ、キヨシの心の中にわずかながら引っかかるものがあった。


「書き方サイトを参考にして書いても、似たような話ばっかりになるからなあ。基本は踏まえつつ、自分なりのイレギュラーを放りこまないと個性的な作品なんて書けない、か」


 改稿前と改稿後、たしかに改稿後のほうが個性的ではある。

 しかしそれが面白いかどうかの判断は、まだ見ぬ読者諸氏に任せるしかない。  


 キヨシはお茶を持ったまま、リビングのソファに座ってテレビを見ようとした。

 朝から部屋にこもりっぱなしで、気がついたら昼を過ぎている。

 昼食にしてもいい頃合と腹具合だ。


「よいしょ。母さーん、メシはなに? ……って旅行中か。自分で作るの、めんどいなあ」


 ソファに座ったキヨシの尻に、何か大きくて柔らかいものを踏んだ感触があった。


「いったいわね! どこに目をつけてんのよあんた!」


 ソファの上には白いワンピースを着た美女が寝そべって、テレビのリモコンを握っている。

唇の端にはお菓子の食べかすがついている。

 身長は百五十センチほどであろうか。白い太もも、開いた背中が眩しい。


「あの、失礼ですがどちらさまでしょうか。あと、結婚してますか」

「あんたの頭はニワトリ並か! さっきまで会ってた顔をどうして忘れるのよ! あ、おやつごちそうさま。人間界のお菓子も、なかなか美味しいわね」

   

 キヨシは澄んだ高い声でキャンキャンと叫ぶ美女の顔をまじまじと見る。

 彼が大好きなテレビアニメのヒロイン「B.Bee」をリアルな人間に変換した顔。

 紛れもなく、法と秩序の妖精、ロッポーちゃんがキヨシと交流するために変化したビジュアルだ。

 しかも、先ほどまでは全長二十センチほどだったのに、今度は等身大スケール。

 背中の羽根もなくなっていて、広くカットされたワンピースから丸見えの肩甲骨と背筋の凹凸がまばゆく、なまめかしく、美しい。


「いやはや、こんなご立派に成長されて。さぞかしご両親もお喜びでしょう」


 キヨシは新しいコップを用意して、丁寧に紅茶を注いだ。

 無駄に緊張した口調でそれをロッポーちゃんにすすめる。


「なにをわけのわからないこと。どう? 小説、はかどってる? 集中するのはいいけど、休憩も大事よ」

「あー、なんか掴みかけたところ……、ってそんなことより、なんでそんなに、すばらしいサイズになってるんだ。さっきまで、少し大きめのゲーセンプライズフィギア程度のサイズだったじゃないか」

「小さいままだと、おやつを食べるのに不便じゃないの。このソファで寝るにも、このサイズくらいが気持ちいいわ」

「はあ、まあ確かにそうだけどさ。羽根も邪魔だもんな、ソファで寝るには」

「と言うのはオマケで、この世界の食べ物からエネルギーを摂取して、私たちに合う規格に変換するためには、この世界の物理法則にあるていど、体を合わせる必要があるの。大きさは適当に日本人女性の平均前後を参考にしただけ。羽根をつけたままだとエネルギーの変換効率が下がるから消しちゃったわ」


 もちろん、キヨシの頭にそんな説明が理解できるはずはないが、それでもロッポーちゃんの説明は続く。


「エネルギー効率だけ考えるなら、食べ物じゃなくて電気から頂いてもいいんだけどね。蓄電器か何かに変身して。でもせっかく人間界と異世界交流してるんだから、人間っぽい行動してみようと思ったのよ。今の私の体、何かおかしい所ある? ちゃんと人間の女の子っぽくなってるかしら?」


 言われるまでもなくキヨシは、肉食獣の目つきでロッポーちゃんの肢体を観察しまくっている。


「おかしいと言えば、そんなに可愛い女の子は三次元に存在するはずがない、ということくらいかな。ゴールデンウィークにソファに寝っ転がって、お菓子を食べ散らかして、テレビのチャンネルを変えまくってるきみは、どこからどう見ても完璧な日本人の女の子だよ」


 テーブルの上には、加藤家にあったお菓子の包装、容器がカラになって散らかっている。

 キヨシを殴りまくっていた木の棒は小さいままで、テーブルに無造作に置かれていた。

 団子の竹串が放置されているようにしか見えない。


「そ、ならいいわ。エネルギーの変換が終わったら、さっきのサイズに戻ろうかしら。小さい体のほうが少ないエネルギーでたくさん動けるし」

「戻っちゃうのか。その変換だかなんだかって、いつまでかかる?」


 自分に都合のいい情報だけ拾って解釈するキヨシの脳がフルに働き始めた。


「あと三十分か四十分くらい。あんたもその間にご飯を食べちゃいなさい。またチェックするからね。午後の部もビシビシ行くわよ」

「俺の部屋に来るときも、そうやって食っちゃ寝したあとだったんだな。全然気づかなかったよ。じゃあちょっとだけオマケして、四十五分コースでお願いします」

「ハイハイ、四十五分後ね……って、ちょ、な、なに?」


 ソファで横になりくつろいでいるロッポーちゃんの体、その上にキヨシが重なっていく。


「結婚を前提にえっちなことをしよう。大丈夫、経験は浅いけど優しくするから」


 キヨシがストレートに自分の欲望を言葉にする。

 それでも一応、彼なりに相手を思いやっているフシが見受けられる。

 あくまで、彼なりにではあるが。


「アホな冗談はやめなさい。変なキノコでも食べた? もしそうなら……って、こらっ!」


 ワンピースの肩紐にキヨシの手が伸びる。それを懸命に押しのけるロッポーちゃん。


「やっぱり、エネルギーの変換中だから動く力はセーブしてるんだな。非力な萌えっ子が抵抗したくても抵抗しきれない、という最高のシチュエーションだ」


 人間としてアウトに近い作戦が見事に的中し、勝ち誇った笑みを浮かべるキヨシ。


「あ、あんた、わかってんの? あと少しで私の力は戻るのよ? そのときどうなるか、考えてみなさいよ!」

「きみの美しさと引き換えなら、百億の罰も甘んじて受けよう。虎穴に入らずんば虎子を得ず。据え膳食わぬは日本男子の名折れでござる」


 キヨシは反対の手で、ロッポーちゃんの体の中でも特に美しいラインで彼の視線を釘付けにし続けた太ももを撫で回した。

 滑らかな肌触りと適度なボリュームを掌に感じ、キヨシは感動で目が潤んだ。


「ちょ、あんた、本当にやめなさい! ここまでは許してあげるわ、でも今すぐやめないとひどいわよ! 掟を破ってでもあんたの存在をこの世界から……、あ、だめっ」

「ん? 掟ってなに?」


 ロッポーちゃんの耳たぶや首筋を甘く噛みながらキヨシが聞く。

 まったくもって世界の仕組みというのは理不尽なもので、キヨシの愛撫は不思議と女性の体に「すんなりと」馴染むという特徴を持っていた。

 ありていに言えば、どんな女性でも、キヨシの手で撫でまわされると、なぜだか強烈に「感じて」しまうのである。

 非モテ街道まっしぐらのキヨシにとって、ほとんど無駄なスキルではあったが。


「こ、この世界の法則や歴史に大きく干渉しないように、私たちは行動を制限されて……あ、しまった!」


 屈辱の中で、しかしキヨシの手触りに刺激されまくってしまっているロッポーちゃんは、言ってはならないことを口にしてしまったことに気づき、慌てて口を閉じた。


「んあっ……、そこ、だめっ」


 しかし、その口からどうしてもあえぎの吐息が漏れる。

 キヨシはロッポーちゃんの背中にキスの集中砲火を浴びせていた。


「なんだ、だから俺みたいなパンピーのところで適当に遊ぶしかできないんだな。世の中にはもっと悪い奴がいるんだから、法と秩序の妖精ならそっちに行かなくていいのかって心配してたんだけど。あ、でもゆっくりしていっていいからね。っていうか結婚しよう。一線を超えて他人の関係を終わらせよう」


 キヨシはたしかにロッポーちゃんの持つ、得体の知れない棒切れで殴られ続けた。

 しかしダメージも外傷も残ってはいない。

 殴られてからしばらく、体が痺れて痛くて動けない、というだけ。

 ダメージが消えたあとは、電気マッサージのような軽い爽快感があるほどだ。


「殴られ続けた先にこんな展開が待ってるなんて。ロッポーちゃんは典型的なツンデレだったんだな。最高だよマジで。ブームが去ろうとなんだろうと、ヒロインはツンデレじゃないと物足りない。クーデレも好きだけど」


 ロッポーちゃんの着ているワンピースは、背中に結び紐があるタイプ。

 蝶結びになっているその部分をキヨシの指がつかむ。

 もう片方の手は太ももからスカートの中に侵入しつつある。


「ほ、本当にこれ以上は……。お願い、今まで殴ってたことは謝るからあ」

「やっぱり、法と秩序の妖精なら、自分たちの掟も守らないとねー。俺を消すってのもハッタリかあ。あ、殴られたのは別に気にしてないよ。あれはあれで美味しい体験だ。美女に殴られたいなら、高いお金を払わなきゃいけないのがこっちの常識でさ」


 キヨシはなおも暴走中。いや、これが彼の通常運転か。

 自重する気もないようである。


「でも、地球人類六十億の中、俺のところに遊びに来てくれてありがとう。二人の子供は男だったら俺が名付けるよ。女の子だったらロッポーちゃんが名前を決めてくれ」

「な、なんで私が、人間の子供なんて……、い、いやっ、ばかっ、許してっ」


 キヨシがロッポーちゃんの尊厳を守っている最後の砦を攻める。

 純白木綿の小さな防衛設備、その名もパンツに煩悩という兵力が殺到する。

 落城は時間の問題であった。


 しかし、ちょうどそのとき。

 ロッポーちゃんにとっては思わぬ援軍が到来して、加藤家の玄関が開く音が鳴った。


「ただいま。あら、お友達が遊びに来てたの? こんにちは、ゆっくりしていってね」

「おお、キヨシが友達を家に呼ぶなんて珍しいな。はじめまして、キヨシの父です」


 キヨシはそれこそ魔法のような速さでロッポーちゃんの乱れた衣服を直し、密着していた自分たちの体を離した。

 旅行に行ったはずのキヨシの両親が帰ってきたのだ。


「お、おかえり。今日は温泉に泊まるはずじゃなかったっけ?」

「それがなあ、むこうの手違いで、部屋の予約が取れてなかったんだよ。連休のせいで、かわりの部屋もイマイチなところしか残ってなかったから、切り上げて帰ってきたんだ」


 父がやれやれと首を振る。


「ごめんなさいあなた、あの宿を選んだの、私なのよねえ」

「いや、母さんのせいじゃない。この時期はどこも忙しいから、こういうことがあるもんだ」


 うなだれる母をなだめる父。

 その様子を見ているロッポーちゃんの顔が、わずかに引きつっている。

 父はそのことに気づき、なにかを勘違いしたらしく、白々しい口調で言葉を続けた。


「あー、母さん、旅館に泊まる予定だったから、夕食の材料がないんじゃないか? ちょっと買物に行かないか」


 母もその提案でピンと来たらしい。


「そうですね、温泉は残念だったけど、そのぶん今日は贅沢しましょ。あなた……、ええと、お名前をうかがってなかったわね。嫌いなものは何かある?」


 優しげに微笑みながら、キヨシの母がロッポーちゃんに問い掛ける。


「え、あっ、ロッポーです。嫌いなものは特に」


 上ずった声で自己紹介するロッポーちゃん。

 キヨシは吹き出しそうになったがこらえた。


「六法さんか、珍しい名字ですな。日本に数軒しかなさそうだ。覚えやすくていい」

「じゃあ行ってきます。ごめんなさいね、あわただしくて」


 カラカラと笑いながら、父と母は買物に出て行った。


 玄関まで見送ったキヨシに、父が耳元で囁いた。


「すごい可愛い子じゃないか。なんなら、後で父さんの携帯に連絡しろ。帰ってくる時間を遅くしてやる」


 両親が去ったあと、ロッポーちゃんは放心したようにソファに座っている。なにやらブツブツ呟いている。


「いやあ、びっくりしたな。まさかあんなタイミングで帰ってくるなんて」


 キヨシは一息ついて、ペットボトルに残っていた紅茶を飲み干した。


「あと五秒。四。三。二。一」


 ロッポーちゃんは無表情で何かのカウントダウンをしている。


「ん、どうしたの? トイレなら奥だよ。ギリギリまで我慢する快感はわかるけど」

「エネルギーの変換が終わったわ」


 白い煙とともに、ロッポーちゃんは等身大サイズから、元のミニチュアに戻った。

 一部変更があるとすれば、二枚だった透明な羽根が六枚に増えている。


「おお、なんか神々しいね。あーでももったいないなあ。さっきまでのロッポーちゃん、最高にエロ可愛くてっでぼらっ!」


 数十分ぶりに、ロッポーちゃんの電撃アタックがキヨシを打ちのめした。


「あの二人、どっちに行ったの! 私に関する記憶を消さないと!」

「う、ううう、忘れてたこの衝撃、今では懐かしさすらあるぜ」

「いいから教えなさい! あんたへの罰は後回し! 覚悟してなさいよ」


 車で出て行った両親を追うために、羽根を増やしたのであろう。

 三倍の速さになるのだろうか、ならせめてワンピースのカラーリングは赤にするべきだ、なんてことをキヨシは考えた。


「どっちかなんてわかんないよ。でも、夜になったら帰ってくるし……って、何で記憶を消すんだ」

「さっきも言ったじゃないの。私がこの世界に遊びに来るときの掟よ。あんたはバカで妄想癖があるみたいだから、妖精を見たなんて言っても大した影響はこの世界にないでしょうけど。証人が他にいるなら話は別だわ……あああどうしよう」

「ん、でもうちの親、ロッポーちゃんが妖精だってところを見てないだろ。色っぽいワンピースを着た、ものすごい美少女だとしか思ってないんじゃないか」


 そう言われてロッポーちゃんは面食らったように空中で停止した。

 キヨシに指摘されなければわからないほどに動転していたのだ。

 レイプ未遂の影響かもしれない。


「はあ……たしかにそうね。でも、あんたの記憶はあたしが帰るときに操作させてもらうからね」

「ええー、それはさみしいなあ。ずっとうちにいなよ。ロッポーちゃんのお菓子代くらいは俺が稼ぐからさ。バイト代が入ったら、一個千円くらいするシュークリームを買ってあげるよ。めちゃくちゃうまいんだぜ」

「遠慮しておく。私もむこうの世界で色々とやることがあるのよ。第一、あんたみたいな変態と一緒に住めるわけがないじゃない。両親はまともそうなのに、どうしてあんたみたいな子が育つのかしらね。人間って不思議だわ」

「残念だ。じゃあこのあとはお仕置きタイム? それとも小説チェックの続きにする? 他のことして遊んでもいいけど」

「小説の続きを兼ねて、お仕置きタイムね。もっとも、殴ったところであんたは喜ぶだけなんでしょうけど……」

「今更わかったのか。妖精ってのも万能じゃないんだな。そういうところも萌えるけど」

「調子に乗るなっ!」


 痛恨の一撃を食らったキヨシは、這いつくばったまま自室に向かった。

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